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人様のお役に立つ人生

麻雀をやっている時に感じる事だが、最初の配牌をひとしきり眺める。これって、おぎゃあと生まれた時の状態であろうと感じたりもする。

聴牌している人もいれば、ガタガタの人もいたりする。

さっそく理牌。ていねいに整理整頓して、眺めて見る。

ドラ、白、発、中、風牌。

類推すると、ああ、これは、こういうゴールが近道だなとか考える。

あきらかにいらない牌を捨てる。

そして、自摸。そうすると、捨てた牌と同じものを引いてきたりもする。

その繰り返しを行っていると、結局、なにがやりたかったのかわからないまま、振り込んでしまったりもする。

ゴールの姿を具体的にイメージせず、抽象的にイメージしていたとする。
つまり、次は12000点で上がりたい。そんなイメージだ。

牌効率や筋だけを考え、自摸や周囲の動きを察知し、柔軟に打つ。

すると、いつの間にか、するすると聴牌になり、リーチ一発自摸。などという結果になるケースがある。裏ドラが乗り、なんという手ではないけど12000点で上がれた、という事がある。

麻雀を学ぶというのは引き寄せの法則を学ぶ訓練になるだろうと思うのだ。

さて、問題はここから。この感覚を現実世界に適用するのは難しい。

麻雀というルールにくらべて、現実世界はゴールが無限にあるからである。

途中で道に迷うのだ。そして、リーチしたと思っていたら、まったく、役ができていなかったという事もある。途中までそろえていたものを捨ててしまわねばならない時期もくる。

ある程度自分の生き方を具体的にイメージしておかないと、どこに進めばいいのかもわからなくなる。抽象的にしておかないと、変化に対応できなくなる。

そのへんの極意が必要である。

衛藤信之先生の動画で感銘を受けた事であるが、人は自分に与えられたなんらかの才能を使って世の中のお役に立つ事というのが根本である、という話。

ふと、祖母と叔母の話を思い出す。

長年教職を務めた叔母は、定年後、悠々自適に海外旅行などを満喫する生活をしていた。老人ホームに入った痴呆が出てしまった祖母から、ある日、こう問われたという。

「人様のお役に立っているかい?」と。

叔母はその言葉を聞いて愕然としてしまったという。

それ以降、手話、お手玉、マジックなどで、高齢者福祉施設をめぐるボランティア活動に邁進する日々が始まったのだという。現在80歳を超えたが、自分自身もいろんな病気と闘いながら、そのような生活を続けている。

人生の目的の抽象度を上げる。そのシンプルな方法は、人様のお役に立つ人生。そういう結論になるように思う。

いかにしてお役に立つのか。誰しもがなんらかの才能と個性を持って生まれて来ている。それを使えばいいのである。

私は、幸いにも建築家として過ごしてきた。

小さいころから図画工作が得意であったから、それを見ていた親父が、信二は建築の世界がいいんじゃないか、という、何気ない一言があった。高校二年生の頃だろうか。素直に、そうなんだ、と思い、建築学科に進学しようと思った。

その日から約30年。平成の30年間を建築家として歩ませて頂いた。建築を必要としている方々のお役に立ってきたわけでもある。そう思いたい。

これからの人生も、それでいいのだと思う。

より多くの人のお役に立つ。そのために、これまでの30年の経験をフル活用していけばよい。お役に立った分だけ、生かされる。

そんなシンプルな答えに行きついたように思う。



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