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「線虫がんリスク検査」はおすすめしません! その理由とは?


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はじめに

先日、うちのねこさんたちが加入している、某大手ペット保険会社からお知らせのメールが届きました。

「わんちゃんではすでに受け付けていた『線虫せんちゅうがんリスク検査」をねこさんでも始める」という内容のものでした。

ねこさん・わんちゃんの寿命が長くなっていますので、「がん検査」に関心のある飼い主さんが多いのではないかと思います。

でも、現時点では、線虫がんリスク検査の結果に対する有効なソリューション(解決策・対応策)がありませんから、今の段階で、線虫がんリスク検査を利用することを僕はおすすめしません

いささか長くなってしまいますが、その理由をこれからお話します。

「線虫がんリスク検査」は、少量のおしっこで何種類ものがんのリスクを判定できるとうたっています。

この「線虫がんリスク検査」は、もともとヒトの新しいがん検査として2020年に実用化されました。
やはり、少量のおしっこで15種類のがんのリスクを、ごく初期のものでも高い精度で判定できるとしています。

ところが一方で、この「線虫がんリスク検査」に関しては、疑問視・問題視している医療関係者も少なくありません。

そこで、ねこさん・わんちゃんの飼い主のみなさんにも、「線虫がんリスク検査」がどういうものなのか、何が問題視されているのかを知ってもらいたいと思って記事を書きました。

ねこさん・わんちゃんの「線虫がんリスク検査」に関心のある飼い主さんは、ヒトの線虫がんリスク検査で起こっていることをよく知ったうえで、かかりつけの動物病院にご相談ください。


「線虫がんリスク検査」とは

「線虫」という体長が1mmくらいの生物がいて、この生物は嗅覚が非常に優れています。

線虫は線形動物せんけいどうぶつともいい、寄生虫としてよく知られている回虫も線虫の一種です。

線虫はとても種類が多く、現在までに2万種以上が確認されていますが、実際には100万種以上あると考えられています。

サイズもさまざまで、大きなものでは体長8メートル(!)にもなるそうです。

ですから、すべての線虫の体調が1mmというわけではありません。

その線虫が がん患者のおしっこの臭いと健康な人のおしっこの匂いを嗅ぎ分けることで がんのリスクを判定する検査が「線虫がんリスク検査」です。
この検査を実施している会社によれば、15種類のがんのリスクを約86%の精度で判定できるということです。
しかも、ごく初期のがんのリスクも判定できるそうです。
(「がんの診断ができる検査」ではないことに注意してください。)

また、「がんのリスクが高い」と判定された場合でも、15種類のがんのうち、どのがんのリスクが高いのかということまではわかりません
「15種類のがんのどれかわからないけれど、がんのリスクが高い」ということだけが判定されます。

この検査のねこさん・わんちゃん向けのものが提供され始めたというわけです。
ねこさん向けでは、「乳腺がん ・リンパ腫 をはじめ、肺腺がん ・鼻腔腺びくうせんがん」などの、わんちゃん向けでは「リンパ腫・乳腺がん・皮膚がんをはじめ、さまざまながん」のリスクを判定できると、検査会社のホームページに書かれています。


検査の「感度かんど」と「特異度とくいど

この 線虫がんリスク検査のように、病気などについて陽性・陰性などを判定する検査で大切な、「感度」と「特異度」について、まず説明します。

新型コロナウイルスのPCR検査に関する報道などで、耳にしたことがあるかもしれませんね。

感度」というのは、「病気の患者さんを『病気だ』と、正しく判定できる確率」のことです。感度が高い検査は、「病気の患者さんを見逃す可能性が低い」ということができます。

一方、「特異度」というのは、「病気じゃない人を『病気じゃない』と、正しく判定できる確率」のことです。特異度が高い検査は、「病気じゃない人まで病気の患者さんにしてしまう可能性が低い」ということです。

