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《SHARE》本日19時まで公開|COVID-19に苦しむイタリアからのメッセージ。記録と思索と教訓。

まともに記事を投稿するのは1ヶ月ぶりです。
思えばこの1〜2ヶ月の間に、私たちを取り巻く世界は大きく変貌してしまいました。
当たり前に続くと思っていた日常は、あっという間に破壊されてしまいました。

2ヶ月前までは、3年ぶりに仙台から実家に移住するため、
久しぶりに会う友達・恋人とランチに行く予定をたくさん入れたいな〜〜などと呑気なことを考えてました。
それが、あれよあれよと言う間に状況は急変。
当然ながら、家族以外の誰にも一度も会えずに自宅に篭りきり。
お呼ばれしていた友人の結婚式も軒並みキャンセル。
大学院の入学式ももちろん中止だし(本当は明日開催の予定だった)、授業もしばらくは全てオンラインでの実施となります。

同様のことが多くの人の身の上に起きていると思うし
逆に言えば、皆が命を守るために必死に我慢しているということでもあります。
(素晴らしいことです。)

でも、もしかしたらだけど、こんなことは大したことではない。のかもしれない。
私たちが備えなければならない現実に比べたら。

私個人の話ですが、
行動としては外出制限等実践しているものの
頭の中の認識としてはまだまだ危機感が薄く
考えが甘かったのではないか?とここ数日感じています。

それは、イタリア・NYの惨事に胸を痛めても
どこか他人事に思っていなかったか?ということ。

自分の身の回りで多くの人の命が失われる可能性は
思っていたより身近なのではないか?ということ。

何の根拠もないのに、「イタリア・NYのような事態に陥るはずがない」と思い込んでいなかったか?ということ。

当たり前の日常が奪われることを考えたくなくて、
『少し我慢すれば、なんだかんだ日常は戻ってくるだろう』と、
楽観的になり、深く考えるのを拒否していなかったか?ということ。

科学的な分析をもとに否定するのは良いけれど、
そんなのまともに理解してもいないくせに
希望だけで視野を狭め、現実を見ないようにしていないか?ということ。

何でも深刻に重苦しく受け止めればいいというものじゃない。
むしろ長期戦にもなりかねないこの状況で、
できる限り前向きにハッピーなメンタリティーを持つ事はとても大切。
ただ、同時に最悪の事態に備えておく必要もあって、
そこは別の話だし、切り替えて両立しないといけないと思うのです。

そんな中、noteのタイムラインに上がってきた記事。

ローマの小説家から、非常に冷静かつ胸に迫る思索。
日本にいる私たちが得られる教訓がたくさんあったし、
共に考えていかなければならない課題もたくさんある。

とにかく目の前の死者を減らす事が揺るぎない一番の優先事項であり、
いかに迅速に安全を守りながら収束させるかが喫緊の課題である事は言うまでもない。
一方で、この事態を教訓に多くのことを学ばなければいけない。
それを冷静に見つめ、行動に移し実現して、社会に反映していかなければならない。
なぜなら「喉元過ぎれば〜」ではダメで、今後も似たような非常事態は何度でも起こるから。

・自分の希望や恐怖による思い込みに振り回されずに、できるだけ排除して、
 冷静に科学的根拠を積み上げて判断を行うこと。
・さまざまな事態と可能性を想定すること。
・社会的に立場が弱い人が、非常時に最も危機に晒されること。
 見えづらく声を上げられない人たちに何ができるかを考えること。
・危機に直面している今だからこそ、自分たちの社会の弱点と強みを根本から見直すこと。
・いつか喉元を過ぎることがあっても、考えることを途中でやめないこと。時々立ち返ること。

これらを大切に、自分に少し何かできることがないかを考えたいと思っています。
シェアした記事、著者あとがきだけでも是非読んでみてください。

(写真:2017年7月、人がたくさんいたお台場にて)

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