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「苔むさズ」 #04

コピー・ペーストや連続コピー、オブジェクトの整列や配置といったグラフィックデザイナーなら誰もが覚えねばならない基礎知識に加え、グラデーションを使った質感の表現方法などの少々高度な技を覚えるのにも、幼少期から好奇心旺盛だった私はそう時間はかからなかった。
人間、興味のあるものはスポンジの様に吸収できるのだ。

ただし、ここまでできるようになるには、仕事場にいる時間だけでは足りず、帰宅してからの深夜の復習を要した。
自宅の、高校時代から勉強机として使っていたチーク材のデスクには大きすぎて本体がはみ出し気味に置かれたPower Mac G3は、それこそ場違いな客の様に片隅に座り込み、同じく職場で場違いな私のことを心配してくれている様に見えた。
図形をいくつも作ってみては別名保存し、新しいデータに別のシリーズの図形を練習してみるという作業を続けていると、Macは困った様に体の奥からカタカタという音と振動を発し、私の様な不慣れなオペレーターによって不必要に作成された点や線を計算する為に、彼はいくつもの処理をせねばならない様だった。

一方、職場のPower Mac G3タワーもこの時期には息を吹き返した。彼もまた愚鈍な私のせいで、スキャナーとの接続のみを余儀なくされ、別の5台とは違う仕事ばかりを任され本来の能力を活かせきれなかった時期を乗り越え、ついに本業に戻ることができたのだ。

季節は梅雨に入っていた。港は開港記念の花火大会に向けてイベント告知のポスターで賑わっていた。編集部も「開港記念のデートならここだ!」特集を組む準備で大忙しだ。
そんな時に事件はおこった。

図形を描くような作業が身につき、雑誌のレイアウトに使う、QuarkXpressというソフトウェアの習得に励む私にとんでもない試練が待っていたのだ。

ノリコさんは私がアシスタントとして働くデザイン会社の東京本社に勤務する35歳のベテランデザイナーだった。繁忙期には空いたデスクに座ってサヤさんやモトヒロさんのサポートをしにくるのだ。
扱う雑誌が隔週や毎月のものだからか、皆の仕事に対するスピード感は、ど素人の私には驚きの速さだった。
ノリコさんら30歳半ばのデザイナーたちは、こんな毎日を10年以上続けているのだから、当然分からないものなどないと見えるくらい、蓄積された知識と経験値で、今目の前にある仕事を忘れない様にすることに必死な私には考えられないほど、センスとスピードを持ち合わせつつ悠々と雑誌のレイアウトをし、その間には別の会話を楽しみ談笑する余裕さえみせていた。

ノリコさんはタケシさんと同じくロンドンのミュージックシーンに傾倒する小洒落た大きなメガネをかけた小柄でシュッとした個性的な女性だった。
開港記念の特集が通常の特集よりも5ページ程多い、全35ページ程の大型特集になってしまったのと、ゴリさんが担当することになった港の周辺グルメ特別号の刊行が決まったことで、一気にリソースが足りなくなり、ノリコさんの様なベテランがアサインされた訳なのだ。

ある日、ノリコさんはその独特な鼻にかかったこもりがちだが大きな声で、なにやら東京本社のデザイナーと電話をし始めた。自分が東京本社で担当している専門誌のデザインの進捗と、自分のこちらでの様子を伝える電話だったらしい。
「へえ〜へえ〜へえ〜、うんうん。」と相槌が続いたあと、
「ちょっとぉ〜それよりさ〜聞いてよ聞いてよ。ここに子供が1人いるから大変なのよぉ〜」と話し出した。
仲良しのゴリさんやリンちゃんは、私の方を気まずそうにみながら苦笑いをしている。
「とんでもないのが来ちゃっててさ〜。やっかいなことになってるのさ。」
ノリコさんは私には一瞥もくれず自分のMacの画面をみながらペンを右手でクルクル回しながら楽しそうに話を続けている。

私のことなのだ。「子供が1人」というのは、ど素人で使い物にならない面倒なアシスタントがいるという意味。
ノリコさんと仲良しのモトヒロさんはノリコさんの電話が終わるのを今か今かとデスクの近くをうろうろしながらこれまた楽しげに待っている様子だった。
子供の話に続き、仕事の話に戻ってそれが終わると、ノリコさんは電話を切った。

「あのさ〜ノリコさんも本人目の前によく言っちゃうよね〜」とにやけるモトヒロさん。
「だってしょうがないじゃん、子供がいたんだも〜ん!ね、えーっと名前なんだっけ?」とノリコさんが悪びれもせずに聞くので
「エリコです」と答えた。
「あ、そうそうエリコってのね。早く成長しなきゃぁだ〜めよ〜」
「そうそう、子供なんだからチミはさ〜」
モトヒロさんは、何故かいつもに増してテンションが高く、違和感のある笑みを浮かべながら、ヒッヒッと肩を揺らしながら笑っているのだった。

そんな、「子供」事件が起きてからというもの、数ヶ月必死で覚えた基礎知識を踏みにじられた気持ちで、悲しい気持ちが続いた。
私は成長を遂げたと自分で感じていたのに、周囲はそれどころか子供が邪魔でもしていると思っていたのか。
そんな人間不信さえ抱き始めた。

そんななか、悲しい気持ちになると、
私はその頃持ち始めたばかりの携帯電話で、
彼のショウタ君に仕事の合間に電話をし、
愚痴をこぼす様になった。
その頃ショウタ君は3年間付き合った私ではなく、すでに他に気持ちが移ってしまっている事には気づいていたから、
暗黙の了解で、ただ世間話や愚痴や将来について友人同士の様に話す様になっていた。

それは私の気遣いであるかの様にみえたが、
実際は、社会の「子供」として鈍臭く夜遅くまで残って働く私への同情と優しさで、ショウタ君がそうしてくれていたのだ。

開港記念の花火大会当日になり、
大観覧車と大きな花火は、私たちのいるビルからはほぼ同じ場所に円を描いている様に見えるほど重なって見えたり、大観覧車より遥かに上まで登って3秒ほど後に大きなケヤキの木の様に垂れ下がり大きく鈍い金色に光りながらゆっくり落ちてくる花火もあり、
それはまるで、大きな涙の様だった。
私は、自分の目から涙がこぼれ落ちない様に、必死で目を開き続けた。

[続く]

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