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努力の先にあるモノは1つだけでしょうか?

国体が中止になりましたね。
自粛期間に中止になる可能性がある旨が発表された時に、「3年間は何だったの?」という学生の声が上がり、学生たちが可哀想というニュースを見たのですが、当人である学生たちがそういった声を上げるのは分からなくもないんですけど、報道機関や指導者やプロ競技選手の方々まで同様の意見を述べていたのは「ん?」と思ってしまうのが正直な所です。

目先の結果しか見えていないから、こういった感想になるんだと思います。
どんな努力でもそうですが、1つの結果しか生まないわけではなく、その行動の結果として得たものを自分はどうやって活かすかという考えに到らなくては何も得ていないの一緒ではないでしょうか?

「参加することに意義がある」とか「チームワークの大切さを学ぶ」だとか「コミュニケーション能力を高める」などと綺麗事ばかりのスローガンを掲げて部活動を行う結果としては当然だとは思いますがね。
本来は今している事がどんな事に使えるのか、どんな事に活かせるのかまでを考える力を学ばせてこその教育だと思うんですけど、教える側がそこにまで至っていない中で指導するから、そういった事になるんでしょう。

綺麗事で誤魔化そうとしても、子供たちは気づきます。
普段から述べている綺麗事ではなく、本当の事を伝えないとダメです。
それが難しいとのは分かっていますが、それらをちゃんと伝え、理解させるのが教育ではないでしょうか。