ミイラ展 何かが吸われる

絶賛公開中のミイラ展に行ってきた。
日曜日のせいか、凄く混んでいて、まともに見れなかったのが無念。

たくさんのミイラを見てミイラにチューニングを合わせて、新世界を見せて欲しかったのだが。
チューニング?
あ、説明しよう。僕は展示会に行くと作品にチューニングを合わせようとする。なぜこの作品をつくったのか?なんでこの色なのか?なぜこのデザインなのか?何をモチーフにしているのか?作り手の意図を類推するためにじっと長く見る。集中する。この行為を僕はチューニングと呼んでいる。

今回はじっくりが出来なかった。人だかりで長居が出来ない。また「つまりさ、埋葬の一種だよね、ミイラ」と言いながら歩く偉そうな若造や、「がはは、これは有名な奴だ、みんな手を合わせなきゃ、パンパン」という爺を観察する事になる。

ミイラは皮が干からびて変色もする。それも加味して手が加えられ、手を加える理由がある。
人の壮大な理由と労力に僕は惹かれるのだ。

ミイラ展に行ってから3日がたった。
ミイラの顔たちが目に浮かぶ。そして疲労感がある。脳の隙間に入り混んだ彼ら。

あと数日は僕の中に居座りそうである。チューニングは出来なかったけど、しなくて良かったかも知れない。

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