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Consider how the other side feels.

 84回目です。φです。

 最近色々ありまして、「本当に相手を思う」って何だろうなぁ。と考えることが多くなりました。

 私は相手のことを思うならば、相手の意思を最大限に尊重して、自分の相手に対しての欲求はできるだけしない。勝手に相手の本心とかを考えず、肯定する。意見を求められるまでは。それが本当に相手のことを思う、ということだと思っています。

 「相手のことを思いつつも自分の欲求は満たすようにする」。これも良いとは思う。けれど、それは相手の意思を確認しているのかな、と思ったり。本当の意思ね。

 「あなたのことを思って」という言葉は、しばしば問題が生じる。

 相手のことを思っているようで、実は自分の都合に合わせていたり。その言葉を免罪符に、自分の意思を優先していたり。思っているようでいて、実は自分の主観的な観察に基づいたものであり、客観的なものではなかったり。

 相手のことを思うって難しい。言葉にはよく口に出すだろうし、よく耳にするけれども。本当に相手はそれを願っているのかを知るには、相手の本心を問うしかない。

 しかしながら、相手が本心を伝える可能性は疑いようもない、ということは稀だと私は経験から判断する。相手(例えば、私)のことを相手(私にとっての相手ね)が思って、いわゆるホワイト・ライを伝える可能性だってあるわけだ。

 例えば。

 私がAさんを嫌いだとする。Aさんに会いたくないから旅に出るとしよう(笑)

 Aさんが「どうして旅に出るの?止まる場所を提供するよ」と言うとしよう。

 私はおそらく「旅に出たいから」と言うだろう。そこで、もしAさんが自分も付いていく、と言ったら?

 私はホワイト・ライを伝えるだろう。「自分一人で行きたいから」とかね。本心はAさんから離れたい、という理由からだとしても。

 Aさんがさらに「あなた(私)は一人では苦労をするだろう。付いていく」と言ったら?Aさんが私を思いやってね。

 私は本心を伝えることはないでしょう。Aさんが嫌いだから旅に出るし、付いてきてほしくもない、なんて。まぁ伝えられるなら私は伝えたいけどね!(笑)

 Aさんにとっての思いやりが、Aさんが私のことを思って取った行動が、私のためにはならないわけです。

 すごく具体的すぎる?まぁ実体験だからね、進行形で!

 絶対に伝えられない本心と、本心を伝えられないが故に思いやっている行動。この関係はすごく難しい。

 うまーく理由を見つければいいかもしれない。けれど、それは難しい。本心を伝えることは確かに簡単だ。その後のことを考えなければね。

 私はそういった経験から、「相手のことを思う」=勝手に推測して何かを提供しない。それが相手のことを思う、相手の意思を尊重することだと思う。

 冷たい人だ。と思われることもあると思う。私の意見はね。言葉を削って説明すると、相手に干渉しない、とも言えるだろうからね。

 手を差し出すことすらしてないじゃないか、と思われるだろうね。自分の意思を伝えて、それに関して私の考えを聞きたい人にとっては、見捨てられた、とも感じるかもしれない。

 けれども、私は相手が「あなたはどう思う?」と聞くまでは何も言わない。相手が私の考えを望んでいるかなんて私には分からないから。

 私のやり方もまた、私が誰かを思いやったことで誰かを傷つけているかもしれない。

 そうやって色々と考えると、自分のやり方に正解なんてないし、どれがベスト、ということもないんだろうなぁ。と思う。

 人生を長く生きれば生きるほど、経験から学ぶのだろうか。それとも、長く生きただけ自分の意見に凝り固まってしまうのだろうか。それとも、触れ合ってきた人たちの価値観の傾向によって学ぶものが変わって、新しい考えになるのだろうか。

 どれも、今の私には分からない。難しいね。きっとマニュアルもないだろうし、あったとしてもマニュアルが全人種を網羅しているとは限らないだろう。

 言葉では一言で言い表せる「相手を思う」こと。たった一言ですら、永遠の私の課題になるのだろうね。難しい。

 相手の思いやりが故に、今苦境にある私の語り事でした~。

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