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夢Ⅰ(33)

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☆主な登場人物☆

Ν Ν Λ Ν

 リックの肩に、そっと添えられた《茶色》の掌から、彼の心の痛みが忍び込んできた。それは、ザクリ。ザクリと、何度も何度も、繰り返し刺されているようで、確かに《茶色》が感じている痛みなのだと、リックには、確信を持つことが出来た。
 その事実を否定出来ないからなのか。
 話を終えても、彼はついに一度も石柱から視線を離さなかった。

 「大丈夫。心配いらない。」
 彼の言葉が、リックの脳裏に張り付いて、いつまでも、いつまでも木霊した。

 

 ここまで旅を共にしたソリは、役目を終えて、乗り捨てられることとなった。

 

 草原を駆け雪原を越えた行進で、残り少なくなったソリの積み荷から、弓に矢、それから鍋など各々分担し、これから先の旅に、必要となる物資をまとめると、夜の闇の中を、石柱の脇から草原の地下へと続く石の階段へと歩みを進めた。

 

 ヌエ達の道具類は、リックには大き過ぎ、荷造りの最中、手持ち無沙汰のリックは、短剣のホルダーをしっかりと胸に取り付けると、何度も何度も、留め具の具合を確認していた。
 足元を流れる草の間で、小虫が鈴音を上げている。ゆるやかに、時間を忘れるような風が、肌を撫ぜる。
 夜の平穏に気が抜けたとき、ちらと、《黄色》の弓と矢筒を《水色》がソリから担ぎ出している姿が視界を過った。ヌエ達の弓は、リックの身長ほどの大きさがあり、持ち主が不在の弓と矢筒は、《水色》に身を寄せながらも、彼には馴染まず、持ち主を探して、彼の背から顔を覗かせていた。瞬間、「もう二度と、会うことは」「心配いらない。」「僕に、何が。」脳裏にいろいろな考えや思いが走り抜けた。しまったと思ったが遅かった。それはリックの様々な種類の弱さだった。それらの思いを、ヌエ達に覗かれることが怖く、視線をすばやく逸らすと、リックは短剣の柄に手を当てた。ソリでの移動中、時間があれば手入れをしていた短剣は、柄に巻かれた小型の獣の皮もしっとりと鞣されていて、リックの手にしっくりと吸い付いたが、いつもの様に喋り出すことは無かった。
 リックは、もう一度、胸のホルダーの留め具を必死で締め直した。
 顳顬が内側からキリキリと痛んだ。

 

 ひたひた。ひた。
 ひた。ひたひた、ひた。


 石の床を進む足音達が、地下通路の壁や天井に反響し、次の足音に飲み込まれて消えていく。一行は、《水色》を先頭に、言葉を発することなく、草原の地下に伸びる通路を黙々と進んだ。右、左、踵、爪先。リックは、列の最後尾で、闇の中を進むヌエ達の足のシルエットを追うことで、なるべく何も考えないようにと努めた。ヌエ達の後に続いて、ぶら下がる様に通路を進み、地下の入口にあったであろう、石壁の仕組みが、《水色》の所作で道を開けるために静かに動作していたかどうかにも、気付くことはなかった。
 ずいぶんと長い時間をかけて、歩いたように感じた。

 リックの体は、同じ流れを繰り返すことで、溶けたような不思議な浮遊感に満たされていた。聴覚を刺激する足音の反響が変わり、弱々しい青白い光が瞬く半球状の大部屋に、一行は差し掛かった。
 途方もなく永い時の流れに生き物の存在を忘れていた大気が、突然の来訪者の気配にサワサワと波立っている。リックは、足元で淡く明滅する光を意識しないように数えた。1、2、そして1と続くその光は、互いに交信するように消えては灯りを、弱々しく繰り返している。
 通り過ぎてきた地下通路も、この大部屋も、初めて訪れたはずなのにヌエ達との思い出を呼び起こすのには十分だった。
 焚火を眺める《灰色》のいた集落での生活が、床や壁、いたるところに潜んでいた。顔さえ上げなければ、寄り添う《黄色》の気配を感じることが出来た。部屋の暗さがより一層、感覚を敏感にし、「力の民」と初めて遭遇したあの夜、リックの中で芽生えた根の深い敵意が様々な角度から、使えそうな弱さを掘り起こそうとした。「ここに居たくない。」と、とても強く思った。走り出したい衝動にかられたが、体に力は伝わらず、欲求に反して視線を上げることすら出来なかった。
 だらりと垂れ下がった、腕先の指だけがリックの心の叫びに答えて、目一杯の力で伸び、そして収縮した。

 安定したリズムを刻みながら、上下していた《青色》の足が止まったことで、息が詰まるような苦しみに足掻くリックの意識も、彼の背中にぶつかることを避けるために、現実に引き上げられた。
 大部屋の中央には、リックの胸の高さほどの立方体の台座が立ち上がっており、その立方体の上に、強く青い光を放つ石が置かれているのが《青色》の大きな背中越しに見ることが出来た。その強い光は、先ほどまで足元や壁面で明滅していた他の光達の存在を完全に覆い隠し、自身が唯一、輝きを持ち合わせているかの様に、部屋の隅々にまで届くほどの光りを発していた。
 急に目の前に現れた強烈な光。近づくまで、その光を認識出来ていなかった自身に不安を覚えたリックは、目を凝らし周囲の壁を注視した。弱々しい光達は、しっかりと壁に張り付いて変わらず明滅していて、そのことにリックはほんの少しだけ安堵した。

 《茶色》が光り輝く石の載った台座に正対し、床に大切な「地図」を広げると、その前に胡座をかいてドカリと座り込んだ。
 強い光を放っているこの石が、どうやらヌエ達の目的の物であったようで、《茶色》の肩が持ち上がる。深く一度、呼吸を整えているようだった。

 その仕草に同調するように全く同じ流れを刻み、一行の先頭、台座に最も近い《水色》の肩が動いているのが目に入った。上がり、下がる。

 《茶色》は、羽織りの袖をたくしあげると、身を乗り出し地図の最上段の左端、記号の様に貼り付けられている羽織りの切れ端に手を触れた。「地図」に貼り付けられた羽織の一部たちは、上段になるほど、色あせており、最上段においては、原型を留めているようには見えなかったが、《茶色》の問いかけに答えるようにヒラヒラと、しっかりとした金色の光が溢れ出した。《水色》が何をしているのかは、リックの位置から見ることが出来なかったが、彼の両腕は、強弱をつけて、何か手順に沿っているように動き、台座の上の石に触れているようだった。まるで小さく踊るような、その所作を《赤色》、《青色》が静かに見守った。

 《茶色》の手の下でヒラヒラと金色に揺らめく光と、《水色》が抱える青色の輝き、それらが彼らのシルエットを大きく交錯させている。
 金に青に混ざり合うシルエットが、まるで一つの生き物のように違和感なく翻った。
 リックは、脱力する様に唐突に理解した。生き物の心の「声」を聴くことの出来るヌエ達は、肉体で隔たれた生き物ではないことを。
 青く金色に、ドームの壁面に幻想的に映し出される、この生き物の姿こそが、彼らそのものだった。

 台座の上から、ひと握りの石隗が《水色》の手に取り上げられると、《茶色》の手の下では、「地図」が力無く輝きを失い、役目を終えた記号達が、再び、輝き出すことは無かった。

Ν Ν V Λ

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