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あたまを整理していくね


占い師としてココをカードの考察なり占いとはみたいな自分なりの占い師としての心得的なところ、鑑定してみての感想などを書いていたのだが今回は番外編である。私の頭の中を整理する必要がある。これは一体どういうことなのか。私が占いをツールとして活用するためにもきっと必要な作業であり今後もこの課題と向き合わなくてはいけない。明確だ。

困った私の恋愛のいろいろ


「恋は落ちるもの」というが本当にそうである、と実感してしまった。
その時点で私は敗北なのだ。負け戦なのだ。だから争いたくはない。
争いたくはないというのは傷つきたくないと同意である。
おかしな話をしているのかもしれない。ただ、ここでは何者でもない個人として見てほしい。きっとその方が滑稽だろう。
とはいえ、立場として私を知っている人からしたら「母であり女性であり人間であり」という視点は外せない。わかる。だってツイッターでさんざんつぶやいているからな。母であり、は言い訳には都合が良すぎる。
でもこの先を考える上では無視できない状況ではある。そこから土台が出来ているので、個人として考えることがなぜ滑稽なのかは私としての存在を否定するからだ。何を言っているんでしょうもっとわかりやすくいえよって感じだな。わかる。本を読まないから文章が散らかりがちだ。
さて、本題だ。恥ずかしくてなかなか本題に入れないとはじれったいやつだ。いつもの友達が友達として無くなってしまった。今の私には前のようにその人を見る自信がない。どうして行けないって言われたんだろうどうして先に帰ってしまったんだろう、私がいったい何をしたんだろう、私の何がだめなんだろう。。。考えるほどにちょっとしんどくて一日中寝て過ごしてしまった。私が恋愛について傷ついている時は大抵寝ている。ベッドから起きたくないし起きたら考えてしまうから。記憶から消す薬があればいいのに、と何度思った事か。出来ればリセットしたいとも思う。好きな相手に巡り合えたのは恋愛厨からしたら素敵な事なんだろう。私にしてみたら地獄だ。どうしてあなたなんだろう、と。とても悩ましい。本来ならたまたま居合わせて飲むだけの間柄だったのに、今じゃ気になって仕方がない。今日はいるかな、いないかな。そんな理由で店に出向くのがとっても嫌なことでもあった。

酒に酔った人の話は信じない

飲みの場での発言なんてあくまで酒の力だ。そこにどんな真実があるかなど不確定すぎて信じる気にもなれない。本心が出やすいとあるけれども果たしてどうかな。たとえ酒が背中を押したとしても。酒のせいで記憶が飛ぶことだってある。あれ、あんなこと言ったっけ?したっけ?私はその類の飲み方をするのでまったく信じないのは相手にも言えるな、ということである。
それが本心だったらなぜ何も進まないのだろう、とも思う。
気持ちとは言葉よりも行動に出る、と私は思う。だからこそそこの矛盾が私を苦しめるのだ。あれは嘘だったんだ、と気づかされてならない。
額面通りには受け取れないのだ。二日酔いの中にくれたラインを思い出そう。私の何かを知りたいみたいだ。知ってどうするのだ。私の何かを知っても「ああそうか」としかならんだろう。ではあなたの何かを知ったとしても「ああそうなんだね」としかならんだろう。知りたいとは。私は知りたくない。仮に「僕は自分から告白するタイプ」というのがわかったら「どうしてしてくれないんだろう」と思い知らされるからだ。彼は頑固者。ちょっと古い考えもするしなんならめんどくさい。しまいには「好きな人としかしない」なんていう人だ。ちょっとめんどくさそうでもある。これが本当ならばどうしてあのとき。。。なんて考える。とか言うと別にしてないんだからな。ちょっと触れ合ったってだけだからな。いつもの自分ならきっと彼の思うがままにしていただろう。それが例え嘘だとわかっていても。嘘でもいいし何でもいい。たいして私には関係なく、したかどうか、が大事だったりしたのだ。が、あの日どうして着いていかなかったのか。酔っぱらってしたくなった人のにやけ顔と似ていたからだ。そんな顔をされたんでは私がいくらそのようなモードでも覚めただろう。実際、なんかいやだな、というのを過ったので「今日は帰るね」と近くまで送ってもらったのだ。
とはいえ、もうそんなチャンスが巡ってくるとも限らない。二度とないとも思っている。どうせ、傷つくのがA・Bの選択肢の先に待っていたのならば、したってよかったんじゃないか?なんてちょっと損した気分にさえなってくる。
損ってなんだよ。上げ膳食わないとはなんてもったいない、って発想だな。でも絶対違うけどな。けどやはり、関係性としては「先には進まない」のは確定路線だったと思う。今、少なからずの希望がゼロではなさそうなのはしなかったから、というのは大きいのかもしれない。

