見出し画像

親友に豚と言われたことがある私が考える渡辺直美さんの件。

そうなんだよね~豚って生き物が可愛いかどうかじゃないんだよねぇ。。。
大事なのはそこに愛はあるんかい?ってことで..

そう、私たちは分かるんだよね。

親友に「ひなちゃんピグレットみたい♡」って言われたことがあって、まったく嫌な気がしなかったのは愛情が分かったから。(ピグレットはぷーさんに出てくるピンクの豚のぬいぐるみ)
親友は、私がピンクが好きなことを知っていて、ちょこちょこ動いて可愛いね~みたいな意味で豚(ピグレット)と言ったのがわかったから。

今回の件で、「豚はかわいいよ!」とか「ベイブって映画しらないの?!」とか「俺だったらそうやって言われても全然あり!」「芸人なら許容すべき」とか「表現の自由がつぶされる」という話が出てるんだけど・・・

豚で何かを表現することが直結でダメなんじゃなくて、もっとシンプルにさ、あのLINEを見たらだれでもわかる「悪口で例えてるやん~」って言うのがやっぱダメなんよね。
言葉っていうのはそーゆーもので、二面性、多面性があると思う。


言葉の本当の意味。

今でも苦しくて思い出すんだけど

ある共演者さんが
(私のファンに向かって)
「この人(ひな)、不器用な人だよねー」って笑いながら言った時

悪口って分かったんだよね。

でもファンの前だから雰囲気を悪くできないと思って。直感で「気づいてないふりして今笑ってないとヤバイことになる」そう思ったことこそが、悪口だったことの証明だと思う。
後でスタッフの1人が心配して声掛けて来たほど、そのシチュエーションでその言葉は悪口だった。


だけど、不器用って言葉が常に悪口かって言われるとそうでもなくて

例えば親や仲のいい友達に「あんた不器用なとこあるから気をつけるんよ」って言われたら、それは愛情からで悪口じゃないって

私たちは分かる。


同じ言葉でも
それが攻撃や卑下か
それとも愛情か

私たちは分かるんだよね。


だから難しいよね。
「こんなこと言われて傷ついたんだよね~」って話すとき、「え?そんなことくらいで?!」って反応されることあると思う。それって、その場の雰囲気や言ってきた人との関係性、前後の会話の流れで言葉の真の意味は変わってしまうからだよね。


後でわかった時のストレスよ。

話がズレるけど...
後から「言葉の真の意味」が分かる、こともあるよね。


何かのことを数日後くらいに「あの時の言葉、失礼だったな」とか思い出したりしない? 渦中にいるときは気づけなくても少し距離や時間を置くと見えてきたり。

子供の時はふんふんって聞いてたけど、大人になって振り返ったら散々なこと言われてたなってこととかさ。

だからこないだのオリンピックのことは、悪口だったんだと思う。LINE見たら、明らかに褒めてないじゃんって1点においては、だれでも同意してくれると思う。


奪われたもの?それとも奪っていたもの?

最近はジェンダーとか表現の自由とか「色んなことが奪われている」と感じてる人が多いと思うんだよね。
「アレもコレもダメ、昔みたいにモノが言えない、生きづらいなぁ」って、よく聞く。


おう、そうだよ!
昔みたいに言えなくなったでしょ!
言えなくなったと感じるほど、それは過去に自分が無意識に傷つけて生きづらくさせた人の多さ、なんだよね。

「こんな事は良くないよ傷つくよ」ってやっとやっと「モノが言えるようになった」側の人達がいるってことなんだよ。


相手に楽させるための相手が作った常識。

わたしもね、聖人じゃないから、無意識にたくさん傷つけてきたと思う。だから頑張って言葉にしなきゃ、と思うんですよね、最近。

特にアイドル産業にいた身として「女の子だからこうしたら楽に生きれるよ」「こうしておけば売れるから」と、何があってもニコニコね。は常識みたいなとこがあって。私自身ずっと「女の子はアイドルはそうあるべき」と思ってたからそうしてたし、周りもその常識を共有していたと思う。

でも本当にその'楽'は、真の楽なんだろうか、私側が楽なんだろうかって疑問に思い始めたのはここ数年の話。

楽なのは、何言われてもニコニコしてる私を見つけた側の人だ。
傷つける言葉を言っても責められずに微笑んでもらえるあっち側の人が、楽なのだ。
そして、あっち側の人たちがいう「こうしたほうが楽だから。常識だから。」楽なのは私じゃない。

でもさ「そんなこと言わないでよ、傷ついた」って言うのも楽じゃないんだよねぇ。
だって言い返されたり、ケンカになったり、空気が悪くなるかもしれないから。それくらいなら私は我慢しよう。穏便に済ませたいんだ。

そうやってずっと生きていった結果、「悪口言っても大丈夫な人」「少々気を使わなくても怒らない人」という認識のされ方をした、私になったんだと思う。

だから、傷ついたら傷ついたって言わないと、「この人はここまで大丈夫」って思われちゃう。本当は大丈夫なんかじゃないのにね。


まとめ

豚って言葉がダメなんじゃない。と思う。
ポジティブな愛情で発せられた言葉かどうか、私たちはわかる。
あの時言われたピグレットや不器用がどんな意味か。ひとつひとつのシーンと照らし合わせた正解がある。

表現の自由という言葉を盾にして人を傷つける行為は許されないこと。なぜなら自由はだれかを傷つけない配慮を前提として存在するから。

表現の自由という存在が、アートへの最大の謝辞だとしたら、だれかを傷つけないよう配慮したメッセージの発信方法を探求することこそ、表現の自由が求める姿なんじゃないのかなと思うのでありました。
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?