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元号は便利か

便利。

昨年末に買った「イラストでわかる 日本の元号」をぺらぺらとめくっている。

内容紹介より引用。実はこの本の素晴らしいところはタイトルの「イラスト」ではなくて、「これまでの元号がどんな理由で、どんな意味でつけられてきたのか」がこの本で素晴らしいところである。(いや、すみません、イラストが悪いとかしょぼいとかそういうことでは一切ありませぬ。念の為)

日本の元号は、約1370年前、645年の「大化」から始まり、以来、平成まで247の元号があったとされています。本書は、これまでの元号がどんな理由で、どんな意味でつけられてきたのか、特徴的な元号について、イラストで楽しく紹介していく1冊です。

 明治元年「一世一元の詔」以降は文字通りの運用となったが、この本を読めばなんだかんだで改元しているのがわかる。

 それもだいたい「目的があって」である。

 それまで改元タイミングを決めるのは天皇陛下と行政府が近いところにあり「こういうことがあったので国体としてこうしよう、こうしたい」と決めて改元したのであろう。

 今はそうじゃないから「第n次○○内閣」とか呼ばざるをえない。

 昨日の「東日本大震災」や「阪神・淡路大震災」などは我々が復興や反省のために「改元」を行えば「あれから何年」「どういう目的があったか」といったことを思い出すのにとても便利に使えると思うのだがどうだろうか?

 そういえば去年は何回目だったかのVR元年だったらしいが、OSのバージョン番号にしても、スマホの型番番号にしても、実質的に「業界でいう何年」みたいな元号を使ってると同義ではないだろうか?

 結局、様々な用途ごとに「元号」を用意してしまうほど便利ってことじゃないか。

 平均寿命が90年のなかで年齢を比較したり、データや歴史を各国で調査するには世界共通の「西暦」が便利だし、日本が国体が定まってから何年とする、なんてのを数えるのには「皇紀」が便利かもしれない。

 「この国の住人として、みんなで一致できる課題・ネタを忘れない、フォーカスできる、そこから数えて何年たったかも意識し、次の課題ができたらまた改元する」ってのが元号の便利なところなんじゃないかなあ。

 そう考えると明治の御代からの運用はイマイチ?

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