『力の指輪』の黒人エルフに 怒りを覚えた男の話

『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』の第一シーズンが終了して、まもなくひと月を迎えます。

諸問題で燃え盛った火がようやく下火になった今日この頃、いまさら話を蒸し返すのは本意ではありませんが、どうしても僕自身の考えを残しておきたいと思った次第です。

取り上げる話題は、もちろん皆さんご存知、有色人種の俳優がエルフを演じるという問題のこと。これが世界中で大きな論争を巻き起こしました。

原作を汚されたと憤るファン。配役の否定は差別だと非難の声を上げる人。どちらの言い分もよく理解できますよと中立をアピールする識者。作品が面白ければなんでもいい派。そもそもドラマ自体の出来が悪いと評する人々など。大小様々な勢力が入り乱れる中、映画版の俳優たちも苦言を呈する形で参戦するなど、ネット時代ならではの大きな事件となりました。世界中の人達が議論に参加できるというのは、SNSの面白いところでもあり、罪な部分でもありますね。

僕もTwitterやニュースサイトのコメント、アマプラのレビューなどで様々な意見を目にしました。中には「有色人種俳優のエルフを認めない人」=「人種差別主義者」で一括りにしようとする論調のニュース記事まで出てくる始末。その短絡的な論旨には、本当に空いた口が塞がりませんでした。

とにかく、この問題が泥沼化している理由は(あらゆる争い事がそうであるように)、対立する立場の双方に認識の誤解があるからでしょう。例えば、不満を述べるファンの多くは、おそらく人種差別の意図は持っていません。しかし、彼らがSNSに投稿する発言を見ると、差別的な考えに見えてしまうこともしばしば。そんな投稿が、差別を良しとしない派閥の人たちに火をつけ、一層議論が過激になっていくのだと思われます。

ちなみに僕は『指輪物語』のファンであり、白人でない俳優がエルフを演じることに断固反対する立場です。もちろん有色人種が嫌いだからではありません。人種差別するつもりではないが、今回の配役は認めたくない。その意図について自分の中ですこし咀嚼したものを吐き出してみたいと思います。

僕の感覚を具体的に述べるなら、『指輪物語』において、エルフに有色人種を起用することは、ドワーフに侍の武具を身につけさせることに等しい、ということになります。

侍姿のドワーフ。どうでしょう。結構悪くない気がします。日本の鎧は、ずんぐりむっくりな体型の方が似合うというイメージがあります。ドワーフに日本刀というのも案外しっくりきませんか? ドワーフはものづくりの技術に長けた種族。世界有数の切れ味とも言われる日本刀とドワーフは実は食い合わせがいいかもしれません。トールキンの描いた世界でなければ。

結論は、この最後の一言に尽きます。どれだけしっくり来ようとも、ドワーフに侍の格好はさせられません。なぜならトールキンの原作には、そのような描写が無いからです。『指輪物語』の世界は、数千年前のヨーロッパ周辺を想定していると言われています。であれば、そこに日本的な文化が入り込む余地はないのです。

ドラマの製作陣もそれをよく理解しているようです。西洋の世界を損なうことの無いように、建築、衣服、装飾、武具の造形に配慮が行き届いています。そこには間違いなく、トールキンの世界へのリスペクトが感じられます。

てばなぜ、配役に対してこの配慮がないのでしょう。

そもそも『指輪物語』の世界に有色人種がいないわけではありません。中つ国の地図をネットで探して見ていただくと、ゴンドールやモルドールの南に「ニア ハラド」とか「ハラドワイス」などと書かれた領域を見つけることができるはずです。この領域がいわゆる南方世界となっています。

この南方世界こそが、有色人種の土地です。(現在の地球の地図で言うところのアフリカにあたるでしょう。)『王の帰還』ではこの南方世界の人々がムマキルと呼ばれる巨大な像に乗って、サウロン軍の一員としてペレンノール野に侵攻してきます。

ホビット庄をはじめとする『指輪物語』のメインの舞台は白人の定住する土地。そして、他の文化や人種が流入する前の時代のお話だと考えれば、登場人物や景観が西洋風であることに疑問の余地はないでしょう。

ドラマの各種造形は個々に違いがありながらも、西洋の様式でしっかり統一されているようです。腕利き、目利きのスタッフたちが揃っているのでしょう。にもかかわらず、彼らの審美眼はなぜか「人」を対象にしたときに曇ってしまうようです。

ファン、というよりオタクである僕は、登場する俳優の性別や年齢、人種を見ているわけではありません。ただ僕の大好きな原作に対して、どれだけ忠実に、リスペクトを持って配役と演出がなされているか、そこに関心があるだけなのです。その点で僕にとって建築、衣服、装飾、武具、そして「人」は等価なのです。

「人種差別だ!」と非難する人たちとの認識の乖離は、ここにあります。彼らと僕は、同じものを見ているようで、実は全く異なるものを見ているのです。

少々語気が荒くなってしまいました。自分の好きなもののことになると、ヒートアップしてしまうところが、差別主義者に見られてしまう要因なのかもしれません。

いずれにしても、僕は年齢、性別、人種を区別しないでキャストを選ぶことが、人間の「個」や「多様性」を尊重することだとは思いません。人間に与えられた「違い」の意味について、現代を生きる全ての人が考え直す必要があるのではないかと感じます。

ここまでつらつらと述べましたが、実は僕はまだ『力の指輪』を1話も視聴していません。見ていない作品について偉そうに語ることはオタクとして最低の愚行だと、わかってはいます。

しかし、今回は視聴する前に、まず自分がどう考えているのかを記録に残す必要があると思ったわけです。その上でドラマを観て、この考えにどのような変化があるのか、はたまた考えは変わらないのか、続きを書き残すつもりです。