「誰にどうみられるか」問題、現在の着地点
インターネット上で何かを書いたりするとき、長らく自分の中で引っかかっていたこと。
「わたし」がどういうふうに受け取られるのか。
こう見られたい、という狙いみたいなものはなかったけれど
これでいいのか?という手探りな感じはずっとあった。
「○○なだけが自分じゃないけど、それでいいのかな?」みたいな。
だけど、全部を知ってもらおうとすればまたカオスなわけで、ぐるぐる、ふわふわと落ち着かなかった。
それがやっと、「まぁいっか」と思うにいたりました。
なんかね、もういいやって感じで。
こう見せたい・見られたいって意識がないんだから、そこをコントロールできる自分じゃないんだよ。
色々、ぽろぽろと出ていっちゃうので、見たいものだけ拾ってもらえればいいやと。
仕事も創作も他のあれこれもぜんぶ私であるということだけは確かなので。
アカウントごとに自分を切り分けることが、あまりにも難しすぎた。
そんなわけで、もっと気楽にいくことにしました。
傍から見たら変わりはないと思うけど、自分としては「この問題でもう悩まなくていいんだ~!」と清々しい気持ち。
SNSやプラットフォーム色々、気ままにやっていきますので。
適当にお好みで受け取っていただけたらと思います。
◆いつまでわたしは、電脳上に残れるだろうか
これも、長らく思っていること。
特に最近は、TwitterをはじめSNSの立ち位置が揺らいできていて。
インターネットを介さないとつながりにくい人もたくさんいるけど、インターネット以外のつながり方も考えていかないとな~なんて思い始めています。
インターネットを介さない、だとまだ難しいかなぁ。
ひとまずSNS以外の何かを試してみたいなーなんて思っています。
まだしばらく、きっかけはSNSに頼ることになるだろうけど。
文学フリマだけじゃなくて、もっと小さな自作本の交換会だとか、ネットプリントだとか。
作品の置きどころはネット上じゃなくて紙だけにするとか。
そんなこともちょっと考え中。
行動に移すのは先になるかもしれないけども。
私はネット上が好きとも嫌いとも思っていなくて、つながったり出会えたりするからそこにいるだけなんだよね。
これは、すべての場についてもいえると思う。
私にとっての場、居場所みたいなもの。
それはけっきょく人と人の間にしかない。
ツールであるSNSを居場所として使えるかは、人による。
私はたぶん居場所にするところまで昇華できない。
がんばればできるかもしれない。
でも、がんばれるかが非常にあやしい。
ひとまず今は、いくつかのSNSを使いながら。
後と先のことは、時が来たら動きます。
◆SNSアカウント色々
◆仕事も創作も雑談もする(note、Twitter、音声配信)
・note
・Twitter
https://twitter.com/waiwaipenpan
・音声配信
standfmというプラットフォームを利用しています。
◆創作と活動のお知らせメイン(Instagram)
・Instagram
◆創作物
・BOOTH
なんやかんや、ここが通販のメインになっています。
・pixiv
現在は試し読み置き場になってます。
noteを試し読み置き場兼ねればよくないか?と思ったりしてるので、更新はしないかもしれない。
・架空ストア
匿名配送希望であれば、BOOTHよりこっちのほうがお安いです。
(現在、プレイグラウンドは取扱無し)
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