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羊の瞞し 第5章 CHAOTICな羊(9)

前話目次

(9)礎


 響が興和楽器に入社して五年が経過した頃、ピアノ業界は深刻な不景気に陥っていた。新品のピアノの販売台数は、ピーク時の三割以下まで減少し、調律の実施件数も激減していた。代わって発展したのが、中古市場だ。不要になったピアノの買取業は瞬く間に全国に広がり、新聞の一面広告やテレビのCMで見ない日はないぐらい、巨大な産業へと急成長した。
 毎月、全国で何千台ものピアノが買い取られた。その一部は国内で再流通し、残りの大半は輸出された。新品が売れなくなった要因の一つに、安価で良品質の中古ピアノの台頭も挙げられる。これはピアノに限った話ではないが、時代の流れにより市民意識も変化し、中古品の購入に抵抗がなくなったのだ。
 興和楽器にも、不景気の大波は押し寄せていた。それでも懸命な企業努力により、LM楽器や管楽器は横這いで維持出来ていた。大きな打撃を受けているピアノ部門だけを縮小し、辛うじて安定水準の経営は保てていた。
 いや、不思議と教室は盛況な為、実質的にはピアノの技術部と販売部の縮小だ。しかし、この二部門の不調は深刻なレベルだ。販売の減少は、当然ながら調律台数の減少にも直結する。六名在籍していた嘱託調律師も、この一年間で一気に半分が解雇された。その中には、篠原も含まれていた。解雇された嘱託が担当していた顧客カードは、全て正社員の調律師に充てがわれた。
 興和楽器では、響の入社以降、新たに採用された調律師は皆無だ。響のノルマも、四十台のまま変わっていない。増やしようがないのだ。その分、一年目から待遇も仕事量も大きな変動はない。
 ピアノ業界において、大型特約店という一つの経営形態は、既に限界に近付いていたのだろう。しかし、大手楽器店ほど旧態依然から脱却出来ず、新品の販売以外の打開策を思い付かないのだ。
 勿論、どう転んでも、元のように売れる時代には戻らないことも理解している。それに、今までも時代の後押しで勝手に売れていただけで、工夫して売り込んでいたのではない。つまり、売り方を知らないのだ。なのに、それまでの傲りからか、本音では気付いている時代遅れの実感を、受け入れる勇気さえ欠如していた。八方塞がりだ。
 興和楽器でも、中古ピアノの買取りは行っていた。しかし、顧客からの依頼に応える為だけの業務に過ぎず、整備して販売するとか、輸出するといった具体的な目的はなかった。従って、買取ったピアノは、そのまま他業者へ横流ししていたのだ。つまり、単なる窓口——。
 当時は、同じような特約店が全国に沢山存在していた。中でも先見の明がある会社は、自社で再生し、中古として販売するスタイルを築いていた。そういった会社は、新品ピアノが売れなくなった時代に突入しても、中古の売買で大きな利益を生んだのだ。
 残念ながら、興和楽器は違った。気付いた時には、既に機を逸していたのだ。今となっては、設備投資や人材育成に費やす資金を捻出出来ない。何も変われぬまま、衰退に身を委ねるしか策がない状態だ。

