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銀河は愛で溢れている

先週は大発見のニュースが相次いだ。

9月11日、110光年先にあるK2-18 bという惑星の大気に、水蒸気が検出されたと発表された。

もちろん、これをもってこの惑星がハビタブル(居住可能)だと決まったわけではない。生命や宇宙人がいる可能性を議論するのも早すぎる。地球の約8倍の質量があるそうで、地球よりもむしろ海王星に似たガス惑星なのではないか、という予想もある。

それでもやはり想像が膨らんでしまう。そこに何があるのか、何かいるのか、と。

9月9日あたりから騒がれ出したもう一つのニュースがある。8月30日に発見されたばかりのC/2019 Q4 (ボリソフ彗星 )の軌道を2週間弱にわたって追跡したところ、離心率がおよそ3もあった。離心率が1を超えていると、太陽の重力に縛られていない天体ということだ。つまり、この彗星は太陽系の外から来たことが濃厚なのである。2017年のオウムアムアに続く、二例目の恒星間天体だ。今年末に太陽に0.9天文単位まで接近した後、また太陽系外へ飛び去ってしまう。

いったいどこから来たのだろう。遠い遠い、もしかしたら人類がまだ知らない恒星系で生まれ、巨大惑星に弾き飛ばされた後、何万年、もしかしたら何億年も深宇宙を孤独に漂い、偶然太陽の重力に捕らえられて、ほんの一瞬だけ我々に姿を見せ、そして去っていく。

かつて人類がボイジャーに「宇宙人への手紙」(ゴールデンレコード)を託したことを思い出す。もちろん可能性は極端に薄いが、もしかしたら、この彗星に何かメッセージが託されてはいまいか、と想像してしまう。おそらく手紙やレコードはあるまい。しかしこれから数ヶ月間、ボリソフ彗星を望遠鏡でつぶさに観測することで、この小さな氷のかけらの生まれ故郷について多くの情報が得られるだろう。そこには何があるのだろう。そこに何かいるのだろうか。

そんなニュースを聞くと、ふと考えてしまうことがある。

なぜ僕は地球に生まれたのだろう、と。

なぜかはまったく分からないが、気がつけば僕は、20世紀の地球に「小野雅裕」と呼ばれるホモ・サピエンスとして生まれていた。

この「僕」という存在が、他の生き物として生まれた可能性もあったのかな、なんて思う。他の人だったかもしれないし、鳥や獣や虫として生まれていたかもしれない。

あるいはもしかしたら、K2-18 bに生まれていたかもしれない。「僕」はどんな姿をしていただろう。肌が緑色で、手足が6本あって、アンテナが頭に2本生えていたりしただろうか。

ヒンドゥー教や仏教には輪廻転生という概念があって、この命が消えたあとに別の生き物として生まれ変わるという。生まれ変わる先は地球に限るのだろうか?プロキシマbやトラピスト1fに転生したりはしないのだろうか?僕の前世は火星やエウロパの微生物だった可能性もあるのだろうか?

もし「僕」が系外惑星の知的生命体として生まれていたら、どんな暮らしをしていただろう。

友人はいただろうか?オラウータンのように単独で暮らす生物もいる。でも僕はおそらく、宇宙人も地球人のように、多くの仲間や友人と頼りあって生きているだろうと思う。なぜなら文明という高度に複雑なシステムを築くには、多数の個体が分業し協力するのが必須だろうからだ。だからきっと宇宙人の「僕」は、仕事終わりにバーに集まり友人たちとの会話を楽しんだりしているだろう。ただし、その会話は、音声ではなく電磁波で交わされているかもしれない。

恋はしただろうか。もしかしたらミジンコやピッコロ大魔王のように無性生殖をする生き物で、誰でもひとりで子供を産めるから、恋もしないかもしれない。事実、「有性生殖のパラドックス」と呼ばれるものがある。どうして地球の高等生物のほとんどが有性生殖をするのか、考えてみればなかなか不思議だ。なぜかって、恋は時間と体力がいる。皆さんもきっと経験があるだろう。理想の相手を探し、勇気を出して告白し、失恋し、傷つき、気を取り直し、やっと恋人を見つけ・・・。それに比べて、無性生殖なら恋も結婚もせずとも、産みたいときに産める。種の繁殖戦略としてはこちらの方が圧倒的に有利ではないか。それなのに、どうして地球には有性生殖をする生物がはびこっているのか。それが、「有性生殖のパラドックス」である。

このパラドックスにまだ明確な答えが出ていない。しかし間違いないのは、有性生殖はそれにかかる時間とエネルギーを補って余りある進化論的メリットが絶対にある、ということだ。そうならば、遠くの星の知的生命も有性生殖をする可能性が高いんじゃないか、と僕は思う。きっと宇宙人の「僕」も恋をしたり失恋をしたりしていただろう。ただし、人間のように明確な男女の区別があるとは限らない。カタツムリのように雌雄同体かもしれないし、あるいはクマノミのように性転換ができる生物かもしれない。複雑な三角関係や四角関係がいっぱいできそうだ。

もし「僕」が宇宙人に生まれていても、娘にデレデレなのだろうか。産むだけ産んでサヨウナラという生物や、産んだら親はすぐに死んでしまう生物も多い。むしろ人間のように20年近くにわたって子育てをする種はきわめて稀だ。だが僕は、この特異的に長い幼少期と、それに伴う長い育児期間こそが、人類が知的生命となりえた最大の要因ではないかと思うのである。20年の間に子は多くを親から学ぶ。ごはんの食べ方、ウンチやオシッコのしかたから始まり、言語や知識、社会で生きる知恵、趣味や思想や哲学まで。「アヴェロンの野生児」の例のように、人は親、または親の代わりとなる大人の下に育たないと、体は人間でも心は知的生命たり得ないのである。

それにしても、子育ては本当に大変だ。お子さんのいる方は身に染みて分かっているだろう。でも毎日こんなに大変なのに、ミーちゃんを捨ててしまおうなんて思ったことは一度たりともない。それどころか、いつか来る、ミーちゃんが僕たちのもとから巣立つ日を想像するだけで既に泣ける。どうして人間は、こんなに大変な子育てを、20年間も続けられるのか。

言うまでもなく、愛があるからだ。愛があるからこそ人は20年もの苦行を喜んで受け入れ、それを幸せとすら感じるのだ。だから愛こそが、人類が知的生命へと進化する鍵だったのではなかろうか。

だから、宇宙人に生まれた「僕」もきっと、宇宙人の「ミーちゃん」にデレデレしながら生きていたんだろうと思う。

今日も銀河のそこら中の惑星で、大勢の子煩悩な宇宙人たちが、子育てに奮闘していることだろう。

銀河は愛で溢れているのである。

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