まだ見ぬ写真へ

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内田ユキオ×安達ロベルト Special Live 「まだ見ぬ写真へ」 旅とカメラと写真と音楽   ★終了いたしました。ありがとうございました。 日時:2019年2月3日(日) ☆ Part I: ワークショップ 11:00~13:30(受付10:40〜)  定員 10名  ☆ Part II: トークライヴ 14:30~17:00(受付 14:00〜)   定員 20名 (受付中) 会場:Mace南青山 東京都港区南青山3-2-7ブラック青山ビル7階 東京メトロ銀

    • どちらがホンモノ?

      時期について正確なことは覚えていませんが、おそらく2006年か2007年ごろに、それまでずっと信じていた「写真発表の場として写真展こそが頂点であり、そこにのみ作者は存在するのだ」という考えは誤謬なのではないかとの疑念を抱くようになりました。 神は細部に宿るというけれど、全体を俯瞰することこそが神なのではないか、というような視点の転換があったわけです。 そう考えるに至るきっかけがいくつもありました。 写真展を見終えて家に帰って目を閉じて、自分のなかに新しい眼が宿っていることを

      • 写真とエンターテイメント

        額に入れてずらっと並んだ写真を腕を組んで見るというスタティックな行為から、会場にある写真ごとの関係性や展示スタイル、空間の移動も含めて体験として楽しむというダイナミックな行為へと変えるべく、写真展のことをインスタレーションと呼びたがる若い作家が増えました。 CDは売れなくなったけれどライブの動員は増えていることでわかるように、デジタルの複製時代にあって価値を持つのは体験です。DVDで見るのと映画館に足を運ぶのでは画面のサイズ以上に映画の喜びに違いがあり、YouTubeとコンサ

        • ~まだ見ぬ写真へ~ backstage ②

          早いもので もう1週間が過ぎてしまいました。 伝説の(!)1日を振り返ります。  2019年2月3日 ”内田ユキオ×安達ロベルトSpecial Live” 「まだ見ぬ写真へ」~旅とカメラと写真と音楽~ 無事終了いたしました。 巷ではインフルエンザが大流行。 当日キャンセルもあり得るだろうと覚悟していましたが、一人のキャンセルもなく、 満員御礼でこの日を迎えることができました。 ご参加下さった皆さま、関心を寄せて下さった皆さま。 本当にありがとうございました。 当日の様

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          価値ってなにかな? 魅力ってなんだろう?

          夏目漱石の「こころ」は教科書にも載っているくらい有名な作品ですが、内容には欠点もあることがよく指摘されます。 この小説のハイライトでもある先生の手紙があまりにも長く、もしこれを紙に書いて畳んであったとしたらどれだけの大きさになってしまうか、検証している人もいるほどです。つまり「こころ Ver.1.01」みたいなものは誰にでも書けそうな気がする。極端な例を挙げるなら、誤字を直すことは作品の価値を上げることだと考えれば、誰にだって「こころ Ver.1.01」は書けてしまう。 映

          価値ってなにかな? 魅力ってなんだろう?

          日常の殻から出る_イベントの復習として

          2/3の南青山でのイベントにお越しくださった皆さま、ありがとうございました。第1回ということもあってか、皆さまの熱量がびしばし伝わってきました。 それを我々というレンズ、あるいはトランジスタを通して、増幅して会場に返したつもりですが、うまく伝わりましたか? さて、トークで出た質問への答えで、ちょっと大切だと思うことがあったので、いらしていただいた方へは復習になりますが、お伝えします。 それは、ある有名なヴォイストトレーナーの方が言っていたことで、自分の得意な音域の範囲内

          日常の殻から出る_イベントの復習として

          「違うもの」をおそれない

          一説によれば、人は18歳までに口にしたことのあるものを生涯の食べ物と感じる傾向があるそうです。それは、そのころを境に、まったく新しい食べ物を積極的に口にすることが減り、慣れ親しんだものが中心になるということ。たとえば、外国に行ってしばらくすると和食が食べたくなるのは、和食のほうが優れているからではなく、このような身体の学習のせいです。 同じように、33歳ころを境に、新しい音楽を聴かなくなる人が多いそうです。どうでしょう。 昔好きで聴いた曲ばかり今も聴いていませんか? それは

          「違うもの」をおそれない

          空気の震えが音ならば、魂の震えが音楽である

          ぼく自身のことで言えば、写真からは写真についてしか学べないと思っていた。写真を見るという行為は、撮ることに負けないクリエイティブなものであり、音楽、絵画、文学や映画といったものと較べてもなにひとつ劣ることはない。けれども写真の構造について学ぶためのテクストとして、写真だけに依存していたら、写真についてしか学べないだろうと思っていた。 時間をかければ、あるいは膨大な写真を参照することができれば、その壁を越えることはできるのかもしれない。でも自分には時間がないと早い段階で決心を

          空気の震えが音ならば、魂の震えが音楽である

          音楽から新しい写真のヒントをもらう

          仕事柄、写真と音楽の共通点を尋ねられることがよくあります。 それを答えるときの大前提に、その場合の「音楽」とは「作曲」ではなく、「音楽の録音」だということがあります。 それは、撮影という行為を聴覚でやると何になるかというと、録音になるからです。 レンズを通してフィルムまたはセンサーに光の波を当ててその記録をするのは、マイクを通してテープやエンコーダーに音の波を当てて記録する行為と似ています。 録音を仕事でやっている人の多くは、創作をやっているとは思っていません。創作は

