PERIKO

UXデザイナー兼主婦。旦那&ワンコと都内在住。'98 美大卒→デザイン会社→…

PERIKO

UXデザイナー兼主婦。旦那&ワンコと都内在住。'98 美大卒→デザイン会社→フリーランス→メーカー→シンガポール2年間滞在広告代理店→IT系→メーカー→外資IT系 #小説 #エッセイ #design #art #デザイン#40代

マガジン

  • 苔むさズ

  • みにがたり

    小説でもない。エッセイでもない。あえて言えば随筆(散文)。それをMini(みに)として気軽に書ける&読める「みにがたり」としました。

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「苔むさズ」#01

そこには、よく見ると全部で6人分のデスクと椅子が向かい合わせに片側3人ずつ座れるように配置された小さなデザインオフィスがあった。 真新しい12階建のビルの8Fを1フロア占領している大手出版社の編集部の片隅。 私がアルバイトで勤める小さなデザイン会社は、そこから港が見える1番大きな窓のある一角にスペースが設けられ、常駐する人数分の席が用意されていた。 このデザイン会社の本社は東京にあるのだが、 出版社では、扱う雑誌によってデザイン会社からリソースを数名常駐させる事は珍しくないら

    • 「苔むさズ」#10

      アッコと年末に会って数日すると、あっという間に西暦2000年に突入した。 ネット上やTVニュースでは連日大騒ぎになっていた「2000年問題」は結局のところ社会的に大きな傷跡を残すことなく数社の企業のシステム障害が報告されたのみだった。 2000年1月5日、仕事はじめの為私はいつも通り、キーンと冷えた港町の大通りを抜け、痛く麻痺した鼻の頭を擦りながらオフィスに向かった。 11時AM出社というゆるく適当なルールは早くも崩壊しているかの如く、私以外のデザインスタッフのデスクは静ま

      • 母の日に。

        1987年の春、私が小学5年生の時に、 母の生まれ故郷である鎌倉市のとある小高い丘上の住宅地に、両親は念願のマイホームを建てた。今でこそ見慣れてしまったけど、母が数々のカーテン生地やタイル見本ファイルやら照明カタログを山積みにしながら持ち前のコミュニケーション力を生かしてインテリアデザイナーや庭師らと一緒に着々と家を完成させていった。小学生の姉と私がクルクルと踊れる位幅広のキッチン、珍しくダークブルーのセラミックでできたバスタブと、丁寧に一枚ずつ敷き詰められた真っ白なタイル

        • ジャージャとダッシュ

          小学五年生まで住んでいたマンションは、鎌倉市の北端、藤沢市にほど近く、A、B、C、Dの4棟が中央の大きな公園を囲むように建っていた。南東から時計回りにA棟、B棟、C棟、D棟が並び、それぞれ真っ白なコンクリートの10-11階建てだった。縦長のゆで卵型状の公園を囲むように斜めに建って見守っている。 その殆どは、4人家族を想定した2LDKの間取りになっていて、当時のA,C,D棟は私の記憶する限り殆どが同じく、左右対称にコピーされた部屋が縦に何列か並んでいた。当時の団地と同じ作りだ。

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        「苔むさズ」#01

        マガジン

        • 苔むさズ
          10本
        • みにがたり
          2本

        記事

          「苔むさズ」#09

          あっという間に港の公園横にある大きなショッピングモールには、恒例の大きなクリスマスツリーが飾られ、おなじみのクリスマスソングが5階建のモールの吹き抜けに鳴り響く季節になった。私は幼馴染みのアッコが来るのを待っていた。 1999年12月。大観覧車は特別にカラフルなライティング、大画面テレビでは「2000年問題」関連のニュースが流れていた。 道ゆくカップルは、そんなことは御構い無しに余裕綽々で、ツイで歩いている事が唯一のステイタスであるかのように、我々シングルスには見えた。

          「苔むさズ」#09

          「苔むさズ」 #08

          9月も半ばを過ぎ、港には秋晴れのカラッとした風が吹き注ぎ、 夏場はジトジトと吹きだまった埠頭の水際は、ふんわりと良い潮風の香りすらした。 港近くに連なる、高く昇った陽を受けた古い70年代のビル群は、秋晴れの青空の乾いた白く舗装された道路に濃く長い影を落とし、その黒い影と白い海岸通のコントラストはまるでピアノの鍵盤の様に綺麗に配列されていた。 その70年代のビルヂングズは主に室内干しかほんの小さな物干しの付いた窓しかない場合が多く、ベランダがないせいか、大きな黒い四角い塊のよう

