パパおな2

パパな、女の子になろうと思うんだ

※このnoteは、2018年5月14日に動く城のフィオがマッハ新書として販売した自伝「パパな、女の子になろうと思うんだ」に一部改定を加えたものです。

「成功者」と言われる人々の自伝を読む度に、何の挫折も味わうことなく「オトナ」になってしまった自分が酷く矮小なものに思えた。

”うぃ”について

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『よーっす。うぃは、バーチャルつるぺたドワーフ錬金術師ロリ爺のフィオっさんだよ~。旅するバーチャルYoutuberなのだ!』

 私が「動く城のフィオ」という器を手に入れたのは、2018年2月20日のことであった。私は、この日のことを生涯忘れることはないだろう。

 バーチャルYoutuberデビューをしてからおよそ3ヶ月が過ぎた今、私の目から見えるものについて記しておきたく、筆を執った。
 この本は、私がこの300年を超えるドワーフとしての生(という設定なのである)の中で初めて書く「フィオの中に込めた魂」についての記録である。
 バーチャルYoutuberの大半は、リアルを感じさせる発言を「メタだ」として避ける傾向にあるが、私は数少ない「リアルの生活が透けて見える」タイプのバーチャルYoutuberだ。妻子持ちであることを公言しているし、配信中に息子が乱入する「(親フラならぬ)ちびフラ」をやらかしたこともある。ゆえに「メタい」話も非常に多く出てくる為、バーチャルYoutuberをキャラクターのエンターテイメントとして感じていたい方はここでnoteをそっ閉じすることをオススメする。

ロリ爺がショタだった頃の話

 自営業の父と専業主婦の母の長男としてそれなりに裕福な中庸家庭に生まれた私は、幼い頃から何かをアウトプットすることに喜びを感じる子供だった。ファミコン、スーパーファミコン、セガサターン、たまごっち、デジモン……娯楽は周りに溢れていて、私は流行を享受しつつも「自分も面白いものを作りたい」もっと言えば「自分のほうがもっと面白いものを作れるのだ」と信じて疑わない子供だった。
 図工室にこもってはボードゲームを作り、友人たちにプレイさせてはフィードバックを得て改善し……といったストイックなことを繰り返していた。

 クリエイティブとは無縁な人生を送ってきた両親にとって、息子の行動は奇行に映ったことだろうと思う。あの頃の原体験が今の私の生き様に結びついているのだから、そんな息子を野放しにしてくれた両親には感謝しか無い。

 中学時代はちょうどインターネットの黎明期で、隠しリンクを探したり、キリ番を踏むのに必死だった。
 高校生になるとネトゲにハマり、ラグナロクオンラインで辻ヒールをする為に徹夜した。
 この6年間は黒歴史の塊みたいなもので、ダイヤルアップ接続をしすぎて電話代がえげつないことになって親に叱られたり、ネカマにハマって出会い厨になったり、特に仲良くもない女子に恋心を感じて一方的な告白をしてヒカれたり、ゲーセンでホットギミックの「脱がせ!」ボタンを連打している所をタイミング悪く教師に発見されたりとまぁ一通りの洗礼は受けただろう。

 大学に入ると、マジックにハマってアマチュアプロのような事を始めて大学生にしては過分な金を手にしてみたり、一方でVIPのお絵かき板に貼り付いて安価でイラストを描いたりしていた。同人活動を始めたのもこの頃である。

 大手上場企業に入社し、激務に喘ぎながらも6年ほど勤めた後、とある小規模ベンチャー企業に役員として転職した。結論から言えばこれは向いていなかったものの、貴重な体験をすることが出来た。この事については後述する。

 一社目の会社で出会った先輩とゴールインし、男児二児を授かる。それなりに悩みはあっても、妻と息子たちはかけがえのない存在だし、心から愛している。

 ステレオタイプな幸せの形をなぞって生きてきたように見えるのは「それしか知らなかったから」に他ならない。今振り返れば、知らずしらずのうちに自分の中に溜まってきた不満や不快をバーチャル空間に解き放つような形で「フィオ」という器が生まれ落ちたのだろう。

