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表現規制反対の概略2(ゼロ年代表現規制反対派の功績概要)後編

後編・はじめに

前編(上記記事)にて、ゼロ年代当時の表現規制反対政治家の最大の立役者の一人、保坂展人氏(当時社民党議員、現世田谷区長)の活躍を紹介したが、当時の彼の活躍がなければ児童ポルノ法が表現規制法に変質し、山田太郎氏出現前に表現規制が進行する危険性が高かったのである。

そして、山田太郎氏の実行した表現規制反対手法は「男女共同参画計画における表現規制項目削除」同様に、この時の保坂氏ら野党表現規制反対派が築いた基礎を更に発展させたものである。

喩えて言えば、枝野幸男・保坂氏らの当時の野党系反対派が徳川家康でその「家康=保坂、枝野氏」が築いた基礎を基に、山田太郎氏が「家康の築いた幕藩体制を盤石にした」徳川家光の役目を果たしたという図式である。

つまり、山田太郎氏は保坂、枝野氏同様に「表現規制反対の原則に忠実に実行した」訳である。山田太郎氏と、保坂展人氏らゼロ年代野党系表現規制反対派はベース思想が同じであるために、両者の政策は酷似しているのである。これは、漫画表現以外にもこの傾向はみられる。

後編本題

1.ゼロ年代のダウンロード規制問題
山田太郎氏は一昨年前、著作権侵害対策の枠を超えたダウンロード規制に反対し、漫画家の赤松健氏らと共に規制範囲を明確に海賊版に限定して表現規制法になるのを防いだことは記憶に新しいと思う。しかも、表現規制法関連なら厳しいツッコミをする共産党でさえも太鼓判を押す内容のものに仕上がった。実は、これと似た問題がゼロ年代にも起こった事はご存知だろうか?

保坂展人氏も、山田太郎氏の時と若干、論点は違うが問題に気付いて動いていたのである。この時、保坂氏が動かなかったら、山田太郎氏が出現前のゼロ年代の時点でダウンロード規制が実行されていたリスクもあった訳である。

2.いじめ、児童虐待問題
山田太郎氏は、児童ポルノ問題追及の過程で表現規制だけが行われ、肝心の被害児童が放置されていた問題を知って慌てて対策に動き、子ども家庭庁設立のきっかけになった件はご存知だろう。保坂展人氏も、いじめ問題や児童虐待を問題視して当時から、動いていた。(下記記事・不登校新聞参照)現在も世田谷区長の立場から動いている。

元々、保坂氏は教育ジャーナリストとして1980年代から管理教育を問題視し、子供の人権侵害には敏感だった経緯があった。特に、戸塚ヨットスクールの件は問題視して、当時の追及を厳しく行っていた。(下記記事参照)

山田太郎氏と上述の保坂展人氏は共に、子供や若者の自由と人権を重んじるスタンスは同じである。だからこそ、表現規制問題においても「表現規制反対」のスタンスや行動が似通ってくるのは必然だったと言えるのである。

山田太郎氏と保坂展人氏ら野党系規制反対派は同士?

山田太郎氏出現前の時期、子ども家庭庁の構想は保坂氏だけでなく、民主党政権時代の当時の民主党(現在の野党)も構想していた。(上記記事参照)どういう事か?実は、山田太郎氏は自民党に所属してはいるが、その思想自体は保坂展人氏ら野党側表現規制反対派と大きな違いはない。山田氏のそもそもの出馬の原点は、娘さんの自由な創作環境を確保する思い。子ども家庭庁も、子どもの被害に心を痛め、根本的な解決を求めて。子どもの人権や、表現の自由を重んじる思想は同じである。

根本的な思想が同じで同じ問題に取り組んでいれば、行動やその結果も酷似してくるのは必然だったというだけの話である。

事は与野党対決の問題ではない。与野党双方の「規制派対反対派」という図式である。これは踏まえるべきだろう。

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