 対象的に、ピアノ専科の勢いは増すばかりだ。事業のベースは、設立時と同じく一般家庭の運送だ。だが、今は単に運ぶだけでなく、移動後の調律やアフターサービスも積極的に請けていた。そこから派生する修理や保管、小物販売も業績を伸ばしていた。
 また、新たに開拓した中古ピアノの配送も順調で、そして、遂には中古ピアノのショールームをオープンし、小売業まで展開していた。必然的に従業員や技術者も増え、外から見る分には立派なピアノ会社に見えただろう。ただ、基本的には、詐欺紛いの商法がメインであることには違いがない。業者を騙すことは控えているものの、一般客からのボッタクリ商法の手口はますます磨きが掛かり、巧妙に進化していた。
 そんな中、響は今尚ピアノ専科と深い関係を維持していた。アルバイトという名目ではあるが、営業と技術の嘱託スタッフのような立場になっており、給与も時間給ではなく完全歩合制になっていた。
 響の業務は、見積もりと調律だ。移動依頼があると現場へ駆けつけ、搬出経路の確認を行いがてら、修理の仕事を取るのだ。下見一件につき千円というベースに、修理の契約が取れると売上げの3%が手当てとなる。十万円程度の修理なら頻繁に取れたので、響にとっては本職の合間に出来る上、実入りの良いバイトだった。
 一方で、榊との関係はギクシャクし始めていた。ピアノ専科自体が巨大化し、従業員も増え、響が特別扱いされなくなったのも一因だが、マネーゲームに目覚めた榊の強引で悪どい商売は、真面目な響には受け入れ難い面もあったのだ。
 例えば、十万円程度の修理を十万円で契約してくると、榊は露骨に不満な顔をした。ピアノ専科では、相場の倍以上取ることが義務付けられていたのだ。適当な項目をでっち上げてでも、直す意思のある客からは取れるだけむしり取ることを信条としていた。実際、木村を始めとする正社員の営業スタッフは、売上ノルマを設定され、修理の必要がないピアノからも架空のトラブルを捻出し、売上に結び付けていた。
 それでも、ピアノ専科での仕事を辞めない理由は、端的に言えば榊への感謝と忠誠だ。今の響があるのは、誰よりも榊のおかげなのだ。アルバイトをクビになり、生活費の捻出に頭を悩ませていた響を救ったのは、他ならぬ榊だ。いつも相談に乗ってくれ、適切なアドバイスもしてくれたし、OTTOMEYERのオーバーホールも榊の協力がないと出来なかっただろう。
 その後の宗佑の工房の活性化も、沢山の仕事をくれた篠原との付き合いも、何より響が技術を学ぶ環境も、全て榊のおかげで手に出来たものだ。その感謝は忘れたことはないし、榊の為になら、出来ることはなんでもする覚悟もあった。

 ピアノ専科でのもう一つの響の業務は、調律だ。これは一件につき八千円と決められていた。実は、この数字は一般的な嘱託社員の手取りと同程度だ。ピアノ専科は、客からは騙し取るが、社員や業者、調律師からは絶対に搾取しないのだ。興和楽器から嘱託契約を打ち切られた篠原も、今ではピアノ専科の嘱託として家庭調律を行っていた。
 響は、どうしても興和楽器の仕事中心のシフトになる為、ピアノ専科の調律は月に数件しか請けられない。それでも、普通のアルバイトとは比較にならないぐらい、効率的に稼ぐことが出来た。何件やっても給料が変わらない正社員の調律師をバカバカしく感じ、嘱託や独立を目論む人の気持ちが理解出来た気がした。
 ピアノ専科の調律業務は、ピアノを移動した後に行う調律が殆んどだが、中にはピアノ専科で修理を行ってから移動したピアノに出会うこともあった。その大半のケースで、酷い施工の跡が見て取れた。見積もりとは裏腹に、殆んど何も手を付けてないものから、ファイリングを行っただけなのにハンマー交換をしたことになってるもの、バフ機による研磨仕上げなのに全塗装したことになっているものまで、手口も仕上がりも、技術者としてとても許容出来るものではない。
 だが、残念なことに、殆んどの客は騙されていることに気付いておらず、むしろ「とっても良くして頂いて……」と感謝する人もいるぐらいだ。やはり、調律師は必ずしも技術で評価されるわけではないようだ。
 結局は、お客様が満足していればいい……いつしか、響の中でもそういう考えが支配的になりつつあった。「良くする」よりも「良くなったと思わせる」方が大切なのだ。金額も相場や実費に関係なく、妥当、若しくは安いと感じさせることが出来れば良い。そう思うと、アプローチが違うだけで、本質的な考え方は梶山も同じと言えるだろう。
 逆に、たとえ真っ当な仕事をしても、高いと感じられ、良くなってないと思われると、詐欺扱いされ兼ねない。ほとんどの一般客には、ピアノなんて分からないことだらけのブラックボックスなのだ。音もタッチも視認出来ないからこそ言葉に惑わされ、騙されるのだろう。
 ピアノ専科は、その辺りのユーザー心理を巧みに操ることに長けていた。巨大詐欺カンパニーのいしずえは、こうして築かれたのだ。

