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毎日note、まだ縛りをつけて遊ぶには早かった

縛られるのが嫌いだ。

縛られるのが好きな人はいないかもしれないが、僕はそれが極端だ。フリーランスの方は共感できるのではないでしょうか。

今までやってきた数多くのアルバイトも、シフトが入ることでそれを見越して生活をしなければいけなくなり、それが辛くて辞めてしまったり。

アキレス腱を切って入院した時、手術した次の日には病院に縛られているのが嫌になって、通常3泊を予定していたが、先生に無理を言って1泊で退院したり。

大学の研究室ではコアタイム「9時から18時までは論文を読んだり、実験したりして、研究室で過ごしなさい」というルールを無視して、空き教室でこの文章を書いていたり。

行動を制限されたり、やることを指定されたりすると、耐え切れなくなって逃げ出してしまう。

ただ僕が甘ったれた人間なだけなのか、当たり前に集団行動できる人たちと根本的に違うのかはわからない。

でもそんなことはどうでもよくて、今こうして「文章を書くという好きなことをできているからなんだっていい」


ここで書きたいのはそういうことではなくて、文章を書くときにも縛りを設けると一気に書けなくなるということ。

毎日noteをやっている中で、昨日まったく手が動かなかった。無理やり記事を書けないことについて書いてみたが、中身がないピンポン玉のようだった。

これが昨日作ったピンポン玉。いや、この文章は跳ねすらしないからピンポン玉にも及ばないか。

どうして昨日は書けなくなってしまったのだろうと考えたときに、「縛りが多いからだ」と気がついた。

以下に考えられる縛りを書いていく。

  • 毎日投稿をしていて残り2時間で日付を超えてしまうというタイムリミット

  • 国試勉強をしたいからパパッと1メッセージを決めて書いてしまいたいという欲

  • 比喩や引用を過去のメモから上手く文章に使わなくちゃというより良いものを目指した向上心

  • 今後書きたいがまだ、深みを出せないだろうから、軽くかけるお題はないかな?という妥協の心

  • 1日1つに絞って投稿しなければいけない(これからはいくら投稿していいことにする)

こんなところだろうか。

すべて勝手に自分が課した縛りではあるが、効率よく、そして、いいものを作りたいという感情が自分を縛っていたんだなと。

成長するためには、縛りも必要だが、きつく縛りすぎて、身動きが取れなくなったら元も子もない。

急がなくていいよ。慌てるのは時間がないのが理由じゃなくて、余裕がないだけなんだから。
小林画伯ヤスポンスキーさんより

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