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エッセイ | 個人企画をする理由 | noteの楽しみ方

はじめに

 noteをはじめて、1年半がたった。
 初投稿のことは何度か書いているが、初投稿した日の朝は、noteの存在すら知らなかった。
 最初の頃は、誰かに何かを伝えたいというよりも、今まで自分の内にとどめていたことをオープンにしたい気持ちと、自分の考えをまとめておきたいという気持ちがあった。

 最初の頃は交流ということより、自分の記事がどれだけ読まれるのか?ということに関心があったから、ビュー数やスキ数を気にしていた。
 自分では、どんなによく書けた!と思っても、さすがに一桁のスキ数だと凹むこともあった。
 しかしながら、しばらく経つと、そういった数字は、記事の良し悪しではなく、自分が他のクリエイターの記事を読んだかどうかにも大きく左右されるものだと知った。
 いかに優れた記事を書こうと、初投稿したばかりでは、記事が読まれないこともある。
 次第に、ビュー数やスキ数の多い少ないということよりも、誰にどういう人に読まれているのか、ということに関心が移っていった。 

交流ってなに?

 ビュー数やスキ数と同じで、コメント数の多寡も、参考にはなるが、多ければそれだけ多く「交流」しているとは必ずしも言えない。
 例えば、「今週はこれだけコングラボードをもらえました」とか「今日は私の誕生日です」とか「note◯周年です」とか、そういう類いの記事にはコメントが多くなる傾向がある。
 こういう記事には批判しようがない。「おめでとうございます」と思うし、そういうコメントを残すこともある。悪くはないが、そういう記事以外にコメントがないのは、本当に伝えたい記事が読まれていないような気がしないでもない。


ビュー数・スキ数より面白い数字がある。

ビュー数やスキ数は、記事の内容よりも、ハッキリ言えば、いつ投稿したのかという「投稿時間」に大きく左右される。
前にも書いたが、平日ならば「午後5時から6時」頃、土日祝日ならば、「午後4時から5時」頃に投稿すると、同じ内容の記事でも、ビュー数やスキ数は伸びる。
真夜中や平日の午後1時から4時頃は、どんな記事を書いても数字は伸びない。

そういう「投稿時間」に左右されない「数字」がある。

「みんフォト利用回数」である。


「みんフォト」でイラストや写真を利用されると、noteから連絡が来る。だいぶ前にいただいたバッジなので、もうすぐ1000回のバッジが届く(はずだ)。

記事には、その人の好き嫌いというものがある。私の記事に関心がなくても、イラストを通じて、他のクリエイターとつながることもある。
記事だけを書いているときよりも、格段に「リーチ」が広がった感覚がある。


見方によってはビュー数やスキ数も面白い!☺️

自分の記事が本当に読まれているかどうかは誰でも気になるところ。
ビュー数の多い記事が何か?、ではなく、ビュー数の少ない記事に注目すると面白い。

どんな記事でも翌日、あるいは一週間経てば読まれなくなる。
「ダッシュボード」(アクセス数)をずっと下の方まで見ていくと、ビュー数が30以下の記事にたどり着く。
不思議なことに、「よく読まれる記事」がある一方で、ビュー数が30にも行かないにも関わらず、ずっと読まれ続けている「ロングセラー」があることに気がつく。
私は、ランキングが上の記事よりもむしろ、下のほうにある「ロングセラー」に関心がある。
別に迎合するわけではないが、「細くても息の長い記事」を書きたい。


私が企画をする理由

いくつかあるが、箇条書きにするとこんな感じ。

①「予定不調和」が面白い

「募集要項」を作る。設定した要項から多少逸脱した記事もある。
意図的に奇をてらった記事や、自分の記事の宣伝のような記事がないでもないが、いずれにしろ、自分が事前に思い描いたようにはならない。それが楽しい。
そういう考え方もあるのか!、という発見がある。

②記事を丁寧に読むようになる。

普段からちゃんと記事を読んではいるが、相手に返事を書くときには、いつもよりヨリ丁寧に記事を読むようになる。いい加減な読み方では、返事は書けない。

③普段交流のない方との出会いがある。

企画をきっかけにして出会ったクリエイターも多い。自分の読みたい記事だけを読んでいると、偏りがある。
企画をすると、少しでもそういった偏りを是正できる。


今日はバレンタインデー。
個人企画「#ほしかったラブレター」の募集最終日。
予想より多くの方が参加してくださった。
最終日の今日も、どんな出会いがあるのか、とても楽しみだ。

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振り返りnote

記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします