幸せを図ろうすること自体が不幸せである
よく見かけるのですが
幸福とは期待値によって変わる
というような言い草。
僕はこの言い草は間違っていると思っています。
いや、そもそも測るという行為自体が愚かだと考えるわけです。
社会の中に物差しがあって、それに当てはめて考えたりだとか比較したりだとか。
その三角定規的な📐何かで測るのはビジネスだったりマーケティングするには良いのでしょうけど
徹底的に市場価値のお話になるので、自己肯定感や幸福感とは関係ないはずなんですよ。
以前慶應大学で幸福学で研究されている前野教授とお話しさせて頂いたことがあるのですが、結局のところ数値化する事は出来ない、けれども幸福な人に共通する因子を導き出す事はできると仰っていました。
“傾向” はあるんですね。しかし絶対解はない。
最近(2年前かな?)ではこういうのが出てたりして。
経験談や体験談の中で最適解を導くわけですね。見えないのだけど、だいたいこうよねーってやつは存在するんですね。
まぁ昔で言えば
アランの幸福論とかが指南書になっていたのでしょうけど。(それも西暦のお話。)
なにはともあれ。
その軸は外ではなくて内にあるという事がなかなか理解されない。
ついつい比較してしまうのは仕方のないことかもしれませんが、比べても落ち込まない。ここだと思います。
人生は予測不可能性の連続です。
この近代の変化を受け入れながら、つまりカオス性は常に共存していて
効率、利便、合理的 な社会と共にある。。。
そう考えると、期待値によって左右されるではなくて
それも一部なんだと受け入れながら、大切にしたいものを追い続けることかと。
いちいちぶれていたら、精神が持ちませんからね 汗💦
好きなものを叫んで、みんなで山を登ろう! です。
結局のところ、お金もまたリソースや手段でしかないんで。目的ではないんですね。
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