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言葉にできないことこそがわたしの「らしさ」

今回、mizuhoさんの灯火コミュニティに参加させてもらってることをきっかけに、たまたまタイミングよく募集していた他己紹介noteを申し込んでみました。理由としては、自分が自分のことを語って、それを聞いた人は「わたし」という人をどう紹介してくれるんだろう?という興味があったのと、私自身が自分のことを好きでも嫌いでもないみたいな、よくわからない存在だからこそ、ちょっとでも自分を知るきっかけになればいいなと思ったから。
あとは純粋に、mizuhoさんと話す機会を得て、「おもしろいな~」を言わせてみたいという、なんかちょっとひねくれた気持ちから。
mizuhoさんから送られてきた文章そのまま載せます。

灯火コミュニティについてはこちら⇩


いきなりですが、「あなたってどんな人?」と聞かれたらなんと答えますか?
「説明が難しいな……。」
わたしは、そう思うんです。
肩書きとか強み、「〇〇さんといえば〇〇」みたいなものがある人っているし、例えばフリーランスで働いていると「わたしとは〇〇」って定めないといけない風潮すらあるように感じる。
でも私は、自分自身をそうやって表すことって難しいとも思うし、あえて言い切りたくないと感じているところもあります。
だから、自分ってなんなんだろう、どんな人なんだろうって、自分でも正直よくわかっていないから、周りからはどう見えるんだろうというのが気になって、mizuhoさんがやっている他己紹介noteという企画に申し込んでみました。
話して思ったことについて、このnoteに書いておくことにします。

これまでの経歴を簡単に

どんな人かを語るときにこれまでの経歴があったほうがわかりやすい気がするので、先に書いておきます。
新卒で保険会社の営業を始めて、2年間勤務。その後転職して、事務職を2年半。一旦退職して今後のキャリアについて考えようと思った矢先に妊娠して、そこから長らく専業主婦をしています。
2023年11月からは友人の仕事を手伝ったり、自分でママコミュニティを立ち上げてモニター運用していたりもするんですけど、フルタイムで働いていた時のように「仕事をしている」という感覚はあまりないので、現在も専業主婦をしている感覚に近いです。
どの会社に入社するか決断する時、「やりたいことありき」というよりは、「今後結婚することも考えると…」「今後のキャリアを考えると…」みたいいに、現実的な視点でキャリアを考え選択してきたところがあります。
ただ、退職するときには「このままでは自分の価値観が揺らいでしまいそうだ…!」という危機感、一種の恐怖心から決めることが多い気がします。
「これがわたし」という確固たる軸があるわけではないけれど、直感的に「これ以上やるとやばい」というバロメーターが自分の中にあるのかもしれません。
そうやって自分を守ってきたところがありますね。
現状「早く稼げるようになりたい」という焦りも全くといっていいほど感じていなくて、素直に好きでやりたいと思えている「ママコミュニティ」や「心理カウンセリングサービス」が形にできそうというところまで来ているので、稼ぐことよりも好きを守ることを前提に、進めていこうと考えているところです。

人との関わり方に現れる「らしさ」

仕事については焦ってもいないし、これで早く稼げるようになりたいと強く思っていることも今のところないので、正直あまり「らしさ」って見当たらない気もしました。
でも、人との関わりについては「らしい」感じがします。上手くいえないけど。
例えば、私には子どもがいるんですけど、子どものことを仲間だと思っている節があります。子どもを子どもだとあまり思っていないというか、変に子ども扱いできないんですよね。
それは子どもだけではなくて、友人とか、仕事やコミュニティで出会う初めましての人も含めて。役職とか肩書きとかに関係なく、その人をその人としてみているところがあって、フラットに接する。
そして、それは他者との関係性だけではなくって、自分自身に対してもそうなんです。
「自分が好きか、嫌いか」みたいなことって私にとっては難しい。好きではないけれど、嫌いでもないし、大好きになりたいかというと…そういうことでもないんだよなーって。
私の周りにいる人のことも「みんなすごいなー」って思うけど、「私なんて」と自分をすごく下に見積もっているわけじゃない。「そうなりたい」と憧れたりもしないし…。違いがあることは認めているんだけれど、そこに優劣の価値観が紐づいていないんですね。
この感覚がいまいち言い表せなくて、mizuhoさんと話していてもやっぱり短い言葉で表せないよねって結論になりました。
「〇〇ってこと?」「ちょっと違うんだよな…」
「〇〇ってことでもないんですよね?」「そう、ちがんですよー」
mizhoさんが30分ぐらいあの手この手で質問して、合う言葉を探してくれたんだけど(笑)。AでもBでもCでもDでもない「なにか」としか言えない。
AからZまで全部確認していって残るなにかなのだろうと思うけれど、それがなんなのか端的にいうことが難しい。
「みんなにフラットである」
今のところこれはあっている気もするけれど、それだけで全部を包括できないし、やっぱりもっと曖昧でグレーなところに私の感情や価値観は存在している気がします。
それがどこまでいっても私らしさなのだけれど、だからこそ、一言では言えない。面白いですよねー。

ちょっとよくなることをやりたい

私らしいといえば、すごくお節介っぽい面もありつつ、急に客観的というのか、距離をスッと置いているみたいなところがあって、そこも話していて「そういうところあるよねー」と思いました。
今、稼ぐことを前提にしないで、好きなことをやりたいと思った時に出てくることって先にも書いた「ママコミュニティ」や「心理カウンセリング」なんです。
このどちらもモチベーションは「関わった人がちょっと良くなること」なんですね。
だから「みんなもっと良くなったらいいのに」と思っているお節介なところがあって。「こういうことやりたいんだよねー」と言っている人に「こうやったらできるんじゃない?」「それ一緒にやろうよ」とすぐに声をかける節がある。ググッと距離を詰めていくという感じ。
でも、「よくなる方向性はあなたしかわからないよね」って一歩引いているところがあるし、「一緒にやろうよ」という割には「やるのはあなただよ」と手を引っ込めるところがある。
どちらも私で、その塩梅は時と場合によって違うとは思うから、「ゆうさんってこういう人だよね」が、もしかしたら人によって全然違うことがあるかもしれません。
でも、そうやっていろんな人の中に、違った私がいて、それって面白いって思うんです。別に嫌いだって思う人がいても全然いい。
そういういろんな私、グレーな私について、フラットに、それでもぐるぐる考えていることを楽しんでいるところもありそうです。
結局「私はこんな人です」って短くはまとめられなかったし、これからも無理にまとめようとは思わないけれど、それが私らしいということで、今回は終えておこう。
読んでくれてありがとうございました!
Writer:mizuho
#他己紹介note


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