見出し画像

インド一人旅の話

正社員を辞めた時

私は美容室でレセプション兼ネイリストとして勤務しており、先輩が自主レッスンをしている中で先に帰られないという”暗黙謎ルール”がまかり通っている、いわゆるブラックな会社に所属していた。
みんな疑問はあったのだろうが、言い出せる空気ではなかった。

そんな中、同期の一人が特攻隊のように社内のそれらを壊してくれたのだ。
不満を持っていても行動できなかった私。
当時は若さ故に、何も知らなさ過ぎて会社のそれが自分の世界全てだった。
勢いだけで当てもなく辞表届を提出した時、私は未来のことは全く考えてもおらず「ただ現状を変えたい」と、今を生きていた状態であった。

とりあえず生活はしていかないといけなかったので、即日で働けるホステスと派遣の仕事のダブルワークが始まるのだった。
目まぐるしい日を送るだけの作業的な日々に、せめて何か希望のような目標がないと意味がないと感じた私は、自分がしてみたい事をリストアップしてみた。

そんな時にホステスの友達が、つい最近一人でインドに行ってきたと話してきたのだ。
衝撃だった。
海外旅行してみたいとは思っても、インドを挙げる人。しかも女性ではかなり少数だろう。
生き生きとインドの事を話す彼女に、私は影響されたのだった。インドへ行こうと決意した、22歳の夜だった。

インドでボランティア

あなたには、インドのイメージはどう浮かぶだろうか?
私は影響された人物に倣って、マザーテレサで有名なコルカタを目的地に選んだ。
そこにはマザーテレサが関わる施設が数ヵ所あり、日本人向けにボランティアツアーを行うエージェントが検索に複数ヒットした。

もう10年も経っているので記憶も曖昧で、エージェントを見つけるのに少し時間がかかったのは、また別の話…😅

MOTY JEELをエージェントに選んだ理由は一つ。
オーナーのまなみさんが女性であり、彼女の想いを拝読し共感したからだ。

空港からホームステイ先まで往復の送迎付き、1週間滞在するホームステイ先では食事付き。ビザの取得方法をはじめ手取り足取り丁寧に教えてもらい、特に何も心配などなかった。
ボランティアは現地の施設で登録する為、到着すれば後は自分の好きな様に過ごせるというものだったのだ。
ビザを取得する際に、書き間違いなどで何回か大使館へ出直したのも、また別の話(笑)


仏教の生まれた国なのに

これは後付なのだが、どうせインドに行くのなら仏教が生まれた国ということで、渡航前に少し学んでみようと図書館へ行き、いくつかの文献を読み漁ってみた。
私の家系では仏教のなんとかなんとか なのだが、全く詳しくない。
法事で和尚さんが有難いお話しを聞かせてくれていたんだろうが、全く記憶にない。
いろいろ宗派もあるし、どこまでいっても詳しく説明はできないので省略させてもらう。

インドでの仏教徒は何%なのか、みんなは分かるだろうか?

人口の79.8%をヒンドゥー教が占めている。 この他は、イスラム教が14.2%、キリスト教が2.3%、 シーク教が 1.7%、仏教が 0.7%、ジャイナ教が 0.4%と続く(2011 年国勢調査2)

概観 - 国際協力銀行

インドでの0.7%は十分に多いと言えるのだろうけど、こうして並べてみると興味が沸いたのだ。
ちなみに私が行ったエリアでは仏教を感じることはなく、発祥地へ行かない限りは知り得ないのだろうと思った。

コルカタへ到着

コルカタ空港に着いて意外だなと思ったのが、綺麗な空間であったこと。
インド第二の都市と当時は言われていたのだけど、想像より綺麗だったために少し安堵した。
送迎をしてくれる運転手と会い、いざホームステイ先へ向かう。

ストリートで暮らす人々
必要以上にクラクションを鳴らす車
身体にまとわりつく熱気
いろんな世界が小さな窓からうかがえた。
どんな1週間になるのだろうと興奮が止まらなかった。
ホームステイ先に着くと玄関は厳重な鉄柵の二重扉となっており、一気に格差社会を感じたのであった。

