「そしていつまでも幸せに暮らしました」に関する考察

僕は「思い出のマーニー」が大好きで、劇場だけで3回見たうえに、北海道のモチリップ沼はじめ全国のロケ地も巡った。そんなマーニー好きの人が勧めてくれたので、今更ながら「塔の上のラプンツェル」を先日初めて見てみた。評判通りとても良かった。最近のハリウッド映画は、設定が複雑すぎてちょっと理解不能だったりする。子供向けの単純明快なやつが、僕にはちょうどいい。

そんなラプンチェルの最後に、最近では珍しいあのセリフが出てきて新鮮だった。And they lived happily ever afer。そして、二人はずっと幸せに暮らしました。

ディズニー映画、特にプリンセスものはやはり根本的にフェアリーテール、おとぎ話なので、この終わり方は大体どの映画にもしっくりくるはずだ。でも最近あまり使われないのは、続編が作りにくかったりするんだろう。その後幸せに暮らしてしまっては映画にならない。誰かが波風なく、まあ多少の浮き沈みはありながらも、基本的には平和に幸せ暮らしている様子に、人々は残念ながら興味を持たないのだ。幸せな毎日というのは、物語の終わりを意味するわけだ。

And they lived happily ever afer。そして、そのあとはずっと幸せに暮らしました。我々の「そのあと」はいつ来るのだろう。就職したあと?結婚したあと?子供が生まれたあと?それなりのポジションまで出世したあと?子供が成人したあと?定年したあと?

安定した暮らし、そのあとずっと幸せに暮らしました、と表現できるような暮らしを、僕らは追い求めながら、同時に自分たちの物語を生きている。そして世の中には、「そのあとずっと幸せに」に重きを置いている人と、「自分たちの物語」に重きを置いている人がいる。前者を左翼、後者を右翼としよう。真ん中はあまりいなくて、両極端に寄っている。右翼はこれまでずっと少数派だったが、昨今増えてきている。一部のネット界隈では推奨されている嫌いもある。

自分の意見や考えを貫き、既存の価値観と戦う人たちの物語は賞賛される。それは見ていて心踊るし、応援したくなる。しかしだからこそ、「そのあとずっと幸せに」という類の幸せとは相容れないのかもしれない。続編に色気を出すディズニー映画が”And they lived happily ever afer”で終われないように、それらは両立できないのだ。幸せな毎日というのは、物語の終わりを意味するわけだから。だとしたら、自分が本当にそれを求めているのか、一度じっくり考えて見てもいいかもしれない。

おわり

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