 前置きが長くなったが、「フィオ」を構成する大きな要素の一つであった「創作同人」から話を始めようと思う。

「やりたい」だけでは生きていけない歯がゆさ

 私は極めて絵が上手なわけではなかったし、誰もが唸る文章もかけず、プログラミングも分からない若者だった。漫画家やイラストレーター、小説家という夢を追っていた頃もあるが、一点突破の才能には恵まれず、気づけば「どれも中途半端に出来るがどの方向にも尖っていない器用貧乏」が出来上がっていた。
 その頃、月姫やひぐらしのなく頃にといった同人ゲームが隆盛を極めており、特に竜騎士07さんの背中からは「(失礼を承知で書くが)イラストも文章も何もかもが中途半端なのに、上り詰めることが出来る」ロマンを感じ、大いに滾ったものである。そういう訳で、私は消極的なのか積極的なのかよく分からない理由で同人ゲームを作り始めた。

 当初はチームで制作を始めたが、一向にゲームは完成しない。かけた時間と売上が比例せずにチームは空中分解した。いわゆる「エタる」を経験する。
 その後、一人で再度同人ゲーム制作サークルを立ち上げ、それなりに名の売れた作品を何本か作り上げ、年に数百万の売上が出るまでには至った。

 私は「同人は趣味」と割り切れないタイプで、ゲーム制作にしろ同人誌にしろ「儲けが出ないのならやる意味がない」と考えていた。世に出た作品から何かしらの刺激を受け取って燃料とし、自分というフィルターを通して作品を出す以上、「その結果価値が下がる(=赤字になる)」ことが「自分に価値がないように感じられて」耐えられないからであった。
 だから、私にとっての同人活動とは「いつか一発当ててやる」ハングリー精神をぶつける対象であると同時に「本当にやりたいことそのもの」、一方で「それだけでは生活が成り立たないもの」でもだった。

華やかな転身、落伍

 父が小さな町工場を経営しており、その背中を見て育ったせいか、漠然と「いつか社長になりたい」と思っていた。ふとしたキッカケで小規模ベンチャー企業の役員になったことで、社長になることは叶わずとも、経営の現場を肌で感じることは出来た。ただ、この転職を通じて、私は大きな挫折を味わうことになる。

 従業員数千人の上場企業から十数人の小さな会社に移り、凄まじいカルチャーショックを味わいつつも、急拡大するベンチャー的雰囲気の中で新規事業の立ち上げといったブーストから仕組み化等の地固めまでを実働部隊の中心人物となってゴリゴリ推し進めていった。社内には問題が山積みだったが、将来的な上場を目指すという脳内麻薬で誰もが浮かれていたし、私もその一人だった。

 一年が経ち、二年が経ち、三年が経った。ある日ふと、一向に近づかない上場という目標それ自体に「醒めてしまっている」自分に気づいた。いや、より正確に言えば「自分のせいで上場という目標が近づかない」と感じたのだった。

 凄まじい回数の挑戦と試行錯誤を繰り返してはいたが、筋か運が悪かったのだろう、売上は思うように上がらず、社員は次々と離れていっていた。
 私の評価は、気づけば「なんか色々なことを次々やるすげーヒト」から「何をやってるかよく分からないヒト」になっていた。この会社の社長がまた人間の出来た人物で、挑戦と失敗を繰り返す私を励まし、優しく接してくれた。しかし、他ならぬ私自身がどうしても自分を許すことが出来ず、自分で自分を追い込んでいってしまった。「もうこの会社に自分の居場所はない」と感じた。

うつ病の発症、それにより得られたもの

 鬱病を発症した。「自分に自信がなくなってしまったこと」が病気の引き金だったように思う。頭の中が暗い考えと悪い想像で満たされて、集中できない日々が続いた。ベッドから起き上がれなくなった私を心療内科に叩き込んでくれた妻がいなければ、もしかしたら自ら命を絶っていた世界線もあったように思う。

 療養が始まり、仕事は辞めた。大好きだった同人活動も手につかなくなった。薬の副作用が強くて、一日中寝ている日々が続いた。手のかかる時期の息子二人を抱えて、育児の負担も最高潮に達している中、金を稼ぐことも出来なければ家事も出来ない夫。感情も不安定な「コドモのようなオトナ」を、それでも受け入れてくれるのが家族なのだと知った。

 病気との付き合いは、これを書いている今も続いている。しかし、私は鬱病になって良かった、と心から思う。「心の痛みが分かる人」になれたこと。「自分に向いていない在り方や働き方を理解できた」こと。これらは、病気を通じて体験することでしか得られない宝物だった。
 支えてくれた妻と、「本当は遊んでほしい」のに、涙を流しながら布団にこもっている父を見てその気持ちを飲み込んだ息子たちには、どれだけ感謝してもしきれない。良き夫、良き父になることで、借りは少しずつでも返していきたいと思う。

