note_手帳展

 Picaresqueでは、来年の5月まで、手帳コレクターの志良堂さんにコレクションの一部をお借りして、手帳展を行っています。手帳のコレクションと聞くと、美しいデザインの手帳を集めているのかとご想像される方もいるかも知れませんが、そうではありません。実際に、過去に日記やスケジュール帳として使っていた誰かの手帳をご本人から買い取り、展示として公開しているということなのです。

 自分の使っていた手帳を売り渡すというのは、過去の自分の行動の一つひとつをさらけ出す行為でもあります。そう考えると、それを集めて公開するというのは、本人の了解があるにせよかなりチャレンジングな試みです。

 では、誰かの手帳が自由に読めるこの展示の魅力は一体なんなのでしょう。

 正直、初めてこの展示の話をギャラリストのうたみさんから聞いた時、「ひとの手帳を勝手に見ていいなんて、どう扱ったらいいんだろう。。」と面食らってしまいました。なので、ひとのプライベートを覗き見するワクワク感やタブーに触れているハラハラ感を魅力としてまず想像したのですが、どうやらこの展示の魅力はそこではなさそうなのです。

 そもそもこの展示は、持ち主から全面的に公にさらされる事が了解されて買い取った手帳が集まって成り立っています。最早ギャラリーの事も知っているか分からない、どこかにいるけれどその主と繋がる手段は何もない、そんな完全匿名制の上で成り立っている企画です。そう考えると、この展示は覗き見というのとは少し訳が違います。実際に手を伸ばしてみると、展示について聞いた時の衝撃ほど、いけない事をしている気持ちにはなりませんでした。

 では一体何が魅力なのでしょう。ヒントは手帳にランダムについている読者の一言メモにありました。そこには、「みんな生きているんだなぁ」「突然の空白がさみしい」といった言葉が並んでいるのです。

 そこから何冊か読み進めるうちに、この展示がPicaresqueに来た訳が少しずつ分かってきました。私が思うこの手帳展の面白さとは、誰かが売った手帳という「いらなくなった過去」を、見ず知らずの人が集まる空間にボタっと落として起きる、感情の連鎖だったのです。

 SNSがすっかりコニュニケーションの一部として扱われている今、自分の出来事を周りにシェアする事は息をするくらい簡単です。私もたまにフェイスブックにお気に入りの写真を投稿したりしますが、そんなSNSの世界では、人に見られているという意識が当たり前に付きまといます。SNSを使っている人なら誰でも、「ちょっとテンションが上がって長文書いちゃったけど、はずかしいから、やめとこ。」みたいなやり取りを自分の中でした事があるのではないでしょうか。そういうSNS特有のボヤッとした「見られてる感」に慣れてしまうと、この展示のように手帳をツールに誰かの生活を知るというのは、とても気持ちがいいのです。それは、書き手と読み手の間にあるはずの建前が一気にすっ飛ばされる事による、「相手の本当のことを知れている」安心感ともいえるかも知れません。

 この展示では、手帳の持ち主の顔を知らないまま、それが誰の過去か分からないままで、生々しい記憶を手にすることになります。これはSNSで出来る個人の経験の「シェア」ではなく、ありのままの過去を「捨てていく/拾っていく」行為に近いのだと思います。手帳を手放す人は、当時は忘れないように書き留めていたはずですが、そんな必要ももうなくなったと判断して、その過去を自分から捨てていきます。そして、その捨てられた記憶を新しい誰かが手帳を通して拾っていく事で、その過去はまた生き返るのです。

 手帳の中ではドラマは起きません。でも、だからこそ、「ひとが一人生きていると、こんなに個性が溢れるものなんだ」と思わされます。みんな同じように食べて寝て、たまに人に会う。でも、それだけで、”十冊十色”で面白いんです。

 手帳を通して、神の目になって人の日常の流れを追っていくと、その事が良く分かります。それは、書き込んだ予定や思い出の内容だけではありません。途中でぱったり書くのをやめてしまう人がいたり、逆に自分の決めたルールに従って淡々とページを重ねていく人がいたり、手帳を丁寧にめくる程、元の持ち主の目線を辿る事が出来るのです。そうやって手帳を見ていると、クセのないものは一冊もありません。元の持ち主の世界にどんどん引き込まれていきます。すると、会ったことのない手帳の書き手に自分を重ねて安心したり、勇気付けられたり、逆に応援したくなったりと、手帳が語る過去が、別の誰かの今へと繋がっていくのです。

 そして、それこそがPicaresqueにこの手帳展が来た意味だと思うのです。誰かの過去が詰まって一つの形になり、それがまた誰かの感情を刺激していく。手帳がある限り、手に取る人がいる限り、その連鎖は止まりません。それはどこか、アートの作者と鑑賞者の関係性にも似ていると思うのです。

 より多くのひとに、Picaresqueでこんな経験をしてもらえたら。そう思えたところで、やっとこの手帳展の魅力を文字にすることができました。珍しい上にこのご時世なので、少し解釈の難しい展示ではありますが、百聞は一見にしかずです。皆さんから手帳展の感想をギャラリーで伺えるのを楽しみにしています。

桑間千里

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