          「苔むさズ」 #08

          「苔むさズ」 #07

          ゴリさんの「秋の港でデート」特集の入稿と戻しの繰り返し作業は5-6回にものぼり、その後やっと責了となり、あとは刊行を待つのみとなった。 ゴリさんと2ヶ月近くペアを組んだ編集のヤマさんはこれまたベテランの体育会系男子でゴリさんと馬が合い、楽しそうに日々取材や撮影に忙しそうに動き回っていた。そこまでの二人の生き生きとした日々はこの1ヶ月間でいつのまにか、地獄の徹夜続きに変わり、二人とも口数が少なくなった。 ゴリさんは張り切って毎朝ドレッド風に仕上げるヘアスタイルも、ついには落ち

          「苔むさズ」 #07

          「苔むさズ」 #06

          埠頭近くのカフェでマイセンをふかしながら待っていてくれたショウタ君の顔は憔悴しきっていた。 「コーヒーでも頼んでから座りなよ」 とショウタ君が言うので、そのカフェでこの後2人がかわす会話とその結果次第で、その後の夕食の計画は私の淡い期待に反して、急遽なくなるのだろうと感じた。 「オケー。」 と、聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟くと私はレジカウンターへ行き、メニューからカフェオレを選んだ。 ここのカフェはロケーションが人気だが、出すものはお世辞にも評価できるものではない

          「苔むさズ」 #06

          「苔むさズ」 #05

          ゴリさん担当の「港でデート」特別号の制作が始まった。ゴリさんは、モトヒロさんやタケシさん、ノリコさん達と違って、アンダーグラウンドやプロディジーやオアシスなんかをかけながらあーだこーだ語ることもなく、ひたすらに雑誌デザインに神経を注いでいた。 ゴリさんがデザインオタクというのではなく、それはゴリさんが元々ラグビーやスノボー・サーフィンを愛するスポーツマンであり、そこに注ぐ真っ直ぐでストイックなマインドを、仕事においては単純に雑誌にスライドしているだけなのだ。 そして、私は

          「苔むさズ」 #05

          「苔むさズ」 #04

          コピー・ペーストや連続コピー、オブジェクトの整列や配置といったグラフィックデザイナーなら誰もが覚えねばならない基礎知識に加え、グラデーションを使った質感の表現方法などの少々高度な技を覚えるのにも、幼少期から好奇心旺盛だった私はそう時間はかからなかった。 人間、興味のあるものはスポンジの様に吸収できるのだ。 ただし、ここまでできるようになるには、仕事場にいる時間だけでは足りず、帰宅してからの深夜の復習を要した。 自宅の、高校時代から勉強机として使っていたチーク材のデスクには大

          「苔むさズ」 #04

          「苔むさズ」 #03

          ロンドンのファッションやアーティストにアディクトしているタケシさんの度々の毒舌や、モトヒロさんの夕方出社に慣れてきた頃、サヤさんともう1人の女性で20歳のリンちゃん、24歳のラグビー好きゴリさんとも打ち解け、それなりにぎこちないながらもチーム全員と交流が持てる様になってきた。 初日にコルクちゃんに案内されて通されたデザイン会社デスクも、1ヶ月も経てば毎日当たり前の風景になった。 3月も終わりに近づき、季節は初春に入った。 大きな窓から日中に差してくる太陽は、 2月の刺す様な

          「苔むさズ」 #03

          「苔むさズ」#02

          港がよく見える、真新しいビルの8Fで働く様になって1週間が経った。最寄駅からすぐ目の前に見えるのに、駅の周辺の道路工事のせいで回り道して行かねばならず、その10分程の徒歩の間に同じ編集部で働く顔見知りになったばかりのスタッフと気まずい空気で世間話をするのが苦痛だった。 デザイン部と言えば、初日に続々と到着した私以外の5名のデザイナーは男3名、女2名という構成で、皆20代。1番年上が27歳男性モトヒロさんだった。彼は早くて午後3時位にアクビをしながらジャンプを片手に登場した。

          「苔むさズ」#02