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アポロの子

今月号の特集記事を書くため中須賀先生にSkype越しにインタビューした時、アポロの思い出を楽しそうに、懐かしそうに語る中須賀先生を見ながら、僕は強い羨望の念を抱いた。

僕はアポロ計画が終わって10年後に生まれた。図鑑でアポロを知った世代だ。本がボロボロになるまで何度も読んだ。サターンVロケットの全長だとか、アポロ宇宙船の各部の名称だとかを、全部記憶していた。紙をセロハンテープで繋ぎ合わせてサターンVとアポロ司令船、機械船や月着陸船を作った。ロケットは子供部屋の地球儀のケネディ宇宙センターから飛び立ち、リビングに置かれたボールの上の静かな海に着陸した。僕の心は震えた。

それは孤独な興奮だった。興奮を分かち合う友は、誰もいなかった。当時の小学生が熱狂していたことといえば、ファミコンのストリートファイターIIだとか、新しくできたJリーグだとかだった。友達にボイジャーの海王星フライバイやマゼランの金星探査の話をしても、誰も興味を持ってくれなかった。

それどころか、2000年代になるとどこかのテレビ局のせいで「アポロ捏造説」なるものまで流布されだした。当時付き合っていた彼女もテレビの流言を信じ、僕は悲しい気持ちになった。当時建設が進んでいた国際宇宙ステーションよりも、ブリトニー・スピアーズの新曲の方がはるかに多くの若者を興奮させた。そういう時代だった。

1969年は、きっとそうではなかった。「世界中がアポロ一色だった」と中須賀先生は振り返る。普段は宇宙に興味のない人たちもアポロの話題で持ちきりだった。世界中の家庭で、バーで、小学校の教室で、アポロの話がされない日はなかっただろう。ああ、僕の少年時代にアポロがあったなら!

そもそも、世界が一つのことで興奮を分かち合ったことが、人類の歴史で幾度あっただろう。休むことなく反目し合ってきた国や民族の、違う世代、違う思想、違う宗教、違う人種の人たちが、同じ方向を見、同じ興奮を分かち合い、同じ目標を応援したことが、それ以前にも、それ以後にも、一度たりともあっただろうか。もしかしたら1969は人類の歴史の特異点だったのかもしれない。それを生で体験できたなら・・・。もしタイムマシンを一度だけ使えるならば、僕は迷わず1969と押すだろう。


あれから50年。いまだにアポロは宇宙開発の歴史に燦然と輝いている。

だが、専門家の間では、アポロ計画への評価は分かれる。

僕の恩師でもある中須賀先生は、今月号の特集記事で、「アポロは宇宙開発のいろんなことを歪めた」と評した。NASA JPLの同僚の石松さんは本メルマガ4月号の「マンスリーデルタV」で、「アポロは失敗で、スペースシャトルこそが成功だった」と書いた。

彼らの主張はその通りだ。ソ連より先に足跡を残して旗を立てさえすればいい、そういう考えでアポロは設計された。だからアポロが終わった時、その先へステップアップするためのインフラを何も残さなかった。またゼロからのスタートである。それが、アポロから50年間、人類が再び月に戻っていない大きな理由の一つである。

だが、僕は中須賀先生や石松さんの考えに必ずしも同意しない。国営の有人宇宙開発としては、アポロのやり方は間違っていなかったと思う。

政府主導で行う有人宇宙開発の意義は、結局は象徴的なものだと思う。科学探査ならば無人でやった方がコストパフォーマンスが良い。インフラ建設なら民間主導にするべきだ。未だかつて、政府主導の大型インフラ整備計画が効率的に行われたためしがあったか。

アポロは象徴的意義を、その莫大な予算に十分見合うほど果たしたと思う。アメリカという国、そして人類全体があの「小さな一歩」によって得た誇りと自信。その価値はいかようにも代えがたい。世界があれだけ熱狂した。炎天下の大阪万博で人々は4時間も並んで月の石を一目見ようとした。すごいことではないか。


さらに大事なことがある。

たしかにアポロは、インフラは一切何も残さなかった。

だが、人を残した。

アポロに胸打たれて科学や工学の道を選んだ少年少女が、どれだけいただろう。いわば「アポロの子」たちだ。中須賀先生がその一人である。中須賀先生に教えを受けた僕は「アポロの孫」だ。もしアポロ子たちがいなかったら−たとえば中須賀先生が切り拓いた超小型人工衛星の技術は何年も遅れていただろう。今の僕もなかっただろう。

何より大事なのはモノではなく人だ。正確な統計は取りようがないが、アポロがもしなければ、人類文明は、いはんや人類の宇宙進出は、どれだけ遅れていたか知れない。

アポロから50年が経ってしまった。時代は「次のアポロ」たる象徴を渇望している。それがなければ、50年後の人類の歩みは失速するかもしれない。

では、次のアポロとは、何だろう。


僕は、ふたつあると思う。

ひとつはもちろん、有人火星探査だ。これは2030年から2040年代になるだろう。まだまだ先だ。

いまひとつは地球外生命との遭遇である。これがいつ起きるか、予想は非常に難しい。早ければ、2021年にMars 2020 Roverが火星に着陸し動かぬ証拠を見つけるかもしれない。2020年代後半には火星からサンプルが帰ってくる。その中に何か見つかるかもしれない。あるいは2030年代に構想されているエウロパ着陸機が、氷の中に生命の証拠を発見するかもしれない。

「アポロの孫」たる僕はMars 2020 Roverとエウロパ着陸機に携わっている。地球外生命との遭遇は、もちろんその科学的意義も計り知れない。だがそれだけではなく、それに興奮し、熱狂し、そして科学技術の世界へと魅了される「アポロの曾孫」たちの姿を、僕はぜひ見たいと願っている。


© 小野雅裕 | NASAジェット推進研究所・技術者・作家。

NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。


『宇宙に命はあるのか 人類が旅した一千億分の八 』
「宇宙に命はあるのか」はNASAジェット推進研究所勤務の小野雅裕さんが独自の視点で語る、宇宙探査の最前線のノンフィクションです。人類すべてを未来へと運ぶ「イマジネーション」という名の船をお届けします。
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