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夢Ⅰ(18)

第1話:夢Ⅰ(1)はこちら

夢Ⅰ(17)

☆主な登場人物☆

◆ □ ◆ ◆

「降りてきたのね。」

その人は、リックから視線を外しながら、そうつぶやいた。腕でまた、ぅつぅつと拍子をとっている。まるで、楽団でも目の前にいるように。

リックは、何と声をかけていいのか言葉が見つからなかった。

さきほど、人間かと思ったその容姿は。良く見ると、花びらが幾重にも重なり合い人の形を作り上げたものだった。腕先の小さめの花びらから伸びる指は、柔らかそうな蕾で出来ていて。肩から腰ほどまである大きな花びらが一枚、鮮やかなドレスのようにたなびき。首の根元から一凛の花が咲き、それは女性的な顔の半分を覆い、頭上で大きく花開いていた。その人を中心に温かい空気が流れ、優しく甘い香りを運んでくる。その香りからは、争いとは無縁の自然の匂いがした。

名前を名乗るべき場面の様な気がしたが。リックは、もはや名前を持っていなかった。歯がゆかった。かける言葉を探しながら口を開けていると相手から話し出した。

「名前をなくしているのでしょう。」言葉は詩のように続いた。
「他にも、なくしているわよね。世界を超える。そのたびに。」
「よほどの理由がない限り。縦に越えるべきではない。」

リックは唖然とした。この人は、いったい何を言っているのだろう。「あぁぁ、たしかに、名前をなくしています。」「あの、あなたは。」思考が前に進まない。

相手がその先を引き継いだ。
「私は。あなた達。人間の呼び名では。花乙女というの。」
「でも。ハイビーと呼んでね。私は、そっちのほうが好き。」
彼女は「ハイビー」と名乗った。名前を持っているのか。さっきも口にしていたが、この人は「人間」を知っている。リックは、聞かなければいけないことが多すぎて困惑した。この人なら何か知っているかもしれない。落ち着け。「奴らのこと」「この世界のこと」「名前のほかに何かなくしているのだろうか」「出会った生き物たちのこと」「あなたは一体」彼女は、リックの困惑顔に視線を戻し。付いて来るように促した。甘い香りがリックを落ち着かせた。「それは。置いておきなさい。」「ここには。戻って来れるから。」短剣を見ずに彼女は言った。リックは言われる通りにした。

川辺を離れ。森の中に少し入ったところに、小さな原っぱがあった。

原っぱに向かう途中。彼女と一緒に「生命」が移動しているのを感じた。それは、彼女を中心に伊吹のように流れ出ていて。彼女が手を触れると、木々は新芽を噴き。枝葉に優しく口づけをすると、色とりどりの艶やかな実がなった。リックは、彼女の周りで起こる出来事に驚き。「いったい何が起こっているのか。」と目を疑った。彼女は「恵み」そのものだった。リックは勧められるままに、その実を口にした。不思議な味がした。ほのかな酸味が口いっぱいに広がり、体中の細胞が騒めく。体が喜んでいる。頭がすっきりし。疲れが静かに抜けていった。

彼女は、原っぱに転がっていた岩に手を触れ。岩の上に厚めのコケを生やすとリックに座るように示した。彼女は立ったままで、腕やつま先で拍子をとっている。たっつぅ。たっつぅ。小さくゆっくりと。それらの動きは、しなやかで優しさに溢れていた。

 

一息つくと頭の中が整理されてきた。リックはまず、これまでの経緯を彼女に説明することにした。それが名前を持たない者の、精一杯の自己説明のような気がした。彼女は、リックの方は見なかった。花びらで隠れていて表情はわからない。拍子をとる動きだけが、変わらず一定のリズムを刻んでいる。優しくゆるやかに。

説明を終え、リックは尋ねた。「僕には、何が起きているのか。さっぱり、わからないのです。」「あなたは、この世界について。何か知られているようです。」「一体何が起きているのか。教えては、頂けないでしょうか。」相変わらず、リックの方を見ずに彼女は話し出した。歌うように。
「私は、ハイビー。歌い。踊り。世界を渡るの。」
「この世界達は。人間の知る世界と深く繋がる。別の世界。」
「世界は。縦に横に。時には螺旋に。複雑に絡み合っているの。」
「若草の空地から。影の森。海辺の洞窟に。動物の森や。池の畔の滝。」
「あなたは今。5つ目の世界にいるの。だんだんと降りているのよ。」
「本来は目的なく。縦に世界を超えるべきではないの。」
そこまで話すと、彼女は拍子を変えた。ったった。リックに向き直る。目は閉じられていた。風になびく、甘く優しい香りがリックを落ち着かせる。
「名前をなくした主の世界。海辺の洞窟のことよ。」
「あなたはそこで。名前をなくしたの。」
「あと4つ。大事な物をなくしているわ。」
「それらは。世界の主が欠いていた物。」
「その世界に踏み込むと。それらは徐々に失われるの。」
「その世界に踏み込んだ。代償としてね。」
「私達はそれを。世界の制約と呼んでるの。」
リックは、彼女の言っている意味が少しづつ分かってきた。「動物の森」「池の畔の滝」それぞれの主「崖の棚の家族」と「(たぶん)蛹男」は、「言葉」と「自由」を欠いていた。考えたくなかった。それでは、あと二つは。「若草の空地と影の森では。僕は、何をなくしているのでしょうか。」彼女は、しばらく黙り込んだ。拍子は変わらなかった。つま先。腕。優しく穏やかに。
「影の森は。元の世界とのつながりをなくすため。」
「あの森へ踏み込んだら。もうもとには戻れないわ。」
「若草の空地は。私にはわからない。」
「一番最初に。あなたが最も大切にしていた物を。なくしているはず。」
「それは。もう誰にもわからない。あなた自身にも。」

「最も大切なものをなくしている」その言葉を聞いても、リックの心は一向に波立たなかった。もはや、跡形もなく失われてしまっていることが、確固とした実感として胸の内にこみ上げてくるだけだった。

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