【写真と散文】動と静を分けない考え方

フォトスタジオオーナーフォトグラファーの荒井ゆうすけです。

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今回は以前撮影した写真と写真とは関係のない言葉を散文として掲載していきます。

写真は見る用で楽しんでもらえたら嬉しいです。

散文は自分が思いついたことをほぼ推敲なしにタラタラと書いていきます。

テーマは「動」と「静」です。



「動」と「静」は対極的な意味合いを示しているように見えるけど、同時に発現することもあるし、連続でつながっていることもある。

静止している人が動いていないという判断は、そのときだけを見れば正しいのだけれど、行動ではなくて心の中や頭の中ではものすごく動いていることもある。

めちゃくちゃ考えていて、心の中や頭の中では、人が計り知れないくらいの未来を思い描いて、その中では信じられないくらい動いているときもある。


場面を切り取らない場合、次の動きのために今は止まっているということもある。

動き過ぎたから、休んで止まっているかもしれない。

そこだけを見て、判断して、もっと行動しなければいけないと言うことは端的だろうと思う。

自分の行動に対しても自分で、止まるな!進み続けろ!と言ってしまいがちで、立ち止まって一旦整理することを否定しがちだ。


周りの景色が動いていて、流れていって、その光景を見て、自分が動いている気分にならないようにする。

自分は今は静止しているんだと、自分で選んで、自覚する。

その上で動いている景色を見る。

流れていく世界の中から、自分が覗いてみたい世界をピックアップする。

覗いて、除いて、選んでいく。


景色と同じ速度、同じように平行線で動いていると、景色は変わらなので、世界も自分も止まって見える。

でも確実に自分は動いている。

並走ではなく、ちょっと方向を変えて見ると一気に物事が動き出す。

少しだけ変化を加えると、見え方が変わって、知らないことを知るようになる。


どんなときに動いて、どんなときに静止するか。

いつ動いて、いつ止まるか。

どんな動き方があって、どういう意味で止まるのか。


動いているようで止まっていないか。

止まって落ち着かないといけないときに動くことしか考えていないか。


動きながら止まる、も

止まりながら動く、も

選択の幅から自分で選んでいく。


こんな感じです。


終わりに

まだnoteへの投稿は試行錯誤しているところなので、誰得にもならないようなこともあると自覚しています。

とりあえず写真、意味のあること、意味のないことが混ざってくると思いますが、とりあえず何かを出そうとしていると思ってもらえるとありがたいです!

読んで頂きありがとうございました!

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