          音楽から新しい写真のヒントをもらう

          〜まだ見ぬ写真へ〜 back stage①

          打ち合わせで初めて三人で会ったのは 12月も末の天気の良い日。 帰省客でごった返す東京駅を眼下に見下ろす とあるカフェでした。 「内田さんと何かできそうですよ。」 師匠であるロベルト先生からメッセージが来たのは11月の事。 思わぬうれしい知らせに、迷う事なく 会場探し。 アットホームな雰囲気の良いイベントにしたいと 南青山の会場を選びました。 今回のイベントのテーマは「旅」 それは「旅行」を意味するのではなくて 人生は常に「旅」 ここまでに出会った音楽・文学

          〜まだ見ぬ写真へ〜 back stage①

          めづらしきもの

          能を完成させた世阿弥は、その「風姿花伝」のなかでこう言っています。 花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり 芸術的感動(花)と、おもしろさ、珍しさは、同じものだという意味です。大雑把に言い換えれば、新鮮(めづらしき)に見えないものに感動はないということです。 写真でもまったく同じことが言えて、十年くらい前までは新鮮に見えていたある土地の風景写真が、もうすっかり写真の常套句のようになってしまっていることがよくあります。黄金比の構図で撮られた女性モデルなどもしかり。

          めづらしきもの

          消えてなくなる写真

          くるりの岸田さんがウィーンを訪れた印象を振り返って、「店や街路などでBGMが雑に流れていなくて、つまりは音楽を消費してないんだと感じました」と話しているインタビューを見ました。 この言葉を、基本的にはポップソングのアーティストである岸田さんが語っていることに感銘を受けました。 ポップソングは、ボードリヤールがシミュラークルと呼んだような反復によって価値が生まれて膨らむ要素があります。耳に残るサビ、どこから聞いてもわかりやすい構成、メリハリの効いた音作り、全てがそれを前提にし

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          Elegy _創造性のルーツを考えた曲

          この「Elegy」という曲は、きわめて和声的な、ピアノで始まる3声が、シンセサイザーに引き継がれ、最後はそこに電子の笛が重なる曲です。 曲のアイディアを定めないままさらさらと書けました。「こういう曲を書こう」と思って書き始めることが多いのですが、このときは違いました。それでも、リズム感や和声感、シンセの音色にどこか自分っぽさを感じ、それらがいったいどこから来たのか、自分自身の創造性のルーツを考えました。 逆説的ですが、ルーツは未知なものへとつながります。 過去にあった新しい音楽ジャンルの台頭を見てみると、ブルースやジャズなど、どれもそれを始めた人々の「民族性」と深く関係しています。 動画は、とても「写真的」です。ちなみにすべて1台のカメラ(GR II)で撮られています。 安達ロベルト ☞2/3イベント「まだ見ぬ写真へ」 https://note.mu/photounseen/n/n8d68f1877a30

          Elegy _創造性のルーツを考えた曲

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          Re:「まだ見ぬ写真」を撮ること

          奇遇ですが、今回のパートナーであるロベルトさんとぼくは、初めて買ったレコードが一緒です。打ち合わせのときに驚きました。おかげで何かに例えるとき、音楽に置き換えながら会話ができるので、とても助かります。なにより楽しい。 ——— フィジカルで音楽を買う機会は以前よりは減りましたが、タワーレコードのような大きなレコードショップに行き、視聴コーナーを回ってひと通り新譜をチェックして、気にいるものが見つかると心が躍ります。 子どもの頃からそうだったし、今もそれは変わりません。ワーズ

          Re:「まだ見ぬ写真」を撮ること

          「まだ見ぬ写真」を撮ることの可能性

          これだけすごい数の写真がネットにアップされる現代に、「まだ見ぬ写真」を撮ることは可能なのでしょうか? 結論から言うと、「可能」だと思います。 そして、そのためのキーワードは、「体験」なのではないかと個人的に思っています。 写真はずっと、「個人の体験」を視覚的に見せるのに適した媒体でした。家族で行った海で記念写真を撮ったり、旅先で親切にしてくれた人と一緒に写ったり。 でも、デジタルカメラが普及してからしばらくの間、みんなが「いい写真」を撮ろうと必死になりました。カメラ雑

          「まだ見ぬ写真」を撮ることの可能性

          いまだ見ぬ写真を求めて_宣言

          復路のチケットを持たず旅に出たことがない。いつも帰る日が決まっていた。 陳腐なメタファーだけれど、人生を旅とするならば、写真家になる決心をしたときだけは、復路のことを考えていなかった。そこに向かうこと、そこで生き抜くことだけが目標だった。 いまの自分は往路の途中なのか、とっくに折り返して復路にいるのか、ふと考えてみることがある。 往路では外の世界に刺激を求め、新しいものを見て、いろんなことを吸収していく必要がある。復路ではそれを整理して、自分のものへと消化して有効に活用する

          いまだ見ぬ写真を求めて_宣言