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とあるコンテンツの制作現場にて。

こんにちは! ホットリンクのインハウスエディターで、広報などを担当しているピーターです。

先日、とあるコンテンツの制作現場に立ち会いました。書いたり作ったりする仕事に就いて久しいですが、そのコンテンツが作られる過程を目にしたのは初めてでした。

コンテンツと呼ばれるものの多くは、誰かに何かを伝えるために作られるものだと思っていて。私自身も、文章を通してSNS活用のノウハウや会社の情報を届けていますが、自分に何かを伝えるための(自分だけに向けた)記事を作ることはありません。

というより、制作するのも発信も、基本的にはすべてお客様のためだと思っています。もう少し言葉を補うと、お客様に(お客様にとって)良い情報を届けるために記事を作っています。

「特定のサービスを売るための記事」だって、根底には「便利なサービスだから、ぜひ使っていただきたい」「自信をもってオススメできるサービスだから、知ってもらいたい」という気持ちがあります。

そして、お客様に良い情報を届けることとほとんど同義ですが、コンテンツを作る時はもれなく「良いものを作りたい」という気持ちで取り組みます。完成したコンテンツを見て「良い記事になったな」と思いたいし、制作に関わるすべてのメンバーや、読んでくださった方にもそう感じてもらえたらとても嬉しいです。

でも、一口に「良いもの」と言っても、基準は様々ですよね。関わる人の数だけ「良いもの」の定義が存在する気さえします。同じチーム内で、考え方が相反することもありそうです。

誰かにとっては、一人でも多くの目を引くことが、良いコンテンツの条件かもしれません。別の誰かにとっては、他にはない表現が詰まった独創性の高いものかもしれない。鮮明に記憶に残るものだという人も居れば、嘘偽りのないものこそ良いという人もいるでしょう。

正直に話すと、冒頭で言及した「制作現場」もそうなんじゃないかと、私は勝手に思っていました。他者のことなど顧みずに、様々な立場の人がそれぞれの思う「良いもの」を追求しているんじゃないかと……

初体験の私でも、そのコンテンツに多くの人が関わっていることは分かりました。関わる人が増えれば増えるほど、それぞれが目指す「良いもの」は多様になっていきます。

もしも私が考えるのと相反するアプローチが採用されたら--きっと、そのコンテンツの門外漢であるこちらが折れることになるのだろうと思っていました。

でも、そんなことは全くなくて。


特定の立場にある人が極端に損や得をする……そんな、私欲にまみれた場ではなかったのです。


関わっている人たちは、みんな優しかったです。人ならではの温かさにあふれていて、全員が全員、自分と他者の役割を理解した上で自身の思う「良いもの」を追求しているように見えました。

いろんな人がいて、向かう方向は少しずつ違っていそうなのに、結果として「良いもの」を構成する要素が増えたり広がっている--そんな光景を目のあたりにしました。

関わる全員が、全力で良いものを目指して突っ走る。アツくてかっこいい現場で、立ち会えて本当に良かったです。


「で、それってなんの現場なのよ」というお話は、もう少し先のタイミングでお話させてください。

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