ねこますショック

 私が少しずつ生産的な行動が取れるようになってきた頃、「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」こと「ねこますさん」に端を発する(と私は思っている)バーチャルYoutuberブームが到来した。
 そこには様々な人が集まり、バーチャルアイドル的な可愛い女の子から、魔王やらメカやら天使やらニンジャやらゴリラやら、ありとあらゆる個性の集結した一大マーケットとなった。

 自分自身もリスナーとしてブームを楽しむ中で、私はねこますさんに自分自身を重ねて見ていた。曰く。同人ゲームの畑にいたこと。創作に憧れを持ちながらも、尖り切れない自分自身に葛藤を覚えていたこと。夢を追いながらも、理想と現実とのギャップに苦しんでいたこと。彼女の口から発される言葉には並々ならぬシンパシーを覚えたし、想定外の方向性にバズった結果等身大のまま悩み苦しむ姿には、「突如として身に余る権限を持ってしまった」過去の自分を重ねて見た。

 私の創作家としての側面がこのブームを見逃すわけはなく、1月初旬にはLive2DのモデルでバーチャルYoutuberとしての活動を始めた。しかし、これは伸び悩み、すぐに飽きてしまった。

 次の転機は、2018年1月13日にねこますさんが投稿した「本日ヲ以テ獣耳帝国国営放送ヲ開局スル【015】」という動画であった。
 この動画の中で、ねこますさんは「国を作る」というような趣旨のことを言う。捉えようによっては「そういう設定を後づけしたのねハイハイ」とも考えられるが、私はこの動画を見た時に脳天を貫くような電撃を感じた。

「バーチャル上では、国家(的な共同体)が生まれ得る」ことに気づいたからである。

 HMDデバイスが更に進化し、VRやAR、仮想通貨、自動翻訳、AIなどの技術が発展していく。移動を伴う娯楽や仕事が、バーチャル上でも行われていくようになる。
 アバターを着込み、生まれ持った見た目や所属する国、更には言語にとらわれないコミュニケーションが当たり前のように行われる。
 物質的制約に囚われない仮想空間上では、所属する共同体を自由に選んだり、乗り換えたり、複数の共同体に属することも出来る。

「けもみみおーこくを作る」というのは冗談でも何でも無く、「本当に国を作る」ということなのだろう。と、直感した。

 私は、もしもそのような社会が到来するなら「バーチャル空間上に生まれた国々を旅する旅人になりたい」と反射的に思ったのだった。その為にはまず「今すぐVRに触れないとダメだ」と思い、Macユーザーだった私はなけなしの金をはたいてVRレディのWindowsPCとHTC Viveを購入し、3DモデリングもUnityも全く分からない状態から約1ヶ月で準備をして「動く城のフィオ」というバーチャルYoutuberになったのだった。

 どこか自分と似た所のある彼女が語る未来を、自分も見たい。

 そう考えて飛び込んだ「バーチャルYoutuberという界隈」は、底抜けに優しい世界だった。彼女が言うように「バーチャル上で国ができる」のだとすれば、それは「何度失敗をしてもやり直すことが出来る、落伍者のいない優しい世界」の実現に他ならないと思う。

バーチャル企画屋さんというポジション

 晴れてバーチャルYoutuberになった私は、特段バズることもなく、とはいえ極端に伸び悩むこともなく楽しく動画投稿とTwitterをしていた。同時にVRChatにのめり込み、毎晩のようにフィオとしてKawaiiアバターたちとのコミュニケーションを楽しんでいた。

 あまりにもVRCが面白いものだから、皆にも体験してもらいたいと思い、教材がほとんど無かった「オリジナルアバターの導入方法」を動画講座化して投稿した。私自身が無茶苦茶に苦労をしたポイントだったので、後ろに続く人々へどうにか道を整備できないかと考えたのだった。

 これは非常に高く評価され、「VRCやUnityはフィオっさんに聞けば分かる」みたいな雰囲気が醸成され、私のマシュマロ(質問箱)はガチガチの技術的な質問「(通称)鉄のマシュマロ」で溢れかえった。しかし、私自身大した技術を持っていないので、鉄が届く度に検証し、学んだ上で返答する有様だった。ただ、これは技術を伸ばす上で非常に良い経験になった。

 私の活動の転機となったのは、バーチャル蕎麦屋(でありリアル蕎麦屋でもある)たなべさんとの出会いである。VRChatで人狼ゲームをやるから参加しないか、と誘われて行った先には、白二郎さんと巣黒るいちゃん、おきゅたんとの出会いがあった。この時に出会ったメンバーは、今でも一緒にイベントを盛り上げてくれる、かけがえのない仲間である。

