見出し画像

【航海日誌61(最終回)】挫折をしに行ったはずだった

スロベニアに滞在してました海賊で研究員のふみんちょです!

3月16日の朝、スロベニアからイスタンブールを経由して日本へ帰ってきた。(到着したのは17日の朝だけど)
機内食で出たハンバーグがČevapčiči(チェバプチチ)みたいなやつだったり、フライト中に何気なく見たアニメ映画「フェルディナンド」の街並みや道路がスロベニアっぽかったり(舞台はスペイン?)、思えばスロベニアシックが加速するようなフライトだった。

私にとっては初めての海外での長期滞在だったし、海外の研究室を訪れるのも初めてだった。ポジティブ能天気な私でも、行く前は多少なりとも緊張した。英語も得意じゃないし、1人で行くわけだし、海外の研究者や学生たちと一緒に研究やディスカッション出来る自信は無かったし、コミュニケーション取れなくて孤立して寂しい2ヶ月半を過ごすかもしれないとも思ったし、大好きなジムにも通えないかもしれないし、円安でひもじい生活になるかもしれないし、体調崩して寝込んでも誰も助けてくれないかもしれないし、想像したらキリがない心配事が山ほど出てきた。
めちゃくちゃ苦労したり、辛い気持ちになったり、自分のダメさに打ちひしがれたり、するんだろうなって思った。

だから、行くことにした。とってもワクワクした。これを経験したら、絶対強くなれるって思った。
私は人生で、挫折どころか、しんどいって思ったことがない。
そりゃ、多少の辛さとか苦しさとかはあるけど、乗り越えちゃったら無かったようなもんだし、人生ずっと楽しい。人生で一番辛かったことはなんですか?って聞かれたら、多分飼ってたハムスターやハツカネズミが亡くなった時が一番悲しいイベントだったと思う。それは致し方ない理だからね…

だから、自分から考えただけで不安になるようなチャレンジをしにいかないと挫折を味わえないと思ってた。挫折をしないと成長できないとは思わないけど、感じたことがないことは何でも感じたい。やってみたい。知らずに終わるものが少ない方がいいなって思う。死んだり、取り返しのつかない怪我や病気にならなければOK。

私はスロベニアに、挫折をしに行ったのだ。

ところがどっこい、このマガジンに付き合ってくれてる人ならわかってると思うけど、挫折どころか、天国。

豊かな自然と、綺麗な街並み、美味しいご飯と、安全な社会。そして、暖かくて優しい人々。
お世話になった研究室のみんなは、全員親切でフレンドリー。研究者や大学院の学生っていう地頭が良いみなさんではあるけれど、みんな仕事は丁寧だし、気遣いは出来るし、協力的だし、お互いを大事にしあっている良い関係性を感じた。その輪に私を研究チームの一員としてだけでなく、友達として受け入れてくれたことに心から感謝したい。

街で出会う人々も、嫌な人はいたかな?と思い出しても思い出せない。スーパーやカフェの店員さんや、ジムのスタッフさん、バスの運転手さん、パン屋のおじちゃん、スロベニアの伝統衣装を着せてくれたAFS France Maroltのみなさん、実際にはお会いしてないけれど伝統衣装の件の時にお世話になったYukiさん。いろんな人たちに出会ったけど、みんな暖かくて優しかった。本当にありがとうございました。

それから、noteで知り合って毎月のように遊んでくれたきなこさん。そして旦那さんのパンちゃん。お家に連れてってくれたり、観光に行ったり。SNSで突然知り合った私に対して、ずっと前から友達だったかのように暖かく接してくれた。本当にありがとうございました。きなこさんたちのお家の近くのKrofi食べぞこねちゃったので、次スロベニアに行った時は一緒に食べたいな。そして、日本の調味料買っていきますね。

そんなわけで、私の2ヶ月半のスロベニアでの航海は、順風満帆に進んだ。
本当にスロベニアの嫌いなところが思いつかない。
私は宿も生活も保証されている状態での"滞在"だったから、実際に一国民として"住む"となったときに経験する大変なことには触れずに済んでて、この国の美味しい上澄だけを飲んできたようなもんだから。

でも仮に、実際に住むとなった時でさえ、何も苦労がない国だったとする。
豊かな自然と、綺麗な街並み、美味しいご飯と、安全で誰もが生活しやすい社会。
でも私は、そこに「暖かくて優しい人々」がいなかったら、こんなにスロベニアを好きになっていなかったと思う。
もし仮に、スロベニアが荒廃した自然、荒れた街並み、まずいご飯と、危険で誰もが生活しにくい社会な国だったとしても、「暖かくて優しい人々」がいてくれたら私はきっとスロベニアを好きになったと思う。

でも、だから最後に、私は辛い経験をすることになった。
スロベニアで出会った人たちとの別れが本当に辛すぎた。私1人が悲しいだけならまだしも、どんな時でもスロベニアを離れる私より先に、スロベニアに残る「暖かくて優しい人々」が泣いてくれた。
ラボを最後の日は、今生の別か…!?っていうレベルで泣いた。時間の許す限りみんなと一緒に過ごした。

私はスロベニアが好きだし、本当に自腹でもまた訪れたいと思ってる。ヨーロッパにまた行けるなら、スロベニアを選ぶ。他の国も行ってみたいけどね、どうせならスロベニアの友達と一緒に行きたい。

でもやっぱりスロベニアにまた行きたい。
この国に滞在できて本当に良かった。ありがとう!またね!


よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは、冒険資金に充てさせてもらいます😆