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夢Ⅰ(15)

第1話:夢Ⅰ(1)はこちら

夢Ⅰ(14)

☆主な登場人物☆

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その「変なの」は、シダの葉の裏に蓑虫のようにぶら下がっていた。顔に降りかかるリックの髪や髭をどうにかしようと、顔の筋肉を一生懸命動かしている。シルエットは、蝶の蛹のようで、そこから人の顔だけが覗いていた。

「この黒いのを、どかしてくれよ。」変なのがもう一度、呼び掛けてきた。

リックは、動揺していたが、言われるままに張り付いている髪や髭を除けてやった。いや、迷惑をかけたのはこちらなのでと思い直し。「ごめんなさい。」と一言添えた。

ひととおり払い終わったところで、改めてその変なのを観察した。大きさは、拳くらい。親指ほどの、のっぺりした顔が蛹から突き出している。おでこから顎までが確認出来る、毛は生えていなかった。眉毛もない。顔立ちは、男のようで。よく見ると、蛹の膜はそこまで厚くないようで、なかで手足のような影が動いているのが透けて見えた。蛹に捉えられた男。蛹男。風に吹かれ、たまに揺れる。ふりふり。ふらふら。

「どうもありがとう。」蛹男が礼を言ってきた。意外と礼儀正しいのか、間抜けな見た目と思ったことを少し反省しかけた。「ひどい格好だね。」と続いた。無礼なやつ。見た目も間抜けだ。

確かに、人前に出て行けるような格好ではなかった。目の前に、人はいないが。リックは、少し腹が立った。初対面だぞ。

立ち去ろうかと考えたが。会話できる生き物と出会ったのは久しぶりだ、この生き物が襲い掛かってくることはないだろう。と思い直した。

「君は、ここで何をしているんだい。」のっぺりした顔に聞いてみた。「何をしているんだろう。」間の抜けた答えが返ってきた。頭は良くないのかもしれない。

「あまり考えたことはなかったけど、僕は、待っているのかもしれない。」「何を待っているのさ。」「わからない。」のっぺりした顔は、爽やかだ。やっぱり、頭は良くないのかもしれない。

「君は、何をしているんだい。」蛹男が聞き返してきた。リックは、一瞬迷ったが素直に答えることにした「ある奴らを追っているんだ。」急な展開で、趣旨を忘れかけていた。「そういえば、この森を通り抜けていった奴らを見かけなかったかい。大体30人くらいの集団なんだけど。」「見てないなあ、君に黒いのを顔にかけられるまで、僕は寝ていたんだ。」「君が初めてさ。」

「ところで、追いかけてどうするつもりなんだい。」蛹男は、続けて聞いてきた。「君には、関係ない。」リックは、その問いには答えないことにした。「僕には関係なくて、君には関係あることなんてあるのかい。」リックは少し呆れた「多分、いっぱいあるさ。」なんせ君は、動けなさそうだからね。蛹男は不思議そうに、リックを見上げて、ふりふり揺れた。なんだか、まただんだん腹が立ってきた。

「君、仲間はいないのかい。」するとその問いに蛹男が少し悲しそうな顔になった。「いるよ。」「でも、目を覚ましたらいなくなっていたんだ。今。」「眠るまでは、大勢いたんだ。おやすみも言ったよ。」落ち込んでいる。リックは少し気の毒に感じたが、腹立ちとでプラマイゼロ。「そうなのか。悪かったね。気を落とすなよ。」「そのうち、戻って来るかもしれない。」蛹男の顔に、明るさが戻る。「そうかなあ。」と嬉しそうに揺れている。この男は、きっと恐ろしく素直なんだなとリックは思った。

リックは、何の気なしに聞いていた。「君、名前はあるのかい。」すると蛹男が怪訝な顔をした。「名前って何だい。」こっちの世界に来て、初めてまともに会話をする相手だった。「崖の棚の家族」は物知りだったが、言葉は話せなかった。そもそも、この世界には、名前という概念がないのかもしれない。影の化け物のことが気にかかった。「いや、何でもない。」リックは答えた。「何だよ。教えておくれよ。」蛹男は興奮しているのか鼻の孔が少し広がり。蛹の膜を内側から手の様なものがぽすぽすと押している。ゆらゆら。リックは、説明してやることにした。「例えば、あれは木。君がぶら下がっているのはシダ。」すると「そうだね。あれは木。うえのはシダ。」「それは、知ってる。それで。」まだ、興奮している。鼻息がふんふん言っている。「木やシダは、植物の名前ってことさ。」蛹男は少し納得したようだった。「あ、そういうことか。じゃあ、さっきの問いはなんだい。」「僕は、草じゃない。」「そうだね。」何なのかもわからないけどね。「で。僕は人間で」

このやり取りの最中、リックの頭は一生懸命働いていた。普段考えないことを考えるには、集中力がいる。「名前とは」一般的な知識の範囲のことだが、あまり深く考えたことがなかった。だから、異変の正体に気付くのが少し遅れた。

「ディッグと言うんだけど。」言ってから。舌先に違和感を感じた。違和感の正体を探るために、もう一度頭の中で復唱し、口に出してみた。「僕は人間で、デイギィと言うんだ。」名前が出てこない。自分の名前が何なのか、頭のどこに入っているかは、わかっているつもりなのだが、そこに近づくと輪郭が消え形をつかめない。

苦しかった。何度近づいても、捕まえられない。繰り返せば、繰り返すほど、わからない。泣きたくなる。

リックは、名前をなくしていた。

蛹男が、なんやかやと騒いでいる。静かにしてくれ。

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