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 VRChatで集まってイベントを楽しむことに可能性を感じた私は、早速99枚巨大ドミノ・通称「バーチャル賽の河原」を企画する。あれよあれよと言う間に(先輩VtuberのVRC入りがちょうど重なった結果)、豪華ゲストの勢揃いする大型企画になり、私のチャンネルは当時1000名そこそこの登録者数だったが、ドミノライブの同時視聴者数は8000名を超えていたと記憶している。この企画はねこますさんのチャンネルでも同時配信され、出来過ぎかとも思えるような展開で企画は大成功を収めた。

 以降、VRChatを活用した配信企画に関わっていくことになる。私が主催者として進めた企画は「バーチャル賽の河原」「Vtuber×VRChatクイズ王決定戦」「バーチャル大墳墓<ピラミッド>」「笑ったら即脱落VRChat凸待ち」などである。

 気づけば、私自身にはトーク力も技術力もほとんど無いのに、VRC企画の代表的人物として名前を挙げられるようになっていた。思いついたら脊髄反射で動き出し、形になるまでやってしまう性質から、そのような稀有な立ち位置に立つことができたのだろうと思う。VRChatがちょうど大流行を始めた最初期に入り口に立っていたというタイミングのおかげというのも大きい。

 これが、「動く城のフィオ」の今までの歩みである。

Vtuberは精神的全裸

 うぃはフィオ。属性は土が好き。VITとINTに振りすぎて、中盤以降ソロプレイがキツくなるタイプ。つるぺたすとーんな女児の身体に中身はおじさん、アンバランスな巨大武器を振り回すのが大好き。緑髪のおかっぱと碧眼、シルクハット。スチームパンクな装飾とガントレット。古びた機械仕掛けの象に乗り、バーチャル世界を渡り歩く旅がらす。

 これでもか、というほどに「大好き」を詰め込んだ、唯一無二のキャラクター。
 私の性癖100%の存在。それが「動く城のフィオ」だ。これまで私が様々な作品を通じて受け取ってきた「この要素が好き!」というものを全盛りした。

 とはいえ、設定はガバガバだ。細かいところまでは深く考えなかった。何せ、名前や喋り方も、モデルを作り終えるまで決まっていなかったくらいだ。でも、それでいいと私は思っている。私にとってのフィオとは他ならぬ自分自身だからだ。

 先述した「1月初旬にデビューさせたLive2DモデルのVtuber」は、キャラ設定や世界観をガチガチに固めていたが、イマイチ役に入り込めなくて面白みを感じられなかった。その経験を経て、ありのままの自分でいられる方法を選んだのだった。これは(私にとっては)結果的に正解だった。何も無理しない、裸のままでいられる状態はとても心地よかった。同じ動画投稿者だとしても、顔や実名を出していては、この安心感は感じられなかっただろうと思う。

 好きをさらけ出し、個性を丸裸で全面に押し出して公共の場を歩いているのに、注意されるどころかむしろ称賛される。出る杭は打たれて臭いものには蓋をする現代日本社会において、なんとも稀有な界隈である。

バーチャルで「何者かになれる」理由

「フィオ」の見た目は、非常にキャッチーだと思う。バーチャルYoutuber界隈を見渡してもなかなか見ないシルエットだ。ただ、一般的な可愛いとは少しベクトルが違うし、万人ウケするデザインでも無いとは思う。

 しかし、世界は広いのだ。
 私が性癖全開のパンチを放つと「まさにそれが私もツボでした」という人が現れる。
 自分の好きなものを好きなようにやっているだけなのに、そのこと自体を喜んでくれる人がいる。現実世界という、移動や時間などの物質的制約に制限された行動範囲の中では、ありのままの自分を受け入れてくれる人に出会うのは非常に難しい。

 インターネットの出現によって、同好の士が繋がり合ったり、特定の作品を共に愛でる仲間に出会うことが容易になったが、バーチャルYoutuberという「人格をキャラクター化したムーブメント」は、これまでのネット上のコミュニケーションとは大きく違う点がある。それは「承認の対象が自分自身である」点だ。人は元来「承認されたい」という欲求を持つ生物である。自分の人格をバーチャルなキャラクター化することで承認欲求を満たすことができるがゆえに、このムーブメントは大きなうねりとなったのだろうと考えている。

 そして、誰もが「好き」をぶつけるから、界隈にはプラスのエネルギーが溢れていく。今の所、心無い誹謗中傷や犯罪じみた行為は界隈において見られない。目立たないだけかもしれないが、それはそれで凄いことである。バーチャルYoutuberたちが「何が嫌いかよりも、何が好きかで自分を語」った結果が、今ここにある「優しい世界」だ。

