目に見えない部分をもっと鑑みてあげられないのか?

コロナが続く中で大学がオンラインでの授業を続けて、大学生が大学に行けずにいるというニュースを見ましたが、「大人になると学生時代の事は忘れてしまうのかな?」と思ってしまいました。

大学側が学生に対して、講義さえしていれば大学として問題ないという姿勢(と私は感じています。)がありますが、大学側から見た時の学生への対応としては正しいのかもしれませんが、学生が大学から受けるモノというのは講義だけではないと思います。
そもそも大学を構成するモノは何も職員、教員、学生といった人員や講義だけではないはずです。
というのも、自分が今まで築いてきた世界に今までと違った他者と関わる事で与えられる影響というモノが本人の無意識下の出来事ではありますが、大学生活で一番大きいと思います。

先日、映画の「MOTHER マザー」を観ましたが、あの作品でも主人公の親子(母と子)がいて、その子ども(以下、彼)が学校に行かなくなり、母親の人生に振り回されている中で他者と関わらない事で彼の人生の世界は母親が大部分を占める様になるんです。
度々、ホテルの2代目社長や生活保護ケースワーカー、就職先の社長など外部の方と関わり、少なからず変化が見えますが最終的には母親に依存してしまうんです。
何が言いたいかというと個人個人の世界というのは関わった人たちの影響で構成されていくモノだという事です。

話を戻すと今現在、大学生がオンラインで授業を受けて、同級生やそこから派生する新たな出会いを享受しないまま過ごすのは可哀想だと思います。
大学というのは、高校までと違って、広い地域から人が集まる方々が(元々居た地域から離れる方もいますが、それらも)大多数いて、本当に今までと違った価値観を持った人間と出会える機会があります。
集団感染の問題はあるにしても、新入生だけでも同級生と直接、会える機会を設けてあげて欲しいと思ってしまいます。
いきなり全員を一箇所に集めるのではなく、ランダムで組み合わせて、数日おきに会える様に出来ないのでしょうか?

またこういった話をするとオンライン越しにそういった場を設ければ問題ないと言われる方もいますが、お互いに理解し合っている関係や関係性が固定されている(例えば、営業と顧客の様な関係性)場合であれば、オンライン越しでも問題ないと思います。
利害関係なく(関係を構築していく中で利害関係が大なり小なり生まれるかと思いますが)知り合うという点では直接会って、相手の持っている雰囲気や佇まいから受ける印象などで好意を持つわけでして・・・
最初の話に戻りますが、そういった雰囲気などを通して自分がどういった人間となら関わっていけるかを学び、どういった雰囲気の人間とは相性が悪く、相性が悪い人間とも関わらなくてはいけない時に自分がどういった佇まいでいる事でストレスを受けずにいられるかなどを学ぶのだと思います。

今、オンラインで講義を行っているから問題ないでしょうといった形で現状を流すのではなく、大学側は自分たちが学生として過ごした時に受けたモノの中で社会で生きていく上で必須と感じられるモノを今の学生達が得られる環境を用意する事が本当の教育なのではないでしょうか?
学生達は本当に厳しい状況が続いており、言葉としては大変無責任とはなりますが、なんとか耐えてください。
いつまでなのかと言われれば、何も答えられないので本当に申し訳ないけれど、耐えてください。
そして、耐えられない時は家族でも友達でもネット掲示板でもいいので気持ちを吐露する様にしてください。
気持ちを吐き出すという行為は、自分の中の気持ちを認識し、整理する行為でもあります。
なので、気持ちを吐き出すのは恥ずかしさも伴うかもしれませんが、吐き出す様にしてください。

そして最後になりますが、私が学生時代に感銘を受けた『じゃりん子チエ』の中の一説を。
「人間に一番悪いのは腹がへるのと寒いゆうことですわ。
 ひもじい・・・寒い・・・もお死にたい、これですわ。
 ひもじい、寒い、もお死にたい、不幸はこの順番で来ますのや。」
今、1人で過ごし、辛いと感じる事が多い人は、まずはご飯をしっかり食べてください。
満腹になれば、なんとなく気持ちも変わってしまうもんです。
手の込んだ料理でなくても、ご飯と味噌汁を腹一杯食べるだけでも気持ちは変わります。
私がそうだったので、保証します!