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両親との残された時間の過ごし方

昭和11年生まれ83歳の父と、昭和15年生まれ79歳の母。大分市で、仲良く安らかに暮らして頂いている。

父は昨今、認知症の様相を強めてきており、母が支えていけるのかどうか怪しい状態になりつつある。数年前に大腸ガン疑いという事で手術も受けた。それ以外では、元気一杯ではある。

母は数年前に動脈乖離で倒れ、人工弁を入れて助かり、その後、肺がん疑いで手術している。術後の経過は問題ないのだが、人工弁のために血液の粘度を抑える薬が必須となっているが、その分、出血した場合、止血できにくい状況となる。先般、風邪によるひどい咳の際に、腹腔内での内出血があった。止血できにくいため、腹腔内で血だまりとなり緊急入院した。
無事に退院し、慎重に暮らしている。

母の入院時、父1人の生活はおぼつかない。長年、亭主関白であったため、極端にいえば、一人では生きていけない。

幸い、妹夫婦が車で10分くらいの距離に住んでいるため、もっぱら妹がサポートしてくれている。

さて、まともな会話が成立しなくなった父と、年相応にものわかりが悪くなった母。心配するあまり、きつい口調で対応してしまいがちである。

さて、ここで、考えてみた。

父母は、生まれたてでなにも一人ではできない我々子供たちにどう接してくれただろうか、と。

おそらく、泣くしかできない我々にイラつく事なく、大事に育ててくれたに違いない。

イラつく必要はないな、と感じ始めた。

そして、残された両親との時間を、どのような時間にすべきか、と考える。

きつい言葉をかける必要性はまったくないな、と。

そして、両親には、残された人生のなんでもない日常を、丁寧に、味わうように暮らしてもらいたい、と思う。

朝起きて、なにげない二人の朝食。あったかいご飯とみそ汁と納豆と塩鮭くらいで充分であろう。しかし、丁寧に、ゆっくりと。

ついつい、自分の不安を解消したいがために、管理しやすい方向に誘導したくなるが、手間がかかってもいいではないか。

毎日電話して、なにげない会話をすればいい。そこで、なんらかの異変にも気がつくはず。近所にいれば、五分でいいから顔をだせばよい。

我々が子供の頃は、その程度では済まないくらい手間をかけさせてきたのだから。

親の世話をしてあげている、になっていないか。もし、そんな気持ちが強いと、こんなに心配してあげているのに、と、攻め心が生まれる。

自分がしたいから親の世話をしているだけ。ただそれだけ。これだと、どんな反応が出てこようが攻め心はうまれないはずだ。

ひるがえって、今度は兄妹間の話。

数年前まで、私が両親の側に暮らし、両親をはじめ、祖母、親戚の老人達のために、病院の送迎だの見舞いだの、一手に引き受けてやってきた。
老朽化した実家の建て替えも私が行った。なんで、自分だけが、という、兄妹に対する攻め心はずっとあったのは事実である。

しかし、今、大分を離れ、沖縄にいる私が出来ることは限られている。妹家族がいてくれている事への感謝しかない。

両親の事について、兄妹でわめきあう必要もない。それぞれが、自分のやりたい親孝行を自分でできる範囲でただ、楽しくやればいいのだ。

出来る限り、残された時間、両親に向き合うときは笑顔とやさしい言葉でいよう。そう思うのだった。


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古後信二

建築家。株式会社ペンタグラマー/代表取締役、日本建築家協会沖縄支部/幹事長(総務委員長)、WAOJE沖縄支部/理事、浦添市倫理法人会/専任幹事、南城市商工会/会員。グッドデザイン賞10回受賞を含む120件オーバーの建築作品受賞歴。

「偶然を見つけたら、追いかけてみる」

シンクロニシティ現象に出会ったあと、どのようにして追いかけていき、どのような現象に出会ったか、という実践の記録。書籍化を見据えて行きます。
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