 繰り返しになるが、世界は広い。自分が好きで好きで仕方がないものは、同時に誰かの好きで好きで仕方がないものでもあるのだ。

フィオという器が私に与えた影響

 私がフィオになってまず大きく感じたことの一つは、自分を受け入れられるようになったことである。私の理想の姿を投影した彼女は、自然と私が「本来そうありたい」と願う発言をする。ありのままで、素直に思ったことを言う。顔を出して言いづらいようなことでも、フィオの姿なら言うことが出来る。
 そして、その姿を可愛いと言い、その言葉を肯定的に受け入れてくれる人たちがいる。自己肯定感が低くなりがちであった病後の自分にとって、これほどありがたいことはなかった。

 フィオとは、私自身の「大好きなもの」を集めて放出したアウトプット物であったが、いつの間にかフィオを通じたやり取りやフィオの振る舞い自体が、逆に私に影響を与えるようになっていった。

 フィオを愛し、応援してくれる人たちや、何よりもフィオという器自体が、私の存在を全肯定してくれた。フィオがいなければ、私は今も闇の中にいたかもしれない。今、暗がりでもがいている人にこそ、バーチャルに生きるという在り方を提案したいと私は思う。

バーチャルに生きる方法

「バーチャルYoutuberになりたいが、どのように好きを詰め込めばいいか分からない」と問われたことがある。答えは単純で、「分かるまで待てば良い」である。

 今はまだバーチャル「Youtuber」という呼称が一般的だが、このムーヴメントの本質は「バーチャルな存在としてのもう一人の自分」や「それが許容される社会の構築」であって、動画投稿者的な意味での「Youtuber」では無い。

 自分の作ったキャラクターを流行らせたいとか、人に共感されてバズりたいとか、そういう次元で捉えてキャラクターを作ると失敗する(というか大抵の場合は流行らないしバズらないので、辛い思いをすることになる)。
「自分がどのように生きたいか」、或いは「ままならない現実から羽根を伸ばす方法」でもなんでも良いが、生まれ持った肉の器のままでは叶えられない欲求が自分の中で形になるまで待てばいいと思う。

 バーチャルな存在になったからといって、タレントにならなければならないわけではない。何かに急かされるように「バーチャルにならなきゃ……!」と思うなら、そういう時こそ深呼吸して、自分が本当にやりたいことは何なのかを考えるのが良いだろう。焦る必要はない。

 ※2019年8月30日追記:この記事を書いてから一年。バーチャルYoutuberという動画投稿者としての文化と、バーチャル空間でアバターを纏って生きるという文化は、似て非なるものとして異なる方向に変化した。そのあたりについては、こちらの記事「Vtuber・VRブームの根底に流れるもの」で触れているので、是非読んでみて欲しい。

リアルとの兼ね合い

 バーチャルという生き方は、まだまだマイノリティだ。例えば、私は「VRがあれば移動時間は無駄」と考えている過激派だが、これは世の中一般に理解がある考え方とは言えない。リアルの生活を維持しながらバーチャルな存在としても生きていくという二重生活は、相当な努力が必要なレベルの難易度だ。(だからバーチャルYoutuberをやっている人はそれだけで賞賛に値する)

 現時点では、リアルと上手く付き合いながらバーチャルとも上手くやっていくのが最適解だと言える。

 まずは身辺整理をし、身バレを未然に防ぐ事。身バレしない安心感こそがのびのびと個性を発揮できる環境を作る。無理にバーチャルとリアルを繋げて考える必要はない。むしろ、リアルが漏れてもいいなら最初からリアルでやれという話だ。
 バーチャルで有名になってくると「私、実はこれやってるんだ」と(リアルの方で)言いたくなる気持ちは分からないでもないが、その在り方が理解される可能性は相当に低いので、言いたい気持ちは心の中に留めておいた方が無難だろう。

 ただし、とても親しい存在、例えば家族には、理解はされずとも大まかな方向性だけは納得してもらっておいた方が良い。というのも、深夜に声を出したりTwitterに極端に貼り付いたり四六時中動画を観まくったりという奇行が表面上目立つようになる為、余計な心配をされてしまうからだ。
 悪く捉えられてしまうと、家族の手によってバーチャル活動を辞めることを余儀なくされたり、家族との関係が悪くなってリアルが疎かになる等、ロクなことがない。

