もし自分が絶対権力者になったら、自分を侮辱した人をどうするか?

人間40年も生きていれば、誰でも時に間接的に、時に直接的に、侮辱とも取れることを言われたりしたこともあるだろう。まあそういうのはおおかた許すことにしてる。そんなことにエネルギーを消費するのは益が少ないと思うからだ。でも、それは決して博愛主義的な理由からではない。あくまで自己中心的な理由からだ。自分が怒りにとらわれたくない、という。ある意味打算だ。

だから、心の奥底ではそれを許せないのだろうし、それを言った相手を憎んでもいるのだろう。怒りにとらわれて我を忘れるよりははるかに生産的だとは思うが、気にしないことにする、というのは創造的な方法ではない。この場合の最も創造的な方法、というのは、人類史上に残るある傑物により示され、実践され、効果が実証されている。第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンだ。

リンカーンが当時しがない田舎町だったシカゴの、名もない弁護士だったとき、全米で話題の特許裁判の共同弁護人を、当時のスター弁護士だったハーディング弁護士とワトソン弁護士に依頼された。
 
裁判が僻地であったイリノイ州シカゴで行われるため、地元の裁判所に詳しいであろう無名のリンカーンに白羽の矢がたったのだが、その後裁判の地はオハイオ州シンシナティに移り、それならリンカーンにこだわる必要はなく、もっと名のある弁護士が良いだろうということで、ハーディングとワトソンは著名なエドウィン・スタントンに共同弁護士を依頼し直す。
 
しかし、手違いがあってリンカーンにはそれが知らされなかった。リンカーンは乾坤一擲の裁判に血眼になって資料を集め弁論を用意して、万全の準備でシンシナティに乗り込む。裁判の日時や場所は新聞で知った。何の連絡もないのはおかしいなとも思ったが、スター弁護士というのはそういうものだろう、と自分に言い聞かせながら。当日両弁護士を訪ねたリンカーンはそこで初めて解任を知らされるが、気を取り直して無報酬での裁判参加を打診する。
 
難色を示したのはスタントンだった。スタントンは無名の田舎弁護士を相手にせず、結局裁判にはワトソン、ハーディング、スタントンの3人で臨むことに。このときのリンカーンの悔しさを思うと胸が痛む。普通の人なら、自分の不甲斐なさに押しつぶされるか、復讐心に胸を焦がすことだろう。
 
しかしリンカーンは、虚心坦懐に裁判を傍聴し、塩対応されたスタントンの弁護術に素直に感嘆する。そして何よりすごいのが、後に彼が大統領になったとき、なんとこのスタントンを司法長官に任命するのだ。スタントンは司法長官として、後に国防長官としてリンカーン政権の文字通り要となる。
 
スタントンのみならず、腹心の国務長官スワードもエドワード・ベーツもサーモン・チェースも、リンカーンの主要な閣僚は、みな泡沫候補であった彼を見下し、相手にしていなかった軽蔑者たちだった。そんな彼らを恐ろしいほど公平な目で評価し、最終的に誰にも勝る自分の協力者にしてしまう。

もちろんこれは人類史上最大の傑物の一人、リンカーンの話だ。真似なんてできっこない。でも、自分を侮辱したり、軽んじたりした人に対して、そういう対処法もあり、それはこういう結果になるのだ、という事実を頭に入れておいても損はない。

おわり

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