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8月9日。

 104回目です。φです。

 今日は長崎に原爆が落とされた日です。

 6日には広島のことを取り上げ、私は平和について書きましたnoteに。それからたった3日後にも、原爆のことを最初に取り上げます。

 とても悲しいことです。一瞬にして人の生きている場所を焼け野原にして、人を溶かすように焼いて、すべてのものを壊して。

 それを作り出してしまったものは、人間だということが私は悲しいと思います。

 今ある兵器、武器。そういった人を傷つけるために生み出されたものは、すべて人間が生み出しました。

 勝つために。自分の国を守るために。そして、人の命をより多く奪うために。

 でも、発端はそれらの目的ではないものもあります。利用方法を間違ってしまった、使ってはならない方向に用いてしまった。たったそれだけの過ちが、今の壊し壊される世界を生み出しているんだと私は思います。

 本来の目的だけに使うなら、きっと大量に人の命が奪われる歴史はなかったでしょう。

 歴史を伝える建物たちが、無残にも破壊され、跡形もなくすようなこともなかったでしょう。

 負の遺産もなかったでしょう。

 誰かの人生を語るときに、命を奪った兵器の名前が上がることもなかったでしょう。

 そう考えると、どうして私たち人間は誤ってしまうんだろう、と私は思います。

 どんなに歴史を繰り返しても、戦争はなくなりません。兵器の開発もなくなりません。技術の発展を軍隊に用いようと思う心を持つ人もいなくなりません。

 これだけたくさんの犠牲を知っていても、兵器は生み出され続けています。きっと、今この瞬間も。

 私は平和に関しての学習を長崎の原爆の日にしたとき、「全世界が武器を捨てると、軍隊を捨てると、技術を悪用しないと、そう誓うことができれば、戦争はなくなるんじゃないか」、と考えたことがあります。

 けれど、私は「戦争はなくならない」と今でも思います。何度考えてもそう思います。戦争はなくならない。

 もし世界中にその法令や宣言が出されても、「いつか」のために国々は力を隠し持つでしょう。うまくその場をやり過ごし、表立って力を見せない。それで、「もしも」「いつか」のときに、戦争開始を宣言するかもしれない。

 世界中のことを世界中が把握することは不可能だと私は思います。私は日本に住んでいるけれど、日本が本当は何を隠しているのか、何を歪めて伝えているか、そういった内情はおそらく知りません。おそらく、というよりも確実に知らない。

 国のトップが本当に本当のことを言っているかすら知りません。きっとどの国もそうだと思います。

 国民すら知らないことを、世界中が把握できるか?

 難しいと思います。スパイや諜報員と呼ばれる人たちがいても、本当のことを彼らの母国なり、契約者なりに伝えているかすら分かりません。人の事情は本人しか知らないかもしれない。

 そう考えると、世界中に謎だらけです。どれが正しいのか、どれが正しくないのか。それとも、正しさなんて誰も知らないのか。

 隠し隠され、の世界の中で、色んな技術は発展していく。良くも悪くも。

 そして、その技術を持って戦争が始まる。

 悲惨な歴史が繰り返される。

 いつまで経っても戦争がなくならないのは、たくさんの理由があるからだと思います。


 人間が欲を持つ以上、戦争はなくならないでしょうね。

 私は戦争が嫌いです。武器が嫌いです。兵器が嫌いです。憎悪する心が嫌いです。差別が嫌いです。

 世界にはそう思う人もいると思います。平和を願う心を持つ人もたくさんいると思います。

 けれど、それは「私が今何も奪われたことがないから」からかもしれません。

 もし私が戦争か何か、人の力を持って私の大切な何かを奪われた時、私は平和を願うことはできるか?

 そう聞かれたら、私は「平和を願います」と言えないかもしれません。

 「奪った相手に復讐をしたいですか?」と聞かれたら、首を縦に振るかもしれない。

 そうではないかもしれないし、そうかもしれない。私は奪われたことがないから。

 戦争は戦争によって生み出されます。奪われたものが奪い返そうとして、それを繰り返す。

 とても悲しいけれど、戦争はこれからも続くのかもしれません。

 私たちが世界中で平和を願い、本当に小さな一歩でも奪い奪われるの関係を断てば、平和はやってくるのでしょうか。

 この8月9日、私はとても心が重いです。けれど、しっかりと考えないといけない日だと思っています。

 この日をこの国が持つのは、原爆を使ったアメリカが完全に悪いとは言えません。日本の非ももちろんあります。

 どちらが悪か、ということは戦争においては決めることができません。どちらも人の命を奪っているのだから。

 しかし、この原爆の日を持つ国として、この8月9日を平和を誰よりも願い、祈り、次の悲劇を生まない誓いを立てることが今を生きる国民のやるべきことだと私は思います。

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