 一人暮らしの場合にも、防音に気を使うなど、自分の活動が誰かの生活を脅かすことがないよう心得たほうが良い。リアルあってのバーチャルなのだ。今は、まだ。

バーチャルという市場の可能性

「バーチャルなら土地代が無料!AssetStoreなら家が$5で買える!」とよくギャグ調に言われるが、これは実際の所冗談でも何でも無くて、実際に起こり得る(起こり始めている)未来の一端である。

 VRやARといった技術が発展してきた結果、「どうやら仮想空間上に(文字通り)入り込めるらしい」ということが認知され始めて、そこには無限の空間が拡がっていることに人は気づき始めた。インターネットが出来た時点と大きく違うのは、我々人間自身がさもその空間にいるかのように振る舞えることだ。

 これまでは物理的な制限の中に囚われていたコミュニケーションや生産活動が、仮想空間上では低コストで実現できる(置き換えの視点)。また、現実世界では不可能なことも実現できる(新たな可能性の視点)。
 前者は、例えば「撮影スタジオ」。現実世界ではとても高価な機材や人員が必要だが、仮想空間上なら機材と人員のほとんど全てをUnityに置き換え、スイッチャーを一人用意するだけで成り立ってしまう。
 後者は、例えば「番組」や「企画」。現実世界では人の予定を合わせて集まったりする必要があったが、仮想空間上になら各々が自宅からアクセスして集まることが出来る。また、私の賽の河原や大墳墓のように、物理的な制約で難しい企画も成立してしまう。

 仮想空間は、人類が新たに手にした新天地なのだ。人は、いつの世も未踏のフロンティアを目指してきたし、これからもその在り方は変わらないだろう(それが人間という種が生き延びるための最適手なのだ)。

 バーチャルという概念がもたらすマーケットは、確実に大きくなっていく。何故なら、それを面白いと思う人がたくさんいて、膨大な金と時間と技術が注ぎ込まれているからだ。
 
 この時代の中を「個人として」どう過ごしていくべきか。情報は何よりの宝物だから、自ら情報を発信し、自分に情報が入ってくる状態を作っておくこと。それから、何より大切なのは、フットワーク軽く波を乗り越え、ただただ自分と一緒に楽しんでくれる人を大事にしながら自分も楽しむこと。それに尽きると思う。

その前にヒトとしてどう在るべきか

 この章では、私がこれまで生きてきた中で大切にしてきたこと、これから大切にしていきたいことをつらつらと並べていく。私が先人たちから受け取ってきた言葉や生き様の受け売りに過ぎないが、今なにかに悩んでいる誰かの助けになれば幸いに思う。

公言のススメ

 何かを始める時、自分がやりたいことをまず公言することを心がけてきました。
 人に見える場所、聞こえる場所で「自分はこれがやりたい!」と言ってしまう。そうすることによって、誰かがその言葉を聞いてくれます。

 人間は甘えてしまう生き物だから、誰にも言わずに自分の中で「こうしよう」と思っていても、何かしらの理由をつけてやらないことが多いのです。そうならない為にも、公言して言葉を人に聞いてもらい、ある意味で「約束」にしてしまうのです。

 例えば、私がイベントを企画する時は「告知画像」から最初に作ります。何をやるかも、誰が出演するかも、決まっていないことのほうが多いのです。とにかくやりたいと思ったことは声に出してみる。すると、思ってもみない方向から誰かが助けてくれて、物事がスムーズに進む。そういう風にやってきました。

 言葉には引力が宿ります。もしかすると、引力に惹かれた誰かが共感して手助けしてくれるかもしれません。仮に、約束を守れなかったとしても、何がどうなるという訳ではありません(周りの人はそもそもあなたの公言を覚えてないかもしれません)から、公言することにはプラスの効果しかないのです。

成形の功徳

 どんな作品も、どんな企画も、頭の中に在るだけでは意味を成しません。形にしてこそ、はじめて意味があると思います。どんなに完成度が低くても、まず形にすることが重要です。いきなり100点を取らなくても良い。最初は10点でも良いから、なるべく早く形を作る。その方が、結果的に良いものができるという考え方です。

 とにかく形を作ろうと思って行動していると、得られるものがたくさんあります。勢いよく形にするから失敗もたくさんするけれど、失敗=学びと捉えれば、初期にたくさんの失敗をした方が軌道修正もしやすいし経験値が儲かります。

 時間をかけて一つのものに固執していると、愛着が出てしまうのでなかなか捨てられないといった弊害も出ます。即座に形にしてしまえば、そこには執着が無いので、誤ったと気づいたらすぐに捨てて次に向かうことが出来ます。

