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旅の終着点

1bike1worldさんの猫との旅に、なぜか心が揺れ動かされる。

最新の情報を見る。英語の自動翻訳のへんてこな日本語から類推するしかないのだが、拾った犬の里親として、犬を連れて旅をするインスタグラマーのbikecanineさんにコンタクトを取っているらしい。

bikecanineさんも同じ時期に子犬二匹を保護したという。ここに運命の偶然があるようで、どうやら、その子犬二匹と、1bike1worldさんが保護した犬は兄弟の可能性が高いようだ。それぞれが、旅の途中、近い場所で保護した可能性があるようだ。つまり、誰かが、子犬数匹を遺棄し、そのうち、1匹がケガして兄弟と離れ離れになり、先に二匹が保護され、置き去りになった1匹が保護されたのだろう。双方がインスタグラムにアップしていたからこそ、お互いにコンタクトが取れたものだと思われる。

普通に考えれば、遺棄された子犬は、交通事故にあうか、餓死するか、捕獲され処分されるか。そのような運命が待っていたであろう。そこに偶然通りかかった自転車で旅する動物への愛情の深い二人によって救出されたのだ。
そして、ふたたび、兄弟の再会が実現したのである。

1bike1worldさん、子犬の里親の手配のため、異国の地でアパートを借りた模様である。旅の途中の短期的な仮住まい。マンスリー契約でもしたのだと思う。

彼の猫との旅の終着点はどのようなものになるだろうか。旅には必ず終わりが来る。

スコットランドに帰り、猫と犬のために定住の拠点を持ち、新たな人生をスタートするのだろうか。もしくは、このままずっと旅暮らしを続けていくのだろうか。世界一周をするのかもしれない。そのうち日本にも来るかもしれない。まだ30台前半だから、いろんな可能性がある。人間のパートナーを得て、子供が生まれ、ほかにも多くの動物を保護していくようにも思う。

ひるがえって、自分の人生に思いをはせる。すでに50年が経過した。
人間50年という言葉もある。いやいや、100歳時代が到来したという話もある。

私の人生という旅の終着点はどこだろうか。
故郷大分を離れ、小次郎君という愛猫と沖縄での暮らしの最中。7歳くらいの小次郎君が飼い猫の平均寿命の15歳くらいまで生きてくれたとしても、残り8年である。
人々がロードムービーに惹かれるのは人生の縮図をみるからだろう。

偶然に出会った私と小次郎君。大分県の臼杵市のとある場所で、冬の寒空の下、車のボンネットに入り込んでいた子猫。ボンネットでか細く泣く声を聴き、取り出して、さて、どうしようか。おいていけば、凍え死ぬか、また、誰かの車のボンネットに入り込み、焼かれて死んでしまうくらいしか想像できなかった。おもわず、連れて帰る。そんな偶然の出会いである。たまたま行った場所である。5分ずれていれば出会わなかったであろうタイミングに運命を感じたのだ。

同じように保護した、ムサシ君、おつうさん、こじこ。それぞれ約12年の寿命で旅立っていった。

1bike1worldさんに心が動くのはつい自分に投影してしまうからなんだろうと思う。

そして、終着点がどこであれ、本当の価値があるのはその旅の過程にあるのだとおもう。

異国の地でその日の寝床をようやく用意し、月明かりに照らされた野営地において、愛猫と共に寝る。その体験はどんな事よりも価値があるのだろう。

南城市にて、目の前に広がる海を望みながら、潮風と波の音が駆け抜ける部屋で、パソコンの机の上に小次郎君がよりそうなか、この記事を書いている。特別の出来事ではないだろうが、なんという価値ある時間だろうかと、思いを巡らすのだった。



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