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羊の瞞し 第5章 CHAOTICな羊(8)

前話目次

(8)ピアノとピアニストの狭間


「じゃあさ、何でもいいから弾いてみな」
 ある休日の夕方のこと。その日は一日中、親子の調律師は、オーバーホールの仕上げ作業に精を出していた。修理と呼ぶべき工程は既に終え、ピアノは外観も中身も新品のような状態を取り戻していた。直ぐにでも納品出来る状態だが、この日はタッチの微調整と調律、そして整音の最終仕上げを行っていた。
 とは言え、実は前日に試弾した段階で、このクルツマンは完璧だと響は思ったものだ。特にタッチのレスポンスは素晴らしく、ppからffまで変幻自在に操ることが出来、思い描いた音色をピアノが作ってくれた。
 打楽器のように小気味良く弾むスタッカートも、弦楽器を彷彿させる滑らかなレガートも、奏者の意図をピアノが見抜いているかのように、イメージ通りに反応してくれたのだ。もちろん、音質も申し分なく、よく伸び、よく広がり、全てを温かく包み込んだ。
 心地良い余韻と転がるような高次倍音、大地を一直線に突き進むベース、放射状に矢のように飛び出す中音。流石、世界一の名声を博しているクルツマンだ。しかも、宗佑によりリビルドされたクルツマン……響は、これこそ理想的なピアノだと確信した。奏者や曲を問わず、常に個々に応じた表現の限界を引き出してくれるのだ。

 ところが、響には完璧に見えたこのピアノも、宗佑から見るとまだまだやり残しがあるようだ。この先は、響には変化を追えない繊細な世界だが、作業を見学するだけでも貴重な経験と言えよう。
 ジャックと呼ばれる部品の位置、鍵盤の深さ、ハンマーから弦までの距離、キャッチャーという部品の角度などを、一般の人が見ても違いが分からないであろう精度で、おそらく紙一枚分の厚み程度の精度で調整の変更を行った。いや、一般の人に限らない。新米とは言え、専門的な訓練を受け、プロの調律師として働いている響にも、その差異は掴み切れなかったのだ。
 小学生の頃の響は、学校から帰ると毎日のように工房に降りて行き、こういった父の作業を見学したものだ。その頃は、常にオーバーホールを行っていた印象だ。実際は、当時の宗佑は外回りの仕事も多く、工房に居ない日の方が多かった筈だろうが。
 もっとも、小学生の響には、父が何をしているのか全く理解出来なかった。それでも、ピアノが良くなっていく様を時系列に追うことは、響にとって何よりも楽しかった。そして、調律師の仕事に興味を持ち、父を心から尊敬した。
 数年経ち、実際に自分でもプロの調律師として整調を行なうようになった今でも、父の作業にはついていけなかった。ただ、昔とは違い、手掛けている作業の意味を今は知っている。それでも、父の技術は精度があまりにも高く、難解過ぎたのだ。
 残念ながら、「理解出来ない」という大枠では、当時と変わっていないことになる。ピアノの調整の奥深さを目の当たりにすると共に、父の技術の偉大さと自身の未熟さを思い知らされ、とても悔しく、また歯痒かった。

 父に促されるままにピアノを弾いてみた響は、もっと大きな屈辱を味わうことになった。いや、もう恐怖ヽヽと表現してもいいのかもしれない。完璧と思った昨日の状態より、更に高みへと登り詰めていたのだ。
 技術者として、専門的な調整の変化は極小過ぎて認識出来なかったのに、演奏をしてみるとピアノは疑いようもないぐらいに激変していた。響には見えず、掴めず、感じ取れない微細な変化で、見事に様変わりさせたのだ。その結果だけしか享受出来ない響は、むしろ結果が分かるだけに一層悔しいのだ。
 結果が全ての世界で、これだけ明確に違いを生み出せる技術は賞賛するしかない。レスポンスがより鋭敏になり、弾き切る前に遠くで音が鳴っている感じがした。鍵盤が底に着地する感覚が明確に伝わり、タッチに安定と決意を与えてくれるのだ。
 この一切の迷いのないタッチは、ピアノへの安心感を生み、技術者への揺るぎない信頼にも繋がるだろう。宗佑は、このようなやり方で、ピアニストからの評価を得てきたことが容易に想像出来た。そこには、梶山のような話術やマナーなど介在しない。奏者と調律師の間には、ピアノしかないのだ。
 逆に言えば、ピアノとピアニストの狭間で、両者を霊的に繋ぎ合わせる為に調律師が存在する——それこそが、理想的な調律師のスタイルだ。響は、ようやく結論に達した気がした。
 技術ヽヽという側面から見ると、父こそ理想的な調律師だ。ただ、それだけではやっていけない仕事であることは、僅か一年のキャリアでも痛感していた。父の技術を盗んだところで、それを活かす為には、榊や篠原、そして、梶山のような社会性も養わないといけない。でないと、結局は父の二の舞になってしまうだろう。



