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すべては最善のために起きる

この世に偶然といわれるものはないとする。

例えば、よくない出来事が起こった時に、この考え方はぐらつく。

いろんな偶然の形をとった必然から、とある物事を決定したとしよう。

その結果が最悪の状況を招いたとする。つい、我々は、ああ、選択と決断を間違えたと後悔しはじめる。人間不信になったり、これまでの自分の経験が無意味だったのかと、自信喪失の状態にもなる。

であるから、選択する場合、正解と不正解があると考えがちであり、できるだけ不正解の決断はしたくないと思うのは無理もない。

しかし、ここ最近、いろんな学びを得るにつれて、すべての選択はすべて正解ととらえるという概念に出会った。

最悪の状況になったとしても、最終的に最善に向かうために必要なプロセスであるらしい。

例えて言えば、カーナビで目的地を設定する。最善のルートが表示されるが、10m先左折ですと言われて、右折しても、すぐに、再計算されて、右折するのが決して不正解ではない。すべて正解であるのだ。多少到着時間に差はでるが、そのルートを通ることによって経験値が増える。

人生とは最短最速でゴールに到達する事が究極ではない。目的地に向かっていく過程が人生の醍醐味であるのだ。

加えて言えば、その人生のシナリオは自分で決めてサインしてから生まれてきたという概念がある。

前世の記憶を持つ、半身不随になった方の話を聞いた事がある。生まれる前に真っ黒な箱を選んだという。選ぶ前に、神にこの黒い箱の人生は誰も選ばないけどどういうものですか?と聞いたらしい。神は、これは本当に勇気のある人しか選択できない人生だが、そのかわり、この人生を経験することで、大きな魂の成長があるという。それを聞いたうえで、その箱を選んだという。しかし、あまりにも過酷だから、そんな人生を選んだ自分に後悔する気分が時々でてくるらしいから、もう、あまり聞かないでくれ、という状態らしい。

人生に偶然はなく、どの選択も正解である。

過酷な状況になった時に、その状況を受け止めて、必要な学びを得ていないと、何度も同じような体験がやってくる、という説もある。課題をクリアするまでループしている可能性があるという。

ほんとかどうかは定かではないが、ひとつの考え方として、腑に落ちる部分もある。

そして、すこし気分が楽にならないだろうか。

どんな状況であっても悲観せず、ああ、最善のために必要なプロセスなんだなと受け止めて、笑顔をつくり、立ち向かう。

打つ手は無限にある。そう思いたい。


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