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時間の体温

 

 モニターを前にすると、寸前まで体感したようには言葉が出なくなる。

 茫漠とした想念のなかで言葉により確定し、論理と音律により展開させる思考はしかし立体的多次元的で、文章は単線的だ。それは一筆書きで彫像を仕上げるようなものだから、この思考をこの文章へと引き写す試みは端から不可能“的”になる。途方に暮れる。だからこそやり甲斐はあるとも言える。表現が個的にならざるを得ないのは、析出される思考の形によるというより、析出の過程で加えられる鑿の痕跡こそある意味では、表現の本体だからだ。この意味合いにおいてはたとえば、わかりやすさ伝わりやすさが意図されるほど表現の輪郭はかえって不明瞭になる。オリジナリティの獲得がない文章には形がない。色がない。存在させる価値がない。

 そこで行われていることの本質が何なのかということは、それを行うさなかには把握されず、そこに本質があることへの気づきは困難だ。けれどもこの個を生きようと試みるかぎりにおいて、本質は益々強く前提されてくる。前提され感覚され、しかし明晰には意識しがたい。だからこそやり甲斐があるとは言える。仮面たちとの戯れに価値を感じるのは、その仮面を個別に打ち割った先に開ける他者とのコミュニケーションが生存に必須だと感覚されているからだ。けれども他者とのコミュニケーションが、この戯れによってのみ調達されるのではないことへの目配りを忘れると、この戯れに埋没した日々を暮らすことになる。屹立した拒絶を持たない日々にはしかし色がない。形がない。生きられる価値がない。

 鬱を単純に病だと言い切れないのは、鬱によって回復される生があるからだ。それはいつも無意識に行われる。明確に意識はできないが、行う主体はつねにこの個だ。戯れは被る仮面が打ち割られないことを前提に為されるため、上滑る。鬱は負の戯れだ。鬱は打ち割り、上滑りを塞き止める。揺らぎをやめた表層は透明となり、初めて本質が露わになる。大切なのは残り時間だ。時間はある。たっぷりある。きのう死んだのではないかぎり。


 

 福岡空港からバンコクへ発つ直前の、天神の街なかで過ごした最後の一時間に、思いがけず衝撃を受けている。熊本へ入り阿蘇、柳川、益城、小倉、八女と訪れた今月の九州滞在は望外に豊穣で、多くのひとの世話になりながら、多くのひとや未知の光景と出会い、自身の感覚や記憶を密度濃く更新させてくれる時間となった。けれども時間の範疇で言うならそれらは半月前に始まったばかりの、つまりは未来に重心を置いている。最後の一時間、だけが突出して過去へと向かう。

 この十年は、とても不思議な時間だった。前半の五年は単に失神し、単に翻弄され、そこに主体的な経験は何もなかった。後半の五年は鏡像のように真逆で、個の選択にすべてが依拠して、暮れ塞がる時間すらもが消極的な観察により択ばれている。この不思議なドミノの先端を倒す一瞬に何が起きたかは正直わからず、語りは騙りにほかならず、疑いだせば切りがない。書き置きだけを残してその日は去るつもりだったぼくの前に思いがけず彼女は現れて、駆け寄るように近づいてくるその仕草が十年前とあまりにも変わらなくて言葉を失くす。

 十年前に彼女は生き道を大きく変えて、この十年の前半をニューヨークで暮らしていた。彼女のシルエットは記憶のままで、けれどもお茶目な女の子から洗練された大人の女性にすっかり変身を遂げていて、素朴に驚いた。ぼくと過ごしたわずかな時間が、進路変更のきっかけだったという彼女の話はたぶん本当だ。なぜならぼくがこの生のうちで一度は住んでみたい街の筆頭は、十年前も今もニューヨークとイスタンブルでありつづけているからだ。だから確信を込め彼女のニューヨーク初訪を強く推したし、それが一個の生を変える可能性を、二十代のぼくは充分に予感していた。ただ、十年後に天神で向き合うこの時間は意識していなかった。彼女の出身地は熊本で、この十年の両端と屈折点を地核の戯れが結んでいる。揺らぎをやめた表層は透明となり、初めて本質が覗かれる。

 いまぼくは、バンコクにいる。

 ドミノは倒れつづけている。


 

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