お付き合いってなんですか

中学生の恋愛相談室じゃあるまいし。「好きという事はお互いに確認し合ったのですが、だったら具体的に何か変わるものなのでしょうか。毎日帰るとか図書館で並んで勉強するなんて友達の時にもしていたし。手をつなぐ、のはきっと許されるのでしょうが、まだ中学生なのでその先というのはしない方が身のためだと思います。だったら付き合うっていったい何なのか。教えていください恋愛マスター」というような内容のメールをしたいくらいには私だってわからないですよ。中学生ではないのでその先なんてのはたとえ好きと確認しなくてもそんなの別腹でやれるってもんです。というくらいには腐っている物体でもあります。じゃあ、何を中学生みたいなことを言っているんだ、と思いますよね。私もね、んじゃ何か変わるんですか、ゴールでもあるんですか。スタートしたからにはゴールがあるんですよね。みたいなことですよ。大人にもなれば階段なんてのはどんどん駆け上っていくこともできます。ですが、それがまっすぐに伸びた階段ならば。私はそうじゃない。先も言った「立場」ですよ。まず、母である、というのは、子供がいるんですね。子供がまず第一ですよ。どんなことがあれ。絶対です。彼らの時間をまず優先しなくてはいけないですね。あほでもわかります。
では、これらが無い立場の人。純粋に自分の都合で恋愛を考えられる人がお付き合いって何ですか?となった場合に想像できるストーリーがありますね。ありますよね。それは「結婚」「子供を持つこと」ですね。
時間とお金を使ってお互いにそれに向かって進みますね。ワンチームとなれば絆が生まれお互いを大事に思えてならないでしょう。それが出来れば幸せですね。ですが、私はそうはいかない。結婚も子供も不要なのです。彼のために子供を産む?その選択肢は私にはないですね。仮にそう言われてもノー一択です。たぶん、その発言が出た時点でゲームオーバー。他の人を探してください、となるでしょう。だからこそ、お付き合いって何ですか?なのですよ。この問題は、何も彼に限ったことではないです。さんざんこれまでの恋愛を通してシミュレーションしてきました。どんなに考えてもどんなに相手と一緒にいたいと願ってもこればっかりは譲れないことなのです。子供が優先、結婚しない、子供も作らない。じゃあ私にとってのパートナーってなんなんでしょうか。心の支え?それは素敵ですがあまり支えにならなくてもいいかなとも思います。困ったらたぶん、一人で自問自答して答えまで出しますから。愚痴はいつもの店に行って話せばいい。あとは時間が何とかしてくれる。友達に話してもいい。手はあるのです。彼以外のね。
触れ合う時間が必要なのか。それもまた微妙な感じがしてならない。
だったらそのような相手にしてしまえばいい。とはいえ、じゃあその人とその時間を過ごすのに自分の睡眠時間を削れるか?と言えばノーである。
素敵な店を見かければ確かにあなたと行きたいな、とも思うけども、それには時間とお金がかかる。ケチりたいわけではない。必要だから。
ただもう、約束をしたりしていわゆるデートはちょっとめんどくさい。
時間を作るのが億劫だからだ。相手がどんな人であれ、私が彼と一緒に過ごせる時間が確約されても、ホイホイと時間を作るかと言えばきっと違う気もしないでもない。どこまで「恋人」として向き合えるか。私の課題なのだろうが今は放棄したい。

