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疑うに足りる理由

夏休みは先生も職員室で椅子に座る時間があるので職員室内の話なども聞こえたりするわけですが、職員間の連携はともかく、連携する方々からの問い合わせに対して何となくって感じの子どもの情報の引き継ぎがあったりすると「ちょっとまったー!」ってなったりします。

ドラマ見てないので、どこまで進んだか分かりませんが職質回は敷根さんの株が上がる回です。「ちょっとまったー」って思った日に、ハコヅメがドラマでやってるって話を聞いて、ふとこの回を思い出したわけです。決してブラック労働繋がりではありません。

職質が警察官の感覚に任されるのと同じように、子どもを見る目ってのも教員に任されています。一人一人の子どもに対して、あの子はこういうふうに指導できたらいいよね。って教員間で共有できるのが理想だと思いますが、実際は飲み屋だったりしないと「緊急性のない教育相談」ってのは雑談扱いになるわけで、カラ残業だとか税金泥棒って言われたりするでしょう。

私は逆に、それが担任にとって一番大切な仕事なんじゃないかなって思ってますが、そういうのは飲み屋で熱く語りあう会みたいなのでやってました。仲間に恵まれていたんだなあって思います。今はコロナで飲み会も出来ないので、新人ちゃんにそういう機会が作れないのは残念ですが、残業ついでに少しずつ教えたりはします。でもお酒も入って無いし仕事もあって残ってるから、その都度、助けつつ指導って感じで煩わしい感じはあります。

コロナになってからは気になる家庭があったとしても、家庭訪問とかは遠慮がちになったりしてます。不景気だったりコロナ病みだったりで大変だろうなってのもあるので、向こうからヘルプが来たり、連携各所から相談があったりしてから動くことが多いです。子ども自身が何も感じていなくても疲れが見える家庭もあります。普段とは違う何かを感じたときに、それが見えるわけで。そういうのは初任にとっては難しいだろうなって感じたわけです。

「大丈夫?」って子どもに聞いても気にしない、あるいは気になったとしても行動できない子どもは多いです。家庭の問題は学校側が何かできるわけでもないですし、せいぜいSSWにつなぐくらいです。でもそういう経済的支援とは別に「抱え込んでいるもの」に対して認知する機会ってのは必要です。

もしかすると、それは子どもにも将来の負担になるものかもしれません。それを受け入れるためにも、見えている人が、見えていない人に、伝えるべきだとは思います。それが若い人に出来るかどうかってのは難しいところです。人によっては、お前は何様だ!ってなるかもしれません。でもちゃんと報連相して、伝えなきゃいけないよなって決まる方向に持っていけるかは先生次第なわけです。

そんなの学校の先生の仕事の域じゃない!ってのも分かります。そこらへんは私の性分で、私は好きでそういうことをしてしまうわけで、誰かにソレを押し付けようとは思いませんが、気にならないと言えば嘘になります。だから、たまに飲み会の席でそういうことを語り合うこともあるわけで。

でも全部、子どもたちが将来降りかかるであろうものに対する準備なのであって、それに寄り添える人がその都度、寄り添わないといけないというか、それが大人の務めだろうって思うわけです。ご近所さんで助け合えなくなった社会なら尚更、そういうニーズは公教育の負担になるわけで。

職員室の電話を取ることも雑務の一つでしょう。それは誰の仕事なの?ってなることはたくさんあると思います。そういうことを一つ一つの細かい仕事の管理を、管理職が気を付けて評価することなんて今の学校の中では出来ません。管理職で無理なのだから、役人さんがどうとかなんて話にもならないと思います。でもこういうハコヅメみたいな生活感のある漫画があったりすると、そういう人も報われたりするんだろうなって感じるわけです。

学校の先生という仕事に対する不信感は、コロナと同じくらい問題になってきているとは思います。それでも公教育の必要性ってのは、不景気で不安定なときほど多くのことを望まれても仕方ない。それは公務員だから。そういう仕事だし、そういう時代だからこそ資金投入をするべきだとは思いますが、それは政治判断なのでどうしようもない気もします。

私は講師なので、今年も採用試験に受からなかったら来年はちょっと現場を離れようかなって考えてます。向こうから手放すわけだから、引き留められる筋合いはないよね。だからと言って新人教育を怠るわけではありませんが。

できることなら教育に明るい未来がありますように。


そういえば緊急事態宣言になる前に「竜とそばかすの姫」を見たので、それについてもいろいろ書きたいなって思ってます。細田監督とインターネットについて、情報モラルについて思うところは多々あるので。

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