とはいえ、感度も特異度も100%という検査はありません。
どうしても、ある程度の「偽陰性ぎいんせい」と「偽陽性ぎようせい」が出てしまいます。

偽陰性」というのは、「本当は陽性の人が、間違って陰性と判定されること」で、「間違って病気を見逃しちゃう率」だと思ってください。

一方、「偽陽性」というのは、逆に「本当は陰性の人が、間違って陽性と判定されること」で、「間違って病気にされちゃう率」だと思ってください。

100 ー 感度 = 偽陰性率(間違って病気を見逃しちゃう率)
100 ー 特異度 = 偽陽性率(間違って病気にされちゃう率)
です。

検査で正しく判定される分には問題がありませんから、注意が必要なのは、どちらかと言えば、偽陰性率と偽陽性率です。
なにせ「間違っちゃう率」ですから。

例えば、感度90%・特異度85%の検査の場合、感度・特異度と偽陰性・偽陽性の関係は下の図のようになります。

いささかまぎらしいのですが、「疑陽性ぎようせい(『擬陽性ぎようせい』も同じ)」という言葉もあります。
「疑陽性」は「陽性とも陰性とも断言できないけれど、陽性の疑いがある」ということです。

「偽陽性」は「本当は陰性」ということですから、同じように「ぎようせい」と読みますが、意味はずいぶん違いますね。

今回とりあげている「線虫がんリスク検査」の感度と特異度は、検査会社が公表している資料よると
ねこさん  感度:84 % 特異度:90 %
わんちゃん 感度:80 % 特異度:80 %
だそうです。

ちなみに、人の「線虫がんリスク検査」の感度と特異度は、
感度:86.3 % 特異度:90.8 % となっています。


感度84% 特異度90% だと何が起こるか

先ほど説明したとおり、注意が必要なのは偽陰性と偽陽性です。

ねこさんでの感度と特異度(感度84%、特異度90%)をもとに、線虫がんリスク検査の偽陰性率と偽陽性率を計算してみると

偽陰性率 = 100 ー 感度 = 100 ー 84 = 16(%)
偽陽性率 = 100ー 特異度 = 100 ー 90 = 10(%)
となりますね。

つまり、
1.16%の確率で「間違って、がんが見逃されちゃう
2.10%の確率で「間違って、がんじゃないのにがんにされちゃう
ということです。

では、それぞれの場合にどんなことが起こるでしょうか。

1.間違って、がんが見逃された場合(偽陰性の場合)

感度が84%であれば、16%の確率でがんを見逃してしまいます。

この場合の問題は、「気づかないうちにがんが進行しまう」ということです。
ただこれは、ねこさん・わんちゃんではそれほど大きな問題にはなりません(もちろん、ヒトでは大きな問題です)。
理由は大きくふたつあります

ひとつめは、現実的に考えて、線虫がん検査をしてみようと思う飼い主さんは、ねこさん・わんちゃんの健康に関心が高くて、普段から定期的にねこさん・わんちゃんに健康診断を受けさせている可能性が高いからです。

そうであれば、仮に、線虫がんリスク検査でがんを見逃してしまっても、健康診断で比較的早くがんが見つかる可能性が高いため、大きな問題にはなりにくいのです。
(もちろん、定期的な健康診断を受けずに、線虫がんリスク検査だけを受けるのは、絶対におすすめしません。)

ふたつめの理由は、2.のところで一緒に説明しますね。


2.間違って、がんじゃないのにがんにされちゃった場合(偽陽性の場合)

特異度が90%であれば、10%の確率で、がんじゃないのに「がんのリスクが高い」と判定されます。
実際には、こちらの場合のほうが問題です。

がんの治療をするためには、「どこ」にある、「どんな」がんかを特定する必要があります。
逆に言うと、がんが特定できないと治療をすることができません

線虫がんリスク検査では、どの種類のがんなのかはわかりませんから、「がんのリスクが高い」と判定されると、「どこ」にある「どんな」がんかを特定するために、追加で詳しい検査が必要になります。

これが、先ほど1.の場合は、それほど大きな問題にならないと言った理由のふたつめです。

仮に、線虫がんリスク検査でがんが見逃されていたとしても、「健康診断でがんを疑うような結果が何も出ないような状態」であれば、詳しい検査をしてもがんを特定できない可能性が高いからです。
そのため、たとえ線虫がんリスク検査ではがんが見逃されたとしても、定期的に健康診断を受けていれば、結果的に、「気づかないうちにがんが進行してしまうリスク」を最小限にすることができます。

話をもとに戻しましょう。

間違って「がんのリスクが高い」と判定されると、がんを特定するためにいろいろな検査をすることになるのですが、この「偽陽性」の場合は、どれだけ詳しい検査をしてもがんは見つかりません。