荷物を置くと、ドライバーがお腹が空いてるならレストラン紹介してやるよ。といったことを言われ、近所のレストランに連れて行ってもらった。
通訳をしてくれて、本場のカレーを食べることに。
手で食べるのかと不安だったが、さすがにスプーンを出してくれた。

食後レジへ向かうと「フェンネルシード」という物が掴めるように置いてあり、食べてみると爽快感ありカレーの後味をとてもサッパリしてくれた。

しばらくホームステイの家で過ごしていると、オーストラリアで看護士をしている日本人女性も隣の部屋に住んでいると知った。
今後よく登場するだけでなく、かなりお世話になる為 ”Aさん”と呼ばせてもらう。


ボランティアに登録する

朝の目覚めはとても良く、チャイを出してくれた。
香辛料は想像している物よりも少なく感じ、ミルクティーのような味で美味しかった。
Aさんと一緒にボランティアの登録先の施設へ向かった。

マザーハウスと呼ばれる集会場に着くと、シスターが数名で迎えてくれた。
英語もろくにできなかったので、全ての手続きはAさんが行ってくれた。
何かいろいろとシスターと話し込んでいると思っていたが、私が初めてのボランティア活動の為、一番穏やかであろう「シュシュババン」という孤児院に決まった。

解散の前に、シスターから参加者へチャイを振舞われ、なにかの歌をみんなで歌い始めた。
ボランティア最終日の人物に向けて、労いも込めてなのだろうか。最終日は自分もこのように送り出してもらえるのだなと、その時は思っていた。

穏やかな空気と朝の光が差し込むその光景は、なんとも幻想的だった。


シュシュババンでの様子

マザーハウスから徒歩数分の所にある施設で、シスター達が慌ただしくしていた。
養子縁組も行っているとのことで、ちょうど私がいた時にそのような夫婦が訪問しているのを見た。

子供はいろんな子達がいて、自立を促す為に抱っこは禁止らしい。
事前情報も何も知らなかった為にその事を知らず、子供からせがまれた時に抱っこをしていたらシスターから怒られてしまった。
私からしたら自立する為に禁止であるということが理解できず、少しショックを受けてしまった。

暑い気候のせいなのか、22歳の私には孤児院にいると心が辛いせいか。ボランティア時間は午前と午後に分かれていたが初日のみ午後まで参加して、残り数日間、数時間のみ参加していた。


拉致される!?

万全にスリ対策はしていたが、日中であればそこまで危険を感じることは全くなく、日々徐々に一人での行動範囲を広げていった。
当時Wi-Fiはカフェに行けば接続できたものの、テクノロジー自体がそこまで普及していなかったので、紙の地図を頼りに行動していた。

とある寺院に行ってみようと思い立ち、バス停を探すも見つからない。
諦めていた所に一人の50代くらいの女性が話しかけてくる。
どこに行きたいんだ?的な事を聞かれていると察知したので、地図で目的地を指す。
すると、いきなり腕を引っ張ってどこかに連れて行こうとするのだ。

一気に背筋が凍った。

やばい。油断し過ぎた。
いくら年配の女性とはいえ、こんな人まで拉致の斡旋をしているのか?

もう頭は真っ白で、ただ引っ張られるままに歩くと、バス停が見えてきた。
そこにドンピシャでバスが到着。
笑顔で送り出す、その女性。
ただの最高な善人だった。

バスへ乗り込むと、ギュウギュウ詰め。
手すりなんかも無いようなもので、どうしようかと思っていると「女は座れ」と言わんばかりに、あっという間に座席を譲ってくれた。
ここにも最高な善人しかいなかった。


絶対、ぼったくっただろ

寺院に到着するとすぐさま男性が話しかけてきて、案内してやると言ってきた。
どうせ後で金をせびってくるんだろうと思いながらも、話を適度に受け流し軽く無視をしながら進んでいく。

お祈りというか、何か願いを唱えるような場所に着いた時。
ずっとついて来た男性が「親の名前を言いなさい、僕が代わりにお願いしてあげる」なんて言うので伝えた。
外人の名前を発音することは難しいだろうに、頑張って発音しようとしてる姿に母性をくすぐられたのだろうか。
いや、暑さでやられただけだろう。
あっさりと50ルビーも渡してしまう。

