(無題)

表現者の◎さんという方がいて、私は彼のファンで、尊敬していた。
◎さんの表現が大好きで、語ること書くことにも影響を受けていた。
直接お話しする機会も多く、とても親切にしていただいた。

ある時期から◎さんと頻繁に共演するようになった別の表現者の方々が、私にはどうにも「良さ」がわからなかった。
きっと◎さんにとって大切な出会いであり、一緒に仕事をすることに大きな価値を見出していたのだろう。
でも私にはわからなかった。◎さんと釣り合いがよくないと感じた。
その方々をかき分けながら◎さんの表現に到達しなければならないのが負担にもなってきた。

それは2011年より前に始まっていたけれど、2011年以降に違和感は強まっていった。

◎さんに大きな体調不良が見つかったことで、◎さんは余計に「育てること」にシフトしたように思う。

でも、そんな◎さんの表現活動は、◎さん自身の表現が好きで、◎さんと互角以上の表現者が相対して作りだす表現が好きな私にとっては、魅力的とは思えなかった。

これは自分のキャパシティのなさゆえだ。

そう自分に言い聞かせても、表現にも、表現の場にも、その表現を求めて集まる人達にも、違和感がふくらんでいき、私の足は遠のいた。

◎さんが亡くなったとき、ご遺族にご挨拶したい気持ちはあった。
しかし、私が違和感を募らせた方々が追悼の場を主催されていたようだったので、足を運ぶのは辞めた。

ふと、◎さんから直接伺ったあるエピソードについて、あれは活字化されてるのかしら、ネットで読めるかしらと探していて、予想外のものを見つけた。

◎さんと同じ表現手段で活動する。私はたぶん名前しか知らない方が、おそらく◎さんとの拗れた関係を記録し残すためだけに書かれたブログだった。

その詳細な経緯(20年以上前のこと)に書かれていたのは、私の知らない◎さんだった。

ちょっとかなり、動揺している。

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