見出し画像

君の声を聞かせて

学年団や学年主任について、意見を持つ人は多い。特に途中から学年団に参加する人だったり、普段から他学年の学年団に対して意見がある人はそんな感じだ。隣の芝生は青く見える?鬼は外、福は内?何だっていいけれども、自分の学年団や職場環境が自分に合っているのが一番だ。

私は縁があって、他学年の学年団に飛び入り参加することはあんまりない。講師だったり教科が適当だったりすることもあるし、生徒指導みたく強力な影響力を持つ人材として使われることもない。とりあえずは自分にできることをするって感じで働いているのも原因かもしれない。

じゃあ学年にとって影響力がないかというとそうでもない。時間が会えば何でもするから、誰かが何かをしない嫌な空気みたいなのは無くなりやすい。社会人経験があるので新人扱いはしてもらえず、1年次の未知のクラス分けも最後のややこしい2択までは残される。

ただ指導観については、まだまだ学ばせてもらう立場みたいなところと、自分なりに何かしても許されるボーダーラインは見えてきた気もする。指導観については学年の意向に沿うけれども、自分なりの個性もあるので半々くらいである。

自分のクラスだと尚更。最後の着地点が成長に繋がれば何だっていいかな?くらいはある。もちろん1、2年先は見越して逆算した上である。この時期にこの指導はしておかないと後が面倒くさいとか、このルールや思いやりを持っておけば後で生きてくるとか。

班長とかリーダー育成は1年次が大事、2年で部活動の柱になる前に周りを見て行動する力をつけさせなくちゃいけない。2年次は大人になる子から学級や学年全体を意識させる。フォロワーシップみたいなやつ。逆に子どもみたいな子は個別に指導したり周りと一緒に支援したりする。

3年は進路を見越して自立する子が増えるから、生活指導的にはあんまりやることはない。自分の適性を考えて早い子から高校に入ったあとのイメージを持ってもらう。先を見る力を持たせたい。あとは感傷的になってる子から学級を盛り上げてもらう。みたいなイメージ。

学校に部活動が無くていいかと言われれば、部活動があった方が先輩後輩の意識ができてくれるから仕事はやりやすい。近所のお兄ちゃんお姉ちゃんじゃなくて直属の先輩になったりするのだから、頼りがいだって出てくる。

話を戻して。学年団の意向に私のイメージする学級が合うかどうか。それは1年の最初に学年団で確認しておくことが大切だと思う。私はこういうキャラだからこういう事はできるけれども、こういう事はできないかもしれないし、手に負えないこともあります。ってこと。役割分担みたいな。

定時で絶対帰るから放課後の生徒指導はあまり参加できません。部活が忙しいので放課後作業は手伝いにくいですが生活指導は部活側からやんちゃっ子たちは監督します。とかとか。私の場合は、とりあえず他の先生方で意思疎通が難しい子でも多分、対応できます。とか。

最初の学級経営は、やんちゃっ子をどうするかだったけれども、次からは不登校傾向の子をどうするかってところかなぁって感じている。いわゆる中1ギャップってやつ。言葉としては知られているけれども対処できていない原因の中にあるのは特別支援とかの知識だとは思う。

特性に対する理解。良くも悪くもパンドラの箱みたいな感じはある。グレーゾーンが広くて、傾向があるとしか言いようがないけれども、決めつけることで楽になる部分もある。先天的なものと後天的なものもある。判断が難しいかと言われればそうでもない。あくまで傾向を見つけるだけだから。

問題の多くは「子どもの気持ち」と「保護者の気持ち」と「目指す場所」がなかなか一致しないところである。人並みに出来ることや、他の人より出来ることを求めるけれども追いつけず、プライドだけが高くなって現実逃避してしまうのがよくあるパターン。その原因や責任を求め過ぎて目の前の問題を見ないことが当たり前になりすぎてしまうとしんどい。

得手不得手はあるのだから、別にそれが学校で評価される必要はないし、社会で生きる上で必要な力かどうかと言われたら、当事者によってはほとんどいらない能力かもしれないので、無理に学校に合わせる必要はない。とりあえず出来ることをやって、苦手なことを知って必要な支援を知ればいいと思う。

あとは人間関係のやつ。これは家庭環境の影響も強い。誰かのせいにするのは簡単だけれども、所詮は他人なのだから貴方が気に病む必要はない。しんどいなら適当にやり過ごせばいいし、やり過ごせないのなら一つの場所にこだわらずに新しい環境を作るべき。他所に良い所があればそこで休憩すればいいし、他所の地獄を見ればマシだったなって気づく。

安全な家が増えすぎて、こういう弱さは目に見えて増えた。お家に居たい系。自分が子どもの頃は家がめちゃくちゃ怖いから学校で癒される子の方が多かった。お家に帰りたくない系の子ども。そういう子どもたちが学校や習い事をサボろうものなら、どこかに縛りつけられたり、家に入れてもらえなかったり、顔面ボコボコで引っ張りだされたりしていた。

世の中が平和になったのだ。それはそれで良いことだけれども、それでは学校は家庭以上の安息の地になることはない。ディズニーランドでも高級ホテルでもない。社会的なインフラなんてそんなものだ。それが理由で行かせないのなら、家庭教師で英才教育しても良いと思う。大昔の貴族みたく。

それでもまぁ、ちょっとずつでも学校に来たい。私の授業だけでも受けて登校を頑張る。っていうのなら、私は授業の形を変えてでも貴方を迎えてあげますよ。ってスタンスでやってる。正直、仕事が回って無いし今日もそろそろ仕事に出かけなくちゃいけないけれども。

それでも、なぜか学校に来れて授業で適当に笑ってる子を見ていると、いい仕事してるんじゃないかなって思えるのだ。残業は12月も100時間超えてたし、定時帰りの仕事効率にだってならないけれども。私にできることができているのなら、それでいいんじゃないかなって思うわけで。

正解は分からないし時代には逆行しているけれども、君のために頑張ることならやぶさかではない。

君の声を聞かせて 雲をよけ 世界照らすような  ってやつ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?