向き合えない理由とは

これが一番の核心かもしれない。相手に向き合うという事は恋愛に向き合う事である。恋愛に向き合うという事は、過去の痛手をまた負うかもしれないというリスクがあるということでもある。自分はもうさんざん傷ついた。だからもう恋愛のそれはどこかに捨ててきた、はずだった。
やはり恋愛は相手ありきで自分がそう決めても相手が登場してしまえば自分の決め事なんてのは覆されてしまう。ずっとそういう視線で男の人を見てきてなかったのに。それは逆に言えば見るに値しない人たちだった、ということでもある。なぜふと、現れてしまったのだろうか。たとえ、どんなにいい男でそういう目線で見ようとしても、出来なかったのも事実だ。あえてそうして「やっぱり私には恋愛なんてもう不要の産物なんだわ」と思うことでほっとしていたのかもしれない。傷つかないという保証が出来るわけだから。
実に困った話だ。と改めて思う。気持ちと現状に乖離があると言っていい。
いつも失って思うことは同じだ。「二番目がちょうどいい」と。
かなり不謹慎ではある。でも、本当にこれくらいがいい。というのも、私が相手に対しして一番にはしてあげられないからだ。だから私の事も一番ではなくて二番目三番目くらいがいいと考えたのだ。だからってあえて彼女持ちや妻帯者を狙うなんてことはしません。絶対にしません。リアルにそれはめんどくさすぎ。リスクしかない恋愛過ぎてそこはいかないでしょ。
卵が先か鶏が先か、問題なのだが、母親だから先に考えることがあってそうなのか、そもそも傷つきたくなくてそうなのか。私がどちらが先かちょっとわからなくなった。母親だから恋愛なんて二の次三の次なのか、恋愛なんてろくなことがないと考えてのそれなのか。たぶん、後者だろうな。
母親なんてのは都合のいい言い訳だ。だとしたら、私単体の問題である。
私に問題があるから、好きな人に去られたのだ。たったそれだけのことだ。
コントロールできなくて、おかしなラインをしてしまった。別れる時もいいよとやっぱりだめを秒で繰り返すくらいには不安定だった。仕方がないよ、と言われても。やっぱりどうかと思う。だからだ、本当に好きって思えてしまったあの人を同じ位置に立たせたくない。過去の苦しみをあなたから与えられてしまえばもう私は生きていけないだろう。そうだ。そうだった。
やっと、こうして文章にして、やっぱりそうだったと思えてならない。
あなたからの苦しみに私は耐えられないのだ。それがまだ関係性が変わっていないであろうこの現在地で少しでもダメージを少ないまま終わらせることができる。そう、引き返すなら今だ。私は愚かだ。
あんな日がまた訪れるなんて、ごめんだ。今回ばかりは立ち直れそうもない。目に見えている。だから、だめなんだ。進みたくない。進ませなくていい。本当は、好きと言ってしまうだけでもよかったんじゃないか、と伝えようかとも思っていたが、それはやめた。好きと言ったら欲が出てくるからだ。私にとってのお付き合いは「欲を満たすため」だ。そういう欲ではなくて、私のために何かしてくれるあなた、を欲するのだ。よくない。
それを満たされないと途端に不安になる。不安になると破滅する。困らせることで試してみる。相手は疲れる。もうどうにでもなれ、だ。
そうやることで、自分の価値観を肯定して満足する。あなたに選ばれた私
そんなもののために自分の心がかき乱される。まったくもって不健康だ。
不健康極まりない。自己肯定感を自分で満たすのは難しいけれども、実は重要ではなかったりする。でも、特別な他人が現れることによりそれがいかに重要なことになるのか。そこか。。。私の恋愛において自己肯定感爆上がり案件という認識をなんとかする必要があるのか。もし、今後、恋愛をするのならば。ではその認識をどう変えていけばいいのだろう。
疑問に思ってはいけない。そのつながりを二人の歩みに対して。もし、他とは違う時間の流れ方であったとしても。
それでも愛されたいという気持ちが強くなるだろうか。そう思えるような実感が欲しいと。それもまた欲である。
なぜそれでも同じ過ちを繰り返してしまうのだろうか。もっと素直になれないのだろうか。まだそこの欲を気持ちいいと思ってしまうからだろう。
次に会う時は、普通で居たい。いつもの自分でいたい。
先に帰ろうが何しようが私には関係ないと思いたい。

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