考えるな、感じろ。
わからない。
それだけでかたずけてしまう現代人。
それではいつまでたっても アート など分からないと一蹴されてしまう。
たしかに、一理ではそうなのかもしれない。
展示会の解説文やヘッドホンを装着して鑑賞するのが当たり前の世界観では“それ”が普通なのかも。
でも、アートとは人間性を捧げた産物であり分かる分からないという二元論では意味をなさない。
理解をしようとしても無意味だ。
考えるな、感じろ。
絵に、心の中でノックする。まずそこから。
ワシリーカディンスキーの絵を前にして
このコンポジションに対し思いを馳せる。
点と線、そして平面。
。。。
考えないこと、利便性で捉えることから抜け出した
合理性の彼方にあるものを感じ取ること。
絵画教室に子供を行かせる前に、もっとやることがあるのではないか。
上手く描くことは、一部でしかない。本質がどこにあるのか。
その問いから逃げ出した者たちが、芸術を話すことは愚弄しているようにすら感じざるを得ない。
今を楽しむだけに描くのか。その汚物か。
はたまた100年後の人類に対して描くのか。
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