 クルツマンのオーバーホールの成功は、ピアノ専科にとっても大きな転機となった。榊は、ピアノの運送だけでなく、修理に宝の山を見出したのだ。
 ピアノ専科からの外注として、宗佑は、クルツマンのオーバーホールを250万円で請けたのだが、ピアノ専科がユーザーへ請求した額は、運送費が加算されたとは言え、480万円に膨れ上がっていたのだ。つまり、何もせずに200万円以上も抜き取ったことになる。榊は、そこに目を付けたのだ。

 楽器店での購入とは違い、ユーザー間の移動のピアノは、高い確率で修理が必要な状態だ。しかも、殆んどの依頼者は修理の知識もなければ、価格の相場も知らないし、可能な限りそのピアノを使いたいと考えている。また、どの程度直ったかの判別も出来ない。
 つまり、ぼったくってもバレないピアノが沢山眠っているのだ。これは、榊にとっては、埋まってる財宝を掘り起こすような感覚だった。
 手始めに、移動依頼には必ず下見を行うことを義務付けた。すると、アクションや鍵盤の修理やクリーニングが、高い確率で受注出来たのだ。また、そこでの会話を上手く進めることにより、カバーやインシュレーター、椅子などの販売にも繋げることが出来た。そうして受注した修理の殆んどを宗佑に依頼し、それはそのまま響の教材にもなっていた。
 しかし、この関係は長く続かなかった。僅か数ヶ月後には、より効率的に利益を得る為に、ピアノ専科でも専用の工房を開設したのだ。当然ながら、宗佑への発注は激減したが、企業として、これは自然な成り行きだ。
 そうなると、ピアノ専科でも技術者が必要になる。これもまた、自然な成り行きだ。そこで声を掛けられたのが木村だった。
 木村は、不正行為により興和楽器の嘱託契約を解除された調律師だ。榊の同期でもある。興和楽器は「横領事件」として一時期は訴訟も検討していたのだが、そのまま有耶無耶になっていた。実は、こういった「嘱託が元請けの客を取る」というケースでは、必ずしも元請けが勝つとは限らないのだ。おそらくは、横領された金額と訴訟に掛かる費用のバランスを検討して、見送る決断を下したのだろう。それに、当の本人は夜逃げ同然に実家へ逃げ帰っており、社会的な制裁を受けている。
 そんな木村を、榊はコッソリと呼び寄せた。職を失い、生活に窮していた妻子持ちの木村は、榊の誘いに二つ返事で飛び付いてきた。興和楽器にバレることを恐れつつも、もう二度と就けないと覚悟していたピアノに携わる仕事のオファーなのだ。断る理由はなかった。

 木村に命じられた仕事は、見積もりと修理だ。移動依頼があると下見に伺い、言葉巧みに修理の仕事を受注し、工房に持ち帰り修理を行う。そこだけを抽出すると、調律師としてやり甲斐のある仕事に映るだろう。しかし、ピアノ専科では、そこに「詐欺紛い」の要素を混ぜ込まなければいけない。必要のない架空の修理も項目に入れ、修理代を水増しするのだ。
 道徳にも法律にも反するこの行為を、木村は躊躇わずに取り組んだ。生活が掛かっていることもあるが、元々がその程度のモラルしか持ち合わせていなかった人間なのだろう。むしろ、わずか数日のうちに、騙すことをゲーム感覚のように楽しむようになっていた。だからこそ、手口は少しずつ巧妙になり、全く修理の必要のないピアノでも数万円の仕事を持ってくるようになった。
 木村も宗佑と同じく、ピアノとピアニストの狭間に立つ調律師だ。しかし、調律師の理想ヽヽとは程遠いビジネスを展開することになった。
 いや、そもそもここで言う「理想」とは何なのか——その定義付けは、困難かもしれない。どちら側に立つのかにもよるだろう。
 業者側から見ると、結局は、利益を生むビジネスこそ理想なのかもしれない。そこでは、道義ヽヽは重視されない。そうすると、宗佑の理想的ヽヽヽな仕事こそ、理想から程遠くなるアイロニーが生まれる。

 ピアノ専科も工房を開設したとは言え、オーバーホールやクリーニングなどの大掛かりな修理だけは、数こそ少ないものの宗佑に外注を出していた。しかし、木村は、それらの仕事も余程大変な状態でない限りピアノ専科で賄えるのでは? と考えていた。つまり、それ程酷い状態でなければ、何もやらずにやったと思わせれば良いのだ。
 やや難易度は上がるが、そう「見せ掛ける」仕事が出来れば、オーバーホールも自前で取れる上、利益率も極端に向上する。この案は、榊に全面的な理解を得た。
 ピアノ専科では、「やる」か「やらない」かではなく、「バレる」か「バレない」かが大切なのだ。また、ピアノ専科にとっての修理とは、ピアノを良くすることではなく、ピアノが良くなったと思わせることなのだ。
 幸いなことに、ピアノは喋らない。

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