敬語について

敬語について

敬語というのは学校の国語で習うような定義だと、相手を敬うために使用するということになっています。丁寧語、尊敬語、謙譲語と習ったと思います。言葉尻を整え、相手を立てるために使うものです。しかし、敬語はそれだけの機能を持っているわけではありません。敬語は相手を敬うことを建前として、自己と他者に距離感をつくることから、「自己を守る」ためにも存在しています。その意味においても自分より力関係が強い目上の人には敬語を使う必要がある。それは相手を敬うと同時に、自分を守るために使うものです。そしてそれは逆説的に、目上の人と"対等に"つながるための作法にもなるのです。

敬語を使用せずに馴れ馴れしく接していくのはある意味において危険です。それは他者へかなり近い距離で私を提示することになるからです。それは言葉の上では心理的距離ということになりますが、同時に物理的距離も大きく近づけます。特に年下の女性が自分よりかなり年上の男性に不用意にため口で話すのは危険です。身体的にも立場的にも力関係が圧倒的に強い人に対してため口を使えば、年上の男性と心理的にも物理的にも距離が近づきすぎ、暴力やセクハラが起こりやすくなる可能性があります。どんな目上の人にもため口を使う人は被害を受けやすい。僕の身近でもそういう人を聞いたことがいくらかあります。また、安易にため口を使うと、極端な事例かもしれませんが距離が近いことがゆえに他者の言動の細かな部分が気になりだして、怒りや悲しみを覚えたりするようになることもあります。本来そういう近しい関係であるわけではないのに、このような状況になってしまうのです。他者と"対等に"繋がるということは決して同じ振る舞い方をするということではないのです。自分の立場をわきまえて、その立場から人と繋がるための"道具"をうまく使うということです。


逆に敬語をあまりにも厳密に使いすぎる人も嫌な顔をされますよね。「あの人は礼儀正しいけどなんか…」とどことなく距離を置かれる人は、他者との関わりに怖れを抱きすぎるあまり、過度の敬語を使って自分を守ろうとすることがあります。いうなれば"保身のためだけの敬語"です。四字熟語で慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があります。なぜ礼儀正しすぎることが逆説的に無礼になるかというと、自己保身に徹して他者との大きく距離をとっているその態度が、関わりたくないのに関わらざるを得ないというような形式的で単調なコミュニケーションに成り下がってしまうからだと思います。立場が異なる人間同士が対等に繋がるためにある敬語も、使いすぎると他者と繋がることすらうまくいかなるわけです。

繰り返しますが、敬語を使う目的は、「立場の異なる人間同士が適切な距離を保ち対等に繋がるためにあるものだ」ということです。このことを自分の体験に即して実践することが、目上、目下の人と"対等に"つながるための大事なコミュニケーション方法の理念となるのです。

そして、これはテクニックの話になりますが、要領がいい人は敬語を"利用する"こともできると思います。敢えてところどころで敬語を崩して話すことによって狙ったある特定の人と関係を意図的に近くするということや、関わりを最小限に抑えたい人に慇懃無礼な言葉遣いをして距離をとろうとすることとか。これは一歩間違うと"腹黒く計算高いイヤな奴"ということになってしまいますが、敬語の本質を理解して無意識にやっている賢い人はときどきいます。特に頭のいい女性はよくやっている気がします。逆に、目上の人に巻き込まれて変な関係になることが多い女性は敬語の使い方をもう少し考え直したほうがいいだろうと思います。

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