それから翌日、近所のマーケットを観光してみることにした。
また変な男がやってきた。
寺院の時のように同じ失敗はするまいと、適当にあしらうが「チャイをサービスしてやる」と言われホイホイ店に入ってしまう。
本当にチャイが提供され、すぐさま飲む。
(いや、本当にどうかしてるよね。若さって怖い)
なんか買えという空気を押し切って、すぐに店を後にするも追いかけても来ない。
無謀な挑戦だったが、妙な誇りがそこにあった。

お土産を買わねばと思い、スパイス屋を見て回る。
また案内してやると別の男性が近寄ってくる。
なんなんだコルカタは。必ず案内人が存在しているのかと思いつつも、そろそろあしらう事さえ辛くなってきていた。

暑すぎると思考回路はショートするようだ。

カレーに合うスパイスが欲しいと伝え、3-4種類の100g程度を40ルビーで購入。
今思えば、それも絶対にぼったくりだったのかと思う。
でも、もうそんなことすらもどうでも良いのだ。


人を大事にしなさいと説かれる

濃厚でユーモアに溢れる出会いの中、とあるカフェで盗撮してくる男性に出会う。
盗撮されて嬉しい人はいない。
イライラは簡易な冷房なんかでは収まらなかったが、暑いとなんでも面倒くさくなってしまう。
そんな事を思っていたら、その男性が話しかけてきた。

男「君、日本人?」
私「そうです」
男「僕の奥さんね、日本人で看護士してるの。今は出産で帰国してるんだけど、日本人だと思ったから奥さんに送っちゃったよ!」
あまりにも愉快に話すので一気に、親しみやすさを感じる。

男「あのさ、時間って過ぎたら元には戻れないだろう?
両親も兄弟も、友達も。もし居なくなってしまったら元には戻れないんだ。
そうなってから後悔しても仕方がない。だから君も大切にするんだよ」

人生観などを語り合ったことは今までになかったので、
一気にその言葉が染み渡るような感覚になった。
今でも彼は家族と元気に過ごしているのだろうか。


自分へのお土産は腹痛

最終日に向けて食欲は低下していく一方ではあったが、ホストファミリーから提供される食事は美味しく、帰国の2日前に提供されたご飯は珍しく食欲も復活し勢いよく食べた。
サラダと小魚のカレー風味南蛮漬けがあったのだが、食べた瞬間、胃袋が跳ね上がる感覚があった。

空腹にいきなり詰め込んだ為だとその瞬間は思ったが、その夜に腹痛に苦しむこととなる。

あのように苦しんだことは今にも過去にも、それっきりだ。
あまりの恐怖に吐くこともできず、なんとかその夜を過ごした。

最終日は朝食の時間に起きることもできず、心配したホストマザーが部屋に来る。
なんとか絞り出すように体調不良だと伝え、すぐに目を瞑り1週間を振り返る。
もし元気であれば今頃、マザーハウスで歌を歌いながら送り出され、感動的なエンディングだったのだろうが、私はどこかで選択肢を間違えバッドエンドロールに突入した。
孤独なインド腹痛の世界線は辛い。

丸一日は寝て過ごし、なんとかマシになってきた頃にAさんが帰宅。
彼女は看護士なので安心感がヤバイ。
症状や話を聞いてもらうだけで治ってきた気がしてきた。
そういえばAさんも私と同じ食事をしていたのだが、全く症状は出ていない。
最後の最後でハプニングなんて私らしいのかなと思いながらも、送迎の時間が迫るので頑張って荷造りを進めた。

無事に空港へ着き、チェックインカウンターで必死に伝える。
「腹痛があるからトイレの近くにしてくれ」と。
搭乗する人が少ないせいか私の状況を危険だと察知されたせいか不明だが、私の周りには誰もおらず、ちょっとした貸切状態だった。


最後に

もう一度インドへ行きたいかと聞かれると、最終日の思い出がトラウマなので行かないと思う。
しかしながら、インドで出会った人たちはユーモアに溢れ人間味がありとても濃い1週間であったことは間違いない。

自分を探す旅 インドへ。
なんてキャッチコピーは嫌いだし、寧ろそんなしょうもない理由で行くなと思う。
でももし直感的にインドのことやボランティアに興味を感じたら、漫画や映画のような出会いに溢れているだろうので、その直感に従うのが良いと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?