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自己肯定感

大草原の小さな家を見ていると、子供というものは、親から愛されたいという思いが100%である事が起因して、すべての出来事が起きているんだなという事がわかる。

常に一番じゃないと期待されないと恐れる姉。優秀な姉に対して嫉妬する妹。弟が生まれて嫉妬する次女。良い成績を取らないと愛されないと思う子供。男の子を生まないと価値がないと思い込む妻。経済的に恵まれないと家族から尊敬されないと悩む夫。

ありとあらゆる出来事を通して、自分の価値がないと落ち込み、悲観し、嫉妬し、足を引っ張り、様々なマイナスの出来事を引き寄せる。

たかが子供向け番組と思って見始めるが、子供の頃の感情が呼び覚まされ、それが50歳にもなった現在にも色濃く残っているなと思うように、ギクリとさせられてしまうのだ。

自分を振り返ると、優秀な兄、末っ子の妹にはさまれた、ある意味ローラ的なポジションで育ってきたともいえる。真ん中の子は放置されがちとされている。実際に、手のかからない子供であったとも聞かされた。

自己肯定感が低かったのだろう、家の手伝いは率先して行っていた。手伝いをしないと価値がないと思い込んでた節がある。私の素直な行動のため、両親も次男のほうが使いやすいと思っていたらしい。

その副産物のような出来事であるが、我が家は貧しい時代があり、五右衛門風呂であった時期がある。小学校時代、風呂焚きが私の日常の仕事であった。その風呂焚きの事を書いた作文が県のコンクールで銅賞をもらってしまうのである。文章がうまいというよりは、この時代に五右衛門風呂を焚かされている小学生という物珍しさのほうが上回っていたのだろう。

兄妹が夕方の子供番組を見ている時間、私だけが風呂を焚いているのである。まるで奉公に来た売られた子供のようなものである。

とはいっても、そこまで苦痛ではなく、毎日がキャンプのようなもので、自分なりに楽しんではいたのだが。いや、楽しもうと思い込もうとしていたのかもしれない。両親のお役に立たねば自分には価値がない。そう思い込んでいたように思う。

50歳になり、もう、そんな感情は乗り越えたように思いたいのだが、ふとした時にその感情がむくりと顔を出す。

大草原の小さな家で描かれる根源的な感情。そして、それを乗り越えていくドラマについつい涙腺が緩むのだった。



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