そりゃあそうです。もともとがんではないのですから。

ところが、飼い主さんにも獣医さんにも、それが偽陽性であることは分かりませんから、「がんがあるはずなのに見つからない」ということになります。
これは心理的に大きなストレスになることと思います。

そして何より、ねこさん・わんちゃんは、本来なら必要のない検査を受けることになります
ねこさん・わんちゃんにとっては、身体的・心理的に大きなストレスがかかってしまいます。

しかも、ねこさん・わんちゃんの場合、詳しいがんの検査をするためには、ヒトと違って、麻酔をかける必要があります
とくに、がんが気になるのは、シニアのねこさん・わんちゃんが多いと思います。
シニアのねこさん・わんちゃんにとっては、麻酔をかけるだけでも体に大きな負担がかかり、場合によっては大きな危険を伴います

もちろん、飼い主さんの経済的な負担もバカになりません。

そして、「『線虫がんリスク検査』とは」のところで触れましたが、大切なことですのでもう一度言いますね。
線虫がんリスク検査は「がんのリスク」を判定する検査であって、「がんの診断」をする検査ではありません
検査会社のホームページには、一部に「がん検査」という表現がありますが、がんの診断ができるわけではありません。

つまり、もともと線虫がん検査で「リスクが高い」と判定されても、「がん」と診断されたわけではないのです。ですから、そもそも「リスクが高い」と判定されても、「がんではない」可能性があります
しかも、ごく初期のがんのリスクも判定できてしまいますから、仮に正しく判定されていても、がんと診断を確定することができない可能性も、決して低くありません。

さらに、線虫がんリスク検査で「リスクが高い」と判定されたとしても、残念ながら、10%の確率でその判定は間違っています。

さて、線虫がんリスク検査で「がんのリスクが高い」と判定されたにもかかわらず、詳しい検査でがんが見つからなかったとしたら、あなたならどうしますか?

わかりやすくするために、感度と特異度のお話しかしていません。
検査の精度を評価するには、他にも考慮しないといけないことが、いくつもあります。


「線虫がんリスク検査」のもうひとつの問題点

先ほど、検査会社から公表されている、ねこさん向けの線虫がんリスク検査の感度が84%、特異度が90%と書きました(わんちゃん向けは感度、特異度ともに80%)。
この確率って低いと思いますか? それとも高いと思いますか?

じつを言うと、感度84%、特異度90%というのは、かなり高い数字です。

新型コロナウイルスのPCR検査は、感度が30〜80%くらい、特異度は約100%だと言われていますから、感度については線虫がん検査のほうがかなり高いと言うことができます。

新型コロナウイルスのPCR検査の感度がずいぶん低いように感じて、不安に思う人もいるかもしれませんね。

確かに感度はそれほど高くはないのですが、特異度が約100%(偽陽性率がほぼ0%)ですから、少なくとも陽性と判定されれば、ほぼ間違いなく新型コロナウイルスに感染していると考えることができます。

もともとが、ウイルスに感染した人を見つけて隔離するための検査ですから、特異度が高いことが大切です。でないと、ウイルスに感染していない人を感染した人と一緒に隔離することになりかねません。

感度が低いのは、感染の初期ではウイルスの量が少なくて、検出できないことが多いことが大きな原因のひとつです。

また、症状などから、検査の対象を感染している可能性の高い人に限定することで、検査結果の精度を高めることができます。
「全員の検査をするべきだ」と言う声もあった中で全数検査を行わなかったのは、感染していない可能性の高い人も検査対象にすると精度が下がってしまうからという理由があったものと思われます(だったら、ちゃんとそのように説明してくれればよかったのに)。

ここまで、線虫がんリスク検査の感度・特異度が検査会社が公表している数字が正しいことを前提に、おもに偽陽性の問題について考えてきました。

ところが、この線虫がんリスク検査の感度・特異度は、検査会社がそのように公表しているだけで、第三者が調べた客観的なものではありません

そして人の医療現場では、がん検査の専門医のあいだから「実際の線虫がんリスク検査の感度・特異度が、検査会社が発表しているとおりかどうか疑わしい」と言う声があがっています。

何が起こっているのでしょうか?