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 今更ながらですが、本作の時代設定を少し。
 今日の投稿は響が入社して五年目の話となっていますが、具体的には1990年頃を想定しています。ほとんどの方は忘れているでしょうが、懐かしいファミレスの第1章は、この約22年後(2012年頃)の話なのです。
 さて、この1990年代という時代、バブルは既に弾けているものの、まだまだ世の中浮かれていた余韻が残っておりました。でも、確実に不景気の波が、しかも大きな波がすごいスピードで押し寄せてくる実感もありました。新品のピアノが売れなくなり、それまで見向きもされなかった中古ピアノが急に売れ始めたのも、こういった時代背景と無縁ではありません。
 今でこそ、リサイクルショップなんてものが普通にありますし、メルカリ、ヤフオク、ジモティなどネットでの中古売買も当たり前。国民意識として「中古」に全く抵抗がなくなりましたが、バブル経済の頃までは、車以外の「中古商品」は(口にこそ出さないものの)恥ずかしい物というレッテルは確かにありました。
 しかし、バブル後の国民意識の変化で、その壁は簡単に崩れ、中古ピアノの需要は激増しました。

 余談ですが、この時期に急激に発展した産業の一つに、古本産業もあげられます。その先駆けとなった「ブックオフ」は、実は中古ピアノ業者が始めた会社なのです。
 ブックオフの創業者は、何とこの時代の更に20年も前から、中古ピアノの売買専門店を始めておりました。しかし、時代が早過ぎたのです。まだまだ新品ピアノが売れる時代、バブル経済こそ始まっていないものの、ずっと右肩上がりの経済成長を続けている真っ只中です。前述したように、「中古」に対する偏見も強かった時代です。なので、中古ピアノ専門店は、大きな需要はありませんでした。
 しかし、80年代の終盤頃から、続々と中古ピアノ産業に参入してくる会社が増えていく中、先駆者なら「ようやく俺の時代だ!」と考えるのでしょうが、彼は長年掛けて培ったノウハウを「本」で再現しようと思い立ったのです。
 もちろん、ピアノのノウハウをそのまま本に転用は出来ません。でも、基本的なコンセプトは同じです。客から直接買取り、自社で再生し、自社で販売する……このルーティンだけなのです。ある意味、農業の六次産業と同じ形です。ただ、本の単価はピアノの数千分の一以下です。必然的に何千倍もの数をこなさないといけないという、薄利多売方式になります。
 そこで、買取査定の簡略化やクリーニングのマニュアル化と効率化、販売価格の単純化(創業当時の基本販売価格は、新しくてキレイな状態の本は定価の半額、そうじゃないものはすべて100円でした)など、ピアノ以上にルーティンを簡素化し、誰でも査定出来、誰でもクリーニング出来、誰でも値段が付けられる単純なシステムを導入したのです。
 こうして誕生した会社が「ブックオフ」なのです。

 余談がすっかり長くなってしまいました。
 話を戻しますが、日本には、眠ったまま使わなくなったピアノの処分に困っている家庭が、実に沢山ありました。所有者目線からすると、行き場のなかったピアノが、買い取ってもらえる時代になったのです。中古ピアノの売買が、あっという間に一大産業にのし上がったことは言うまでもありません。
 ただ、国内消費だけではとても追い付かないぐらい、中古ピアノの買取は増えました。明らかな供給過多状態です。そこで、必然的に中古ピアノの輸出業も盛んになったのです。
 現在、買取業者に買い取られたピアノの八割近く(八割以上という話も聞きます)は、輸出されています。まぁ、その辺の話を詳しく書くと、一冊の本ぐらいの文量になるのでこの辺でやめておきます。

 さて、本日にて、第5章『CHAOTICな羊』は終了です。
 6章と7章は、他サイトにてお届けいたします。準備が出来ましたら、また案内させていただきます。

 ここまでお付き合いくださいました皆さま、本当にありがとうございました。