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還暦の日の贈り物

60歳になった。

6年前、51歳の妻が亡くなったのが11月22日。「なんでよりによって『いい夫婦の日』に? 勘弁してよ、皮肉かよ…」

なんて思いながら、残された3人の子どもを育てるのに必死だった日々。

その時、いちばん下の娘は高校に入学したばかり、次男は高3でちょうど受験期。

亡くなる少し前、センター試験と死期が重なったらどうしよう、などと考えてしまう自分が嫌だったな。

思えば、この子たちが10歳、4歳、2歳のときに妻の悪性リンパ腫が分かって、築地のがんセンターに入院したんだった。

長男は小学校へ通い、次男を幼稚園、長女を保育園に送り迎えする日々。

そして車で40分の職場を往復。仕事終わって子どもたちを迎えに行って食事を作り、洗濯やら家事して、週に2日は病院まで見舞いに行って、3人とも風邪引いて点滴受けさせて、余裕がないからちょっとしたことで怒ったり。

考えるとよくやったけど、子どもたちもすごくがんばったと思う。

退院して寛解状態が10年以上も続いたので、もう大丈夫と思っていたら、まさかの再発。今度は1年も持たずに逝ってしまった。

それから6年近くが経って、相変わらず家の中はあの時のまま。少しずつ整理しようと思っていた妻の洋服にもまだ手をつけられない。

それでも、いつのまにか妻も母親もいない生活が、普通に感じられるようになるんだ。

最初は無理やりだったけど、みんなで自然に笑えるようになって、子どもは無事卒業して仕事にも就いた。

自分もだいぶ落ち着いて、でもその分1人でいることがだんだん寂しくなってきて、でも誰でもいいわけじゃなくて、3年前。

ようやく大切な人に出会えた。

そのNさんも5年前にご主人を亡くしていて、だからこそ分かり合える部分が多くて、すぐにでも一緒になりたかったけれど。

お互い仕事もあり、東京に住むNさんとは100キロ以上離れてるし、下の子どもはまだ中学生だし、週末にちょっと会うのが精一杯。

うちの子どもたちには紹介したけど、きっと複雑なんだろう、母親じゃない、父の交際相手なんて。特に女の子は、裏切られたように感じてるのかも。

そんななかで迎えた還暦の日。

東京にいる次男のところに行って、ついでにみんなで食事しようと言うと、じゃあ父さんの誕生日だし、お店はこっちで考えるよと長男。

それならと全部任せていたら、食事する店の名前もなかなか教えてくれないので、なんか考えているのかも。

というわけで、余計なことは一切聞かなかったら、場所はなんと神楽坂。しかもメイン通りから奥に入った高級日本料理店。いや、これはちょっと奮発し過ぎじゃないの?

大事な接待に使うようなお店で、料金が気になるけれどまさか聞けないし。まあこんな時でもないと絶対来ない店なので、喜んで接待されようかな。

個室に入ると席が6人分あって、家族は子ども3人とおばあちゃんを入れて5人のはず。あとひとつは「お母さんの場所」らしい。

亡くなった母親のこともちゃんと気にして、料理はないけど陰膳みたいなものを考えたんだろう、たぶん。

そりゃせっかくのお祝いの場所に、やっぱり母親がいたらって思うよね。

そんなふうにちょっとしんみりした気分だった。

…ところが。

席に座ったところで、最大のサプライズが。

開き戸を開けて、含み笑いしたNさんが入ってきた。

え、なぜ…?

茫然としてる顔を眺めて、みんなしてやったりの顔。え、全員知ってたの?

まるで「モニタリング」のような状況に、うれしいとかの感情もなかなか湧かないくらい。

聞けば、もう一か月も前からみんなで連絡を取り合って、この日のために準備していたらしい。いや、ずっと黙ってたんだ。

「ちゃんちゃんこ」ならぬ真っ赤な還暦Tシャツや、ひとりひとりからの手紙のプレゼント。びっくりしすぎて涙も出ないくらいのサプライズ。

何がうれしいって、子どもたちにとっては他人の、Nさんを招待してくれたこと。

母親の代わりではなくて、「父親にとっていちばん大事な人」として認めてくれたこと。

初めて紹介した頃は、頭で理解しても心情的には複雑だったはず、なのに。

家に帰ってからも、なかなか手紙を開けなかったな、なんかもったいなくて。

振り返ればいろいろダメな父親だったと思うけど、子どもはちゃんと自分で成長してくれたんだね。60年生きててよかったよ。

ホントにありがとう。






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