 そして、世の中は何が当たるかよく分からないものですから、意外にも「自己評価では10点」のものが「世の中的には高得点」だったりもするのです。

あるモノに目を向ける

 人は、足りないものに目がいってしまう生き物なのだそうです。真円と欠けた円を並べると、反射的に「完全でない(欠けた)部分」に目が行ってしまうのだとか。

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 そういう生き物なのでやむをえない所はあるのですが、それでもあえて「美点(真円)を注視する」ことを意識したいと思っています。これは、自分を見る場合にも、他人を見る場合にも、何かしらの成果物を見る場合にも同様のことが言えます。

 人間はミスをする生き物ですから、完璧はありません。同じように、人間の営みには完璧はありません。欠けたモノに目を向けると言うことは、ゴールの無い迷路を走るようなものです。
 それよりも、自分の美しい所を認めてあげる。他人の素晴らしい所を称え、自らを省みて学びとする。その方が、よほど生産的で健康的な生活を送ることができると思います。

 無いモノを嘆くのではなく、あるモノを精一杯愛せる人間になりたいものです。

信頼で信頼を作る積み重ね

 世の中、信頼で回っているのだなと思うことがあります。
 仕事やお金や人間関係は、「誰かの期待にどう応えたか」を曖昧に表した「信用」によってもたらされています。その結果、この人なら大丈夫だろうということで「信頼」されて、次の仕事やお金や人間関係が舞い込んできます。
 言い換えれば「どれだけ人の役に立つか」がまず一番最初の出発点であり、信用と信頼を得る唯一の方法だと言うことです。最初に信頼を得ようとしたり、いきなり信用を数値化したものである仕事やお金や人間関係を求めようとすると、多くの場合は失敗します。そもそも信頼されていないので、手に入らないのは当たり前ですね。
 本当に大切なことは、いかに「目の前の顔の見える誰か」の役に立つか。そうして得られた信頼を得難いものと感謝して、更に期待に応えていくことです。

人生は目覚めの連続

 以下は、中国古代の漢王という人の言葉だそうです。

 今年は、去年のままであってはならない。
 今日は、昨日のままであってはならない。
 そして、明日は今日のままであってはならない。
 万物は、日に新た。
 人の営みもまた、天地とともに、日に新たでなければならない。
 憂きことの感慨はしばしにとどめ、
 去りし日の喜びは、これをさらに大きな喜びに変えよう。
 立ち止まってはならない。

 世の中の流れは早い、と感じますか?
 私は感じます。
 そして、古代の人も同様に「世の中の流れは早い」と感じていたそうです。

 人生とは気づきと目覚めの連続で、いつの日か眠りにつくその日まで、私達は「毎日生まれ直している」と思うのです。今日一日生きてきて、何らかの喜びがあった。嬉しいことがあった。或いは、何らかの悲しい出来事があった。辛い出来事があった。涙を流した。明日の自分は、今日の自分が得た何かを糧に、変化した自分です。
 数日では変化が感じられなくても、数ヶ月、年単位で過去の自分を振り返ってみるのです。

「あぁ、あの時はまだまだ子供だったなぁ」

 子供だった自分を恥じる。少なからず大人になれた自分を誇る。 
 恥の気持ちからは謙虚さが生まれ、誇りからは自信が生まれる。
 謙虚にありがたみを感じながら、胸を張って生きていきたいと思います。

 人は一生、子供のままです。それでいいのです。
 子供のまま大人になって、なり続けて、いつの日か未完成なまま眠りにつくのです。

迷った時に考えること

 まず、やるかやらないか。その選択肢があるとするのだ。
 やってみたいことがある時でもいいし、逃げたいと思った時でもいい。
 そういう時は、迷わず自分の感性が選びたいと思う道を選べばいい。
 理性で自分を抑え込んじゃダメなのだ。
 縮こまってしまうクセが、ついてしまうのだ。

 私の「応援ソング」冒頭の歌詞です。

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 人が迷うのは、いつも目標がブレている時に他なりません。
 人生の目標は、究極的には「幸せな生を送ること」だと思います。
 そのように目標を俯瞰して自分の迷いを捉え直せば、今日目の前に立ち塞がっている壁は、未来の自分にとっては段差の一つに過ぎないことが分かります。

 やってみたいことがあるならば、やってみれば良いのです。逃げたいならば、逃げれば良いのです。その結果どうなろうとも、まぁほとんどの場合死ぬような目に遭うことは無いでしょう。成功したら良い生活が送れるかもしれないし、失敗したら経験が儲かると考えるのです。

