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知恵の悲しみ

鴨頭氏と立花氏のコラボ講演の動画がすぐに無料で全公開されていた。

二人のフリートークのような講演会であるから、いわば、トーク力のバトルのような様相であった。

たとえば、さんまとまっちゃんのトークなどの場合、それぞれが自分のペースで話そうとするから、相手の話に乗っからずに、やろうとする。

だから、聞いている方は、話が進んでいかないイライラ感がある。

朝まで生テレビなどはその典型で、発言を遮りまくり、司会者の田原さんも率先するから、見るのに疲れるのだ。

今回の二人のトーク、聞いていて感じたのは、立花氏が圧倒していたように思う。立花氏がゲストのような形であるから、それでいいと思うのだが、二人の話のリズムの違いに気がついた。

鴨頭氏のトークはずいぶんと聞いてきたが、最近思うのは、1分で済む話を20分、飽きさせずに聞かせる力のある人だと思う。理解力が低い時期にはそんなに気にならなかったのだが、ずいぶん聞いていると、聞いたことのある話も多くなっていくので、いくぶんクドイと感じる部分もある。そして、聴衆に問いかけるトーク。これがウザく感じるような自分がいた。

一方、立花氏のトークは、テンポがいい。そんな感じがある。とはいっても、立花氏のユーチューブも沢山見たので、クドさを感じてくるのも時間の問題だろうか。

ただ単に、たくさん触れすぎて、新鮮さを感じなくなってきた、という事だろうか。

知りすぎる事の不幸とでもいうべき現象だろう。

開高健の名言に知恵の悲しみというものがある。

開高健がイギリス旅行したときに食べたフィッシュアンドチップス。あまりのうまさに感激した記憶が残っており、しばらくぶりにイギリス旅行に行った際にまた、その店に行き、ワクワクして食べてみたら、それほどうまく感じなかったという。

年齢を重ねる度に、1年はあっといまに過ぎ去っていく。

生まれて初めての体験というのがどんどん少なくなってくる。

バンパイアの映画でも300年生きて、不老不死というものの悲劇を感じるというシーンもよくある。

しかしながら、わかったようなつもりになっているだけで、瞬間瞬間の自然の美しさに気がつく心が足りなくなってきたという事かもしれないのだが。

鴨頭氏と立花氏のトークを聞いて、なぜか、こういう着地点にたどり着いた。

あれだけマイブームだった「大自然の小さな家」もシーズン2あたりから、物語の構図が見え始めて、先読みが出来るようになり、ああ、シーズン1でパターンが出つくしてしまったんだなと感じる。観客を飽きさせないように、悲劇が演出される。そんな意図を感じるのだ。

立花氏も公党の党首になり、議員になり。そこで、次の目標を模索しはじめているようだ。ユーチューブという世界がメインストリームになりつつある状況であるから、NHKはぶっ潰さなくても、テレビ業界自体が消滅していく事が見えてきたからであろう。彼が先に飽きてしまうか、我々が飽きてしまうのか。

鴨頭氏も、ユーチューブ登録数102万人を公約のように掲げて奮闘してきて、もうじき実現しそうな状況にある。さて、つぎはどこに向かうのか。
彼が飽きてしまうのか、我々が先に飽きてしまうのだろうか。




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