線虫がんリスク検査で陽性(リスクが高い)と判定された人は、いわゆる「精密検査」を受けることになります。

その精密検査のひとつに「PET-CT検査」があります。

これは、がん細胞がブドウ糖を多く取り込む性質を利用した検査で、”CTに写りやすい物質をくっつけてあるブドウ糖”を静脈注射して、しばらくしてからCTでスキャンすると、がん細胞に取り込まれたブドウ糖がはっきり写る、と言う仕組みです。

PET-CT検査も、もちろん精度が100%というわけではありませんが、一般的ながん検診に比べてがんの発見率が約10倍と、現時点では、もっとも信頼性の高いがん検査のひとつです。
(「がんの発見率」は、先ほど説明した「感度・特異度」とは違います。がんがあるかどうかわかわない患者さんを人間ドッグなどで検査して、がんが見つかる確率です。)

PET-CT検査は”がん細胞のかたまり”を見つける検査です。
そのため、まだ小さい初期のがんや、がん細胞がかたまりを作らないスキルス胃がん・リンパ腫など、PET-CT検査が向いていない種類のがんもあります。

ご自身のがんが気になる人は、まず、5大がん検診(胃がん検診・子宮頸しきゅうけいがん検診・肺がん検診・乳がん検診・大腸がん検診)を受診されることを強くおすすめします。

※ PET-CT検査に対する過信を招かないために、この部分を2023年11月14日に追記しました

このPET-CT検査を数多く実施している、福岡和白PET画像診断クリニック様のホームページに「線虫がんリスク検査(NーNOSE)について、当クリニックの見解」という記事が掲載されています。

ここには、線虫がんリスク検査の精度についての疑問点がとても詳しく書かれていますので、ぜひご覧になってください。

その中から、事実関係だけを以下にまとめました。
(太字は筆者によるものです)

・福岡和白PET画像診断クリニックでの各種PETドック受診者のがん発見率は全体で約1.7%(初診の方:約2.6%、リピーターの方:約1.1%)
・線虫がんリスク検査がきっかけで、福岡和白PET画像診断クリニック
でPET-CT検査を受診した方のがん発見率が2.4%(333人中8人)
・この数値は線虫がんリスク検査に関係なくPET-CTを検診目的で受診された方のがん発見率と大差ない
日本がん検診・診断学会にてがんと確定診断された方10名の尿を線虫がんリスク検査に提出したら、全員がA・B判定(低リスク)と結果が返ってきたという他院からの報告があった
・状況をより正確に把握するために学会主導による多施設調査が進行中

詳しくは、下のリンク先をご覧になってください。

福岡和白PET画像診断クリニック
「線虫がんリスク検査(NーNOSE)について、当クリニックの見解」より


上の引用にも書きましたが、現在、日本がん検診・診断学会でPET検診に関わる会員と、日本核医学会のPET核医学分科会ワーキンググループによって、全国226施設を対象にアンケート調査が行われています。

人向けの線虫がんリスク検査が感度:86.3 % 特異度:90.8 %と小数点以下1桁の数字であるのに対して、ねこさん向けは感度:84% 特異度:90%、わんちゃん向けは感度・特異度ともに80%と小数点以下がありません。

これは、数学的に言うと、人向けの検査と比べてねこさん・わんちゃん向けの検査は精度が10分の1であることを表しています。
個人的には、この点も非常に不安です。

最後に

「線虫がんリスク検査 問題」で検索すると、他にも多くの記事や動画が見つかります。

気になった方は、ご自分で検索していろいろ調べてみてください。

ねこさん・わんちゃん向けの線虫がんリスク検査の精度についての客観的な数字はまだありませんが、人での線虫がんリスク検査の現状はここに書いたとおりです。
「理想のがん検査」と言える状況ではまったくありません

どんな検査であれ、検査結果に対するソリューションがセットになっていないと意味がありません。

もしも、「まったく治療法がない病気」を見つけるための検査があったとしたら、その検査を受けますか?
「まったく治療法がない病気」が見つかっても、何もすることができず、指をくわえて見ているだけなら、わざわざ「まったく治療法がない病気」を見つける意味がありません。

くり返しになりますが、現時点では、線虫がんリスク検査の結果に対する有効なソリューションがありませんから、今の段階で、線虫がんリスク検査を利用することを僕はおすすめしません
少なくとも、現在行われているアンケート調査の結果が出るまでは、様子を見たほうがよいと思います。
もちろん、うちのねこさんたちにも利用しません。

ねこさん・わんちゃんの線虫がんリスク検査を検討している飼い主さんは、人での現状を知ったうえで、かかりつけの動物病院とよく相談してください

※ この記事以外にも、noteで記事を公開しています。
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