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アートマネジメントで、フリーで活躍する

 寺田倉庫やアートバラエティ番組「アーホ!」、それから地域の芸術祭などにフリーで関わり、自身で非営利の法人も立ち上げる。アートに興味があり、一度でも「アート業界で働く」ということを考えたことのある人は、そんな生活を夢に描いたことがあるかもしれません。そして、もはや言うまでもなく、そんな生活はなかなか簡単に手に入るものではありません。

 そんな、アート好きからすれば夢のような仕事を実際にされている女性が、今回インタビューに応じてくださった冠 那菜奈(かんむり ななな)さんでした。大学卒業後すぐにフリーランスとして活動を始め、テレビ番組づくりや芸術祭、展覧会のマネジメント業務など、多岐にわたる活動を行ってきた彼女のことを知った時、「フリーランスで、アートマネジメントで生計を立てているって、一体どういうこと?」と思わずにはいられませんでした。今回は、そんな冠さんのインタビューを通して、アート業界のお仕事について改めて考えてみたいと思います。

 多岐にわたるアートの仕事を手がける冠さんが、アートと出会ったのは大学受験の時でした。始めは、音楽が好きで音大を目指していたという冠さんですが、技法を学び、ひたすら職人的な教育を受ける音大受験の環境に納得がいかず、浪人して違う道に進むことを選びます。そして、再び大学受験に備え、4年制大学を目指して予備校に通っていたころ、たまたま足を運んだ「美学校」という芸術・ビジュアルアートを現場の人から学ぶことができる学校で、アートマネジメントという分野の活動に出会いました。冠さんは、そこでアートの枠にとらわれない自由な発想にどんどん惹かれていったそうです。

 アートマネジメントの世界に出会った冠さんは、その後、武蔵野美術大学の芸術文化学科に進学します。入学後は、ご自身で積極的に活動を始め、地域創生のための芸術祭事業に関わったり、アート情報を発信するメディアの立ち上げを行ったりする中で、人とのつながりが増えていき、自然と関われるプロジェクトも増えていったと言います。

「コーディネーターを務めている『としまアートステーション構想』イベントでお客さんに事業を説明している様子」

「キュレトリアルアシスタントを務めている『KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭』イベントでの受付の様子」

 大学卒業を迎えると、冠さんはそれまで関わってきたプロジェクトや人との繋がりを大切にするために、フリーで活動することを選びます。ビジネスを勉強するために一般企業に就職をするという選択肢もあったはずですが、「大学時代を通して応援してきたアーティストの人たちと、卒業後にすぐにお別れというのは腑に落ちなかった。私が企業で働いている間に、もっとサポートできたはずのアーティストがいると考えると、その時間を使ってなるべく彼らの役に立つことがしたかった。」という考えから、そのままフリーランスとしてマネジメントに関わる道を選びます。

 そんな、大学時代からアートマネジメントに目覚め、精力的に活動してきた冠さんは、ご自身のことを「メディエーター」と名乗っています。「メディエーター」とは、医療用語などで使われる言葉で、「媒介者」の意味です。小学校の頃から「大きくなったら何になりたい?」という質問に疑問を感じていたという冠さんは、ずっと「みんな、自分の名前がそのまま仕事になればいいのに」という想いがあったそうです。そんな考えから、「あるものと別のものを組み合わせて、より良くする」ことをご自身の活動の根底に定め、「メディエーター」という肩書きを採用し、アートマネジメントの仕事に携わっています。

 メディエーターと名乗り、「表現以外のことは何でもやる」と言い切る冠さんは、とにかくアーティストのことや鑑賞者のためになることを想いチャレンジし続けています。そんな彼女の原動力の源には、アートが好きという気持ち以外に、実は大きな問題意識がありました。それは、大学受験の時にアカデミックな音楽の世界に感じてしまったように、美術大学で感じた「アート業界の狭さ」でした。なかなか一般の人に開かれないアート業界を目の当たりにし、「アートをすんなり受け入れる環境がなければ、世界を広げようとする人も少なく、人とお金と機会が上手く回っていない」と感じたそうです。そんな想いがあり、冠さんはご自身の活動を通して、アートに親近感を持ってもらう番組作りに関わったり、地元の人と関われる芸術祭に携わりながら、少しずつ世の中とアートの接点を探っています。「とにかく人が好き」という冠さんが、仕事をしていて一番嬉しいことは、誰かの考え方に影響を与えられた時だと言います。アートに興味のなかった人が、作品について面白いと思ってくれたり、マスメディアが苦手なアーティストが、自分の想いを生き生きと語ってくれ、「よかった」と話してくれる瞬間など、アートとの関係性がその人にとってより良いものになった時、冠さんのようなマネジメントの仕事は輝くのかもしれません。

 「フリーで、アート業界で活躍するって、一体どういうことなんだろう?」冠さんに会うまで、アート好きの一人として、ずっと疑問でした。今回冠さんとお話しする中で感じたことは、とにかく現場に身を投じて、人とのつながりを繋いでいくということでした。アートマネジメントの分野の中でも面白い活動をしている人は沢山いますが、アート業界自体はまだまだ狭く、人との出会いがそのまま次の仕事につながる場面も多いのだそうです。いつでも応募フォームに入力すれば仕事に出会えるような、環境の整った場所を増やしていくことは業界にとってこれからの課題でもあるといえますが、今のアート業界はだからこそ、すべての始まりは「人」なのかもしれません。

 前回のthisisigallryでのインタビューでは、アート業界の問題点を外から観察して行動に移す事業家の視点を垣間見ることができました。続いて今回は、美術大学を通して業界の中から疑問を感じ、フリーランスとして自由に活動拠点を広げていく、一人の女性の視点からアート業界について考えることができました。インタビューや日々のギャラリーでの活動を通して感じることは、「アートを身近に」という想いは、一定数の人たちの中での共通認識としてあるのだろう、ということです。ですが、そこへのアプローチはまだまだ始まったばかり。問題意識は同じでも、thisiisgallryのようなECサイトがあり、フリーランスでマネジメントに徹する一人の女性がいて、問題解決の方法は本当に様々です。ピカレスクも、こうした活動の中の一つに過ぎませんが、それぞれの想いや活動が、アートマネジメントという土壌を少しずつ耕し、大きな実となる日が来るように、こうして色々な方のお話を聞きながら、前に進んでいきたいと思いました。

(参考)
・トップ画像:外部広報を務めていた『SICF17』に出展していた上路市剛さんの作品《Moses-shining ver.-》と一緒に

桑間千里

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