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【講演会】インタビュー企画(1)

当日の様子(約50名の方に参加して下さりました。)

 こんにちは!ペシャライトです。私たちは2023年12月3日(日)にオンライン上でイベントを行いました。2019年12月4日は中村哲医師の命日です。中村医師にゆかりのある4名の方をゲストにお招きし、インタビュー形式でお話を伺いました。今回の記事では、前半のインタビュー内容をご紹介いたします!


登壇者の紹介

左:関根さん 右:乃美さん

まず、ペシャワール会でボランティアをされている乃美さん関根さんです。それぞれ違う形でペシャワール会、中村哲さんに関わるようになり、今もなお、ボランティアとしてペシャワール会を支えていらっしゃいます。ボランティアさんは普段なかなかスポットがあたりにくいですが、これまでの活動を支え、これからも欠かせません。はじめにお2人のインタビューセッションについて紹介したいと思います。

中村医師との出会い。すごいお医者さんが先輩にいる!?


ペシャライト:自己紹介と中村さんとの出会いを教えてください。

乃美さん:1991年に西日本新聞の紙上で初めて知り、「すごいお医者さんがいるんだな」と感動しました。その後の記事のなかで、福岡高校出身ということを知って、後輩だと気づきびっくりしました。当時の同窓生は全く知らなかったのですが、親しい友達を誘い5,6人で一緒にペシャワール会に入会しました。

関根さん:九州大学の同窓会で※、九州大学女子同窓会に他大学からの参加をした際に、中村先生が紹介されて、寄付の案内があり、寄付をしました。その後送られてきた会報や新聞等で中村先生を知ることになりました。その後、ボランティアとして関わるようになりました。

印象的だったこと。誰に対しても変わらない親しみやすい存在。


ペシャライト:ボランティアをしている中で印象的だった言葉や行動はありますか。

乃美さん:印象的な言葉はたくさんあります。ボランティアでは本を発送する仕事を務めていますが、中でも『ダラエヌールへの道』という本がおススメです。この本を読んで感動して、支援したいと思われた方がたくさんいらっしゃいます。まずこの本をみなさんに読んでいただきたいです。医療の活動の時の本ですが、先生の想いがたくさん詰まっています。

関根さん:福岡市出身ということで、中村先生と繋がりがある親しい方が何人もいます。先生が時折日本に帰ってきて現地の報告をして、その後の懇親会でたまたま隣になりました。先生は、働く人の手といった感じで爪の中に土が入っていて、指の先がまがっていました。でも、チョコレートやチーズに手が伸びるような、親しみのもてる誰に対しても変わらない方であったことが印象的です。

揺るがなかった想い。志を引き継ぐ。


ペシャライト:中村医師が亡くなられた前後での心境の変化や、なぜ今もボランティアを続けられるのかを教えていただきたいです。

乃美さん:先生が亡くなられても、アフガニスタンという国は存在しています。医療面や干ばつ面でまだまだ課題があります。先生が亡くなったからなんて思うことはありませんでした。それはどうしてかというと、村上会長の気持ちが揺らがなかったんですね。先生(村上会長)が戸惑っている様子はなく、これから前に進もうとする様子はありありとしましたので、私も動揺はせず、これからも頑張ろうと思えました。先生の意志を継いでいきたい。そういう気持ちを強くしました。

関根さん:その時は信じられなかったです。アフガニスタンにまだいらっしゃるのではないかとそんな気持ちがしました。徐々にわかってきて受け入れました。その後、新しく入ったボランティアの方達になんとか伝えていきたいと思いました。

今の現状に思うこと。「はやく戦争をやめてほしい。」


ペシャライト:最後にアフガニスタンをはじめとする現在の世界の状況に対して思うことを教えてください。

乃美さん:はやく戦争をやめてほしいです。辛いニュースが多くそればかり毎日考えています。

関根さん:中村先生は講演会のたびに、アフガニスタンは地球温暖化の50年先を行っていると言われています。少しでも緩やかにしたいのに、今この状況なので本当に歯がゆいです。

ペシャライトメンバーの感想


乃美さん、関根さん、ありがとうございました。このインタビューを終えてペシャライトして振り返りをしました。メンバーの3人の感想を共有します。

村上会長の心が揺らがなかったところがすごいと思いました。それだけ中村さんが伝えたかったことが伝わっていたという証なのだと思いました。また、ボランティアしてることで楽観視するんじゃなくて、「今もよくなってない、歯がゆい、戦争をやめてほしい」という感情を持ちながら活動しているという点に共感しました。

Aさん

先生は働く人の手をしているが、チーズやチョコに手が伸びることから誰にでも変わらない態度をとるということから、日頃からの努力、人間としてのあたたかさを感じました。「天才」なわけではなく私たちと同じ人間であると感じます。先生が亡くなってもアフガニスタンは存在していて、干ばつは良くなっていないという一貫した思いやアフガニスタンは地球の50年先をいっているという言葉から、干ばつの危機を伝えたいと自身も思いました。

Sさん

「先生が亡くなられても、アフガニスタンという国は存在している」ということから日本人目線ではなく、アフガニスタンの人々の立場に立って考えていることがわかります。ボランティアさんの話をきいて、夫々が意志を継いでいることを知り、微力ではあっても、人が協力することで活動は続いていくと感じました。多くの人が中村先生の本に感動することは、中村先生はアフガニスタンの干ばつの地を緑に変えただけではなく、日本人の心を潤したとも言えると思います。

Yさん

いかがだったでしょうか?
ペシャワール会は多くのボランティアさんと寄付者のご支援で成り立っています。普段知ることのない、ボランティアさんの想いをインタビューさせていただきました。ペシャワール会40年の歴史も、ボランティアさんなしでは語れません。ご協力いただいた乃美さん、関根さんありがとうございました!

さて、次回は山田堰管理者の徳永哲也さんのインタビューです。
お楽しみに!

※一部内容に誤りがございました。お詫び申し上げます。
(編集:2024/04/01)

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