 一番怖いのは、選択肢を前に「理性で感性を殺してガマンする」ことを選び続けた結果、魂が濁ることです。こうなってしまうと、幸せとは何なのかすら分からなくなり、続き続ける生き方しか送れなくなってしまいます。私自身、病気が一番酷い時はまさにこういう状態でした。

 感性の実感を大切に生きて欲しいと思います。

ありのままのあなたで良いのだ

 激動のような若者時代を過ごしてきました。

 振り返ると、「何者かになりたい」「何かを成さねばならない」という強迫観念に藻掻き苦しんでいた若者だったように思います。「成功者」と言われる人々の自伝を読む度に、何の挫折も味わうことなく「オトナ」になってしまった自分が酷く矮小なものに思えました。

 がむしゃらに自分を追い込み、倒れ、闘病の果てに辿り着いたのは「何も持っていなくても、ただそこにいるだけで素晴らしい自分自身を認めること」でした。

 思えば、私達は生まれた時には丸裸で、何も持っていませんでした。しかし、周りにいる大人たちは、私達がただ何も出来ずにそこに存在してわんわん泣いているだけで、喜び、受け入れてくれました。生きる中で色々なものを纏って来ましたね。それでも本質は変わらないのです。今抱えているものを全て手放しても、たとえ何も持っていなくても、ただそこにいるだけで命は素晴らしいのです。

「何者かになりたい」という野心は、時に夢を実現する為の強大な推進力となり得ます。それと同時に、ただそれのみに依って幸せを定義しておくと、燃料が切れた時、ぷつりと糸が切れたように人は壊れてしまいます。

 幸せは周りからの評価として与えられるものではありません。
 幸せは自分の中にしかないものだから、己を見つめるのです。

 何があっても、何が無くても、
 他ならぬあなた自身だけは、あなたのことを認めてあげて欲しいと願います。

 人間は皆不完全なのだ。
 不完全な人間から生まれたうぃ達は、不完全なまま生き、未完成なまま死ぬ。
 それでいいのだ。

これから

 あまり家族のことについて語っていませんでした。

 無茶苦茶をして身体を壊したかと思いきや、唐突に女の子になって動画を撮っている。挙げ句の果てには、半生を記し出版するような真似をしている。欲しいものリストから、おしりふきやオムツが届くw
 人間の親としてこれは大丈夫なのだろうかと思わないでもありませんが、世界は広くて人間は自由なので、どこかにそういう父親が一人くらい居てもいいのではないかなと思います。我が家のちび二人が大きくなっていって、物事を分かり始めたその時まだ私がフィオを続けることができていたら、私は「これが父なのだ」と胸を張っていたいと思います。また、そのことを笑って受け入れることができるような、自由でのびのびとした人間に育って欲しいと願います。

 とはいえ、一世代経れば人間は最早別の生き物と言っていいほどに進化します。もしかすると、息子たちは、私たちには全く理解できないような価値観を持って、見たこともないような道具を使いこなす世代になるかもしれませんね。それでも、きっと、人間の生きる目標や、人が人の中で生きるために大切なことは変わらないことでしょう。ただただ、君たちが幸せな生を送れるようにと願う次第です。

 私の辛い時期を支え、共に歩んでくれる妻には頭が上がりません。
 子供を持ってはじめて、私たちを産み育ててくれた親の偉大さが身に沁みました。

 私は、人生に目覚めるのが遅く、結婚もして、子供も生まれてからようやくオトナの第一歩を踏み出したようなひよっこです。本書の中で偉そうに講釈を垂れましたが、いずれも、私にはまだまだ出来ていないことだらけです。そんな未熟な私ですが、この本を「書きたい」と心が思ったということは、今の私にとってこれをここに記しておくことが必要なことだったのだろうと思います。お付き合い頂き、ありがとうございました。

 いつか立派な人間になりたい。
 そう思いながら日々共に生きていきましょう。

 これからも、私は一人の人間として、夫として、父として、そしてまたそれらを超越した存在である「動く城のフィオ」として、誰かの役に立ち、誰かを笑顔にできるよう努めていきたいと思います。
 人間は誰しも、自由で、不完全で、迷いがちな、いつまでもコドモなままの魂です。そんな人間を愛せる人間こそが、人間らしい人間だと思うのです。その為に、まずは一番はじめに自分自身を愛してあげて欲しいと切に願います。

 きっと、うぃも、君も、なんでもできるなのだよ!

 だから。

「パパな、女の子になろうと思うんだ」

2